帝国の文学とイデオロギー―満洲移民の国策文学 書評|安 志那(世織書房)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年2月3日 / 新聞掲載日:2017年2月3日(第3175号)

帝国の文学とイデオロギー―満洲移民の国策文学 書評
「満洲国」の建国イデオロギーのもとでの文学活動を考察

帝国の文学とイデオロギー―満洲移民の国策文学
出版社:世織書房
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600ページに及ぼうという大著である。「満洲国」の建国イデオロギー(「王道主義」と「民族協和」)のもとでの文学活動を考察するが、内容はおおきく3つに分かれる。A(1930年代後半の)「満洲移民」を内容とする「国策文学」を扱う問題意識、Bその大きな流れ、そしてC該当の個別作品の分析となっている。軸となるのは(満洲国の)「現実と理想の間に存在した幾重の沈黙と乖離、矛盾」の指摘である。担い手の多くが「若い世代の転向作家」であることも加わり、本書でなされるのは、帝国をめぐる「政治と文学」の議論にほかならない。

BとCとは作品の展開に沿いながら、仔細な議論がなされる。すなわち、ある作品集は「既存の農民文学の方法論と目的からの逸脱ではなく、むしろその延長であった」とし、しかし他の作品集は「満洲移民政策と極めて密接な関係を示す」として読み解く。

この姿勢は、個別の作品に至りいっそう強まる。張赫宙「開墾」、湯浅克衛「先駆移民」、打木村治「光をつくる人々」、和田伝『大日向村』、徳永直「先遣隊」などがとりあげられるが、たとえば、「適応障害」である「屯懇病」を手掛かりに、徳永「先遣隊」に分け入り、(1)主人公が「屯墾病から無事回復し、満洲に「帰る」物語」という読みを示し、「分村移民に対する懐疑と消極的な抵抗感を暗に示している」とする。そして、そのうえで、徳永は(2)「屯墾病」の原因を「満洲の生活における日本人女性の不在に求めている」とする。すなわち、満洲の「環境的な問題」は「無視」し、日本人女性の送り出しによる「移民者の精神的な安定の問題にすり替える」と、徳永を批判する。「満洲移民をめぐる日本人農民の現実を忠実に描写しようとしたために、物語が破綻した」とその「論理の破綻」を指摘するのである。

みごとな読み解きである。だがこの前段として、著者は、(3)徳永が「望郷の念」「郷土への愛着」を満洲移民そのものへの「対抗」とせず、満洲移民を「日本農民の「大陸進出」」としてとらえていることを批判する。また、彼らは、「満人」「満人村」に一切興味を示さない、ともいう。ともに、批判として正鵠を射ているが、作品の読み解きにあたり、徳永がまず「(侵略者である―註)彼らへの関心と愛情の延長」に「日本人農民」を位置付けている、と批判する点から議論を始めるのはいかがなものであろうか。原則的な批判をしたうえで、内在的な評価を与えるという手順であり、著者の議論は(3)から(2)、(1)という順になされていく。「国策文学」であるにもかかわらず農民の機微に触れたのか、農民の現実に即していったがゆえに「国策文学」に至ってしまったのか、ということにかかわる手順である。

『大日向村』においても、著者は作品の論旨を「満洲移民の論理」とする。和田の言が「徹底して宗主国の論理」というのは、その通りであろう。だが、論理となる以前の様相を『大日向村』をはじめとする文学は体現しており、そのゆえに、いまあらためて検討する意味があるのではないだろうか。

このことは、全体の構成を見たとき、C、そして Bのていねいな扱いに対し、Aが一般的な議論にとどまっているということでもある。Aでは、冒頭に「本書では、所謂大陸文学、開拓文学と呼ばれた満洲移民を題材とした文学、とりわけ農民文学懇話会(1938)と大陸開拓文芸懇話会(1939)の国策団体によって創作された文学作品を(自ら国策文学とは言わないものの)「満洲移民の国策文学」と定義し、検討する」と記す。それらの作品が「満洲移民政策の宣伝活動の一環」であり「時局迎合の御用文学」という性質をもっていたとし、真っ向から批判する。このことは、イデオロギーとして文学を捉え、イデオロギー批判として文学を読み解くという立場と手法である。「満洲移民を題材とした文学」に「国策」の宣伝をみてとり、「文学が帝国と植民地をめぐる支配と被支配の現実にいかなる役割を果たしたか」を「検証」しようと、Aで述べる。

だが、終章では「「国策の線に沿って」創作された国策文学は、「帝国の声」を再生産(する―註)にあたって、満洲移民において無数の「小声」を拾い上げることができた」という。このことがBCにおける繊細な読みをもたらすのだが、序章たるAが「国策文学」の原則論で固められており、内在的な読みの実践と乖離している。「国策文学」という規定と、「現実に即した「現地報告」」という読みの実践との乖離――帝国の文学を扱う際の微分と積分、解読と意味づけは、BCからAに至ること、すなわち、BCからの「国策文学」の再定義によってなされることによって、説得力を持つのではなかろうか。
この記事の中でご紹介した本
帝国の文学とイデオロギー―満洲移民の国策文学/世織書房
帝国の文学とイデオロギー―満洲移民の国策文学
著 者:安 志那
出版社:世織書房
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