中平卓馬をめぐる 50年目の日記(56)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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中平卓馬をめぐる 50年目の日記
更新日:2020年5月22日 / 新聞掲載日:2020年5月22日(第3340号)

中平卓馬をめぐる 50年目の日記(56)

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「プロヴォーク」を丸抱えする形になって、多木浩二さんが一番忙しくなった。何しろ他の同人は「原稿」を決められた日までに入稿することしか考えていない。事務所の仕事に加え、造本の試作、印刷等制作費の制約から逆算した頁割りや使用紙の比較算段。

ある日、紙の名前が書かれたメモ用紙を見せて「タケオに行ってきてくれませんか」と多木さんが言った。「竹尾用紙店です。神田錦町にあります。御茶ノ水駅からがいいと思います」と付け加えた。

アラベールとかマーメイドとかの紙の種類と色指定の文字、斤量の数字が書かれた意味もよく分からないメモを持たされて、初めてのおつかい状態で私は教えられた店に行った。古びた日本家屋づくりの倉庫のような建物に入ると、店の人が無言で私が手にしていたメモ用紙をつまみ上げて奥へ行った。そして大きな紙をリフトカーのように伸ばした両腕に乗せて戻ってきた。丁寧にカウンターに置くと、宛名はどうしますかという。私は咄嗟に「プロヴォーク社」と横に置いてあるメモ用紙に書いて渡した。これがプロヴォーク初めての領収書だった。手早く作った領収書をポンと紙の上に置いて店員はもう次の客の話を聞き始めていた。

夏の暑い日の午後、手や腕が汗に濡れたままの状態でこの紙をどうやって持って帰ればいいのか困った。するとその何を困っているのかを察してくれたような別の客が「向かいで裁断してもらうといいですよ」と言ってくれた。店の入り口の方を見返すと通りを挟んでそれらしき小さな工場のような建物が見えた。私は腕をハンカチで拭いて、店員のように腕をリフトのアームにして親切な客に紙を乗せてもらった。そして通りを渡った。

しかしそこは凄く忙しそうで裁断の作業も大量の紙を大きな機械で扱っていて、私が持っている量の紙などを相手にしているところではなさそうだった。だから頼みに頼めずただ突っ立っていたのだろう。作業の合間にその姿を見た中の人が「切るの?」と声をかけてくれた。
「はい、このままでは持ち帰れないものですから」「ちょっと待ってね、合間にやってあげるから」「お願いします」。そんなやりとりがあってその工員が裁断してくれた。そして使いかけのハトロン紙を上下にあてて細い紙紐でささえてくれた。「ここを抱えれば汗にならないだろう」。「おいくらですか」と訊くと「いいよ」ともう次の仕事に取りかかっていた。次はもう頼めないなと分からせる口調だった。

青山に戻ってその話をすると多木さんは笑って「なまじな慣れ方だと相手にされないんですが、ほんとに知らないって思われたんでしょうね。だから見かねてやってくれたんだ。じっさい少量の紙なんか裁断してくれませんよ。あなたに行ってもらってよかった」と言った。

多木さんは私が買ってきた紙をさらに切って、束見本の原型を作った。縦横21㎝の正方形版でイエナ書店で見かけるような洋風が伝わってきた。
「どうですか」と感想を求められて私はすぐに「このサイズにしましょう」と応えた。

そこへ中平さんがやってきたので「これ、プロヴォークの判型です。これに決めました」と反対はなしですよと言う気分を込めて言った。彼はしばらくそれを見つめて「ちょっとグッドデザインだけど」とだけ言った。多木さんは「これで一つは決まりましたね」と一仕事を終えた表情になった。彼ははじめからそのサイズにしようと決めていたようだった。中平さんはポケットにねじ込めるような柔らかい雑誌風を想定していることを私は知っていた。けれどこれで形は決まったのだ。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)

(次号へつづく)

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