不忍池畔家庭副業展見物の女優連|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読写 一枚の写真から
更新日:2017年1月20日 / 新聞掲載日:2017年1月20日(第3173号)

不忍池畔家庭副業展見物の女優連

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大正14年11月下旬から12月にかけて東京不忍池畔に開催せられた家庭副業展覧会の、写真は12月10日帝国劇場専属女優連大に得るところあらんとして該展覧会を仔細に見物したる当時の撮影に係るものである。(「歴史写真」大正15年2月号)

カメラに笑顔を向ける女性たちは帝劇女優だが、手にしているのは野菜、この組み合わせは何だろう。

写真説明の記事によれば、大正十四年十一月下旬から十二月にかけて東京不忍池畔で開催された「家庭副業展覧会」を見学にきた帝劇女優たち、十二月十日撮影とある。

家庭副業とは、主に女性たちによる内職のことだが、「なぜ野菜なの」という謎を解くカギは見つからなかった。この展覧会そのものも、資料がとぼしい。

しかし、その背景に明治後年から日本社会の底流にあるきびしい不景気の流れがあることが、いくつかのデータから浮かび上がってくる。

永藤清子甲子園短期大学教授の「明治大正期の副業と上流・中流家庭の家庭内職の検討」(甲子園短期大学紀要)に、二十世紀初めの日本の女性たちが置かれた経済状況が、くわしく分析されている。

社会主義の台頭で、労働運動がさかんになっていたが、行政機関もまた日本人の生活調査を行うようになっていた。

東京市社会局が一九二一(大正十)年に発行した『内職に関する調査』によれば、一か月の平均工賃は二・四円と低く、『俸給生活者職工生計調査報告』でみた一世帯一か月の平均収入(俸給生活者百四十九円七十九銭、職工百九円四十九銭)に占める内職収入の割合はわずかである。

そして、山の手地域と下町とでは、内職の内容が違っていた。山の手は「刺繍、絞り、毛糸・レース編など手工芸的内職、下町居住者は封筒、熨斗折、玩具、鼻緒、爪皮など比較的手工技術を必要としない」(永藤教授)に分かれ、山の手のほうが工賃は高い。

このデータから、山の手の主婦は、ほんとうは生活難を抱えていると思われるのに、「家計を助けるのではなく、趣味を活かす」という社会的な体面を保ちながら内職をしたことがうかがえる。これらの手工芸品の多くは輸出品とされた。

東京市では「内職のススメ」に力を入れていたようで、この写真が撮影された同じころ、『讀賣新聞』(十二月十六日付け)に次のような記事が掲載された。
「(東京)市社会局職業課で調べた処によると現今市の内外で行われている婦人の内職は約三百種の多きに上り、そして内職を出す問屋は三百五十軒ばかり」、さらにこの問屋と内職者を仲介する者が二百人ほどいて、中間マージンを取っていた。

記事によれば、内職者は約四万一千人で五十六%を下町住民が占めていた。工賃は、一日三十銭未満が五十五%、三十~七十銭が三十四%、これ以上は稀だとしている。

さて、野菜登場の謎を推測すれば、副業のもう一つのターゲットは農家だったことを物語っているのだろう。

第一次大戦の前後から、世界の気象は定まらず凶作が続いていた。米造りだけでは食べていけない農家に現金収入をと考えられたがなかなか妙案は出ずに、この後さらに日本は大凶作の時代を迎えることになる。

米だけではなく野菜栽培を副業にするようにとした提案なのだろうか。

組織的な労働運動は記録も多いが、農村の苦境や、内職に追われる女性たちが強いられていた「格差社会」が日本にあったことは埋もれてしまいがちであり、一枚の写真からたぐっていく「発掘」も、必要になる。
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