触感の文学史 感じる読書の悦しみかた 書評|真銅 正宏(勉誠出版)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年6月17日 / 新聞掲載日:2016年6月17日(第3144号)

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた 書評
これまでこの切り口がなかったことが不思議なほど重要な問題提起

触感の文学史 感じる読書の悦しみかた
出版社:勉誠出版
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第二次安倍政権のもと、日本がこれまでとは大きく異る方向へとその行く先を転換しようとすることに疑問を感じて、今を「時代の危機」と捉える歌人たちが、京都(「時代の危機に抵抗する短歌」)と東京(「時代の危機と向き合う短歌」)の二箇所で昨年行った緊急シンポジウムの記録。講演では三枝コウ之(京都)と永田和宏(東京)、今野寿美(東京)らが言葉を用いる表現者の立場から発言している。また京都で行われた鼎談と東京で行われたパネルディスカッションでは30代と40代の歌人を中心に議論がかわされている。

普段から政治的な発言が多い印象があまり無いような歌人たちが、昨今の状況を見るにつけ、やむにやまれずに声を上げて開催した集まりがこうして活字となって広く読まれることとなるのは貴重である。(四六判・208頁・青磁社・一五〇〇円)

先日、若い時代小説作家のトークショーの司会をした折に、彼が特に意識していることの一つとして、触覚や嗅覚をどうやってことばで表現できるかを挙げていたことが思い出された。『触感の文学史』とは、これまでこの切り口がなかったことが不思議と思われるほど重要な問題提起である。

近代が視覚の時代だとはしばしば言われることであるが、それは、さまざまな機器が視覚における時間的・空間的隔たりを無化したということばかりが原因ではなかった。そもそも西洋的思考において五感は平等ではなく、優位にある視覚、聴覚に対して、残る三つ、すなわち味覚、嗅覚、触覚は「劣等感覚」と呼ばれ、貶められていた。優劣を分かつのはひとえに対象との距離である。距離があるゆえに客観的認識が可能な視覚、聴覚に比し、あとの三つは対象との距離がなく、対象の摩耗・消失をさえ伴うもので客観的になりえない。

しかし言うまでもなく、より根源的なのは後三者である。視覚や聴覚が奪われることはあっても、味覚や嗅覚や触覚が全くない状態を想像するのは難しい。それは、後者の方が生きるということに直結した感覚だからだ。「不感症」などと言っても、触覚のほんの一部の問題だ。

にもかかわらず、客観こそが真理であるかのように謳ってきた近代がないがしろにしてきた感覚たちは、しかしながら、文学にとって宝の山でありつづけている。いや、むしろさまざまな機器が発達すればこそ、ますますその重要性は高まっていると言っていい。

冒頭の作家が言っていたのも、触覚や嗅覚は未だどんな精密機器もそれをそのまま他人に共有させることができないからだ。映像が3D化し、4K化しようと、そこに映されているものの手触りや香りをそのまま伝えることはできない。ここにことばの、文学の出番がある。

もちろん、他人と分かち合い難い「劣等感覚」も、ことばなら伝えるのが容易だということではない。鯛を食べたことのない者に鯛の味を伝えるのは至難の業だ、と谷崎も言っていた。しかしそこにこそ、作者の工夫、文学のおもしろさがある。

本書で論じられる具体的な対象とは、たとえば歌留多会での手と手の触れあいであったり、赤子のふくふくとした頬への頬ずりであったり、ペットのぬくもりであったり、はたまた性的な接触であったり、あるいはそこで生じるべき感覚の喪失としての不感症であったり、不能ののちのフェティシズムであったりする。それが紅葉、一葉の時代から今の松浦理英子、金原ひとみまでの作品を縦横無尽に引きながら語られるときに、われわれ自身の皮膚が撫でさすられたり温められたりするのを感じる。触感の百花繚乱だ。

まだ読んだことのない作品には一読を強く促され、読んだことのある作品であっても、「触感」という方向から見直す、いや触れ直すときに全く新しい感覚が呼び覚まされることになるだろう。

「おわりに」で著者自身が述べるとおり、ここから現在のわれわれを取り巻く環境について問い直すこともできるだろう。視覚化=距離化してしまった個々人を繋ぐものはなにか。しかしもし、人間が身体性そのものを克服しえないとすれば、それとともに残りつづける「劣等感覚」とともに、文学もまた残りつづけるに違いない。文学終焉論がしぶとく囁かれつづけつつある現在、そんな希望も本書は与えてくれる。
この記事の中でご紹介した本
触感の文学史 感じる読書の悦しみかた/勉誠出版
触感の文学史 感じる読書の悦しみかた
著 者:真銅 正宏
出版社:勉誠出版
「触感の文学史 感じる読書の悦しみかた」は以下からご購入できます
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