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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月1日 / 新聞掲載日:2016年7月1日(第3146号)

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谷崎と芥川の「表現」とは 実証を根底に据えた推論が光る


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谷崎潤一郎と芥川龍之介に、「表現」ということば(キーワード)から迫った労作である。著者は、この二人の「表現」をめぐる「共鳴と対立のドラマ」をたどり、両者の密接な影響関係を浮き上がらせる中で、二人の文学を読み解こうとする。ここには文学における「作者」を意識した新しい〈読み〉がある。しばらく前までのテクスト論では、作者を消すことで読み手の〈読み〉を重視することに主眼が置かれた。本書ではそうした理論は、もはや後景化して、新たな〈読み〉の方法が模索される。谷崎潤一郎と芥川龍之介という個性豊かな作家を考えるには、テクストと作者をめぐる新たな方法が求められるのだ。

本書は冒頭第1章に「谷崎と芥川の芸術観―「小説の筋」論争の底流―」を置き、二人の作家の文学観・芸術観を「表現」という視点から迫ろうとする。芥川の言う「芸術は表現である」という主張の意味をより確定するために、著者は明治末から大正期に「表現」ということばがいかに用いられてきたかを、『国立国会図書館蔵書目録 明治期』、『同 大正期』などを手がかりに確かめることからはじめる。二人の作家の関心が、当時の時代思潮をも現す新語としての「表現」にあったことを指摘したうえで、著者は後年の二人の興味ある論争の意味を考える。これまで余り言及のされなかったイタリアの哲学者クローチェと芥川の芸術観などとのかかわりの指摘も的確である。冒頭に置くに相応しい論だ。

以下、谷崎の「刺青」「愛すればこそ」、芥川の「奉教人の死」などの作品論が試みられる。いずれも的確な作品の〈読み〉が光る。その上で導かれる結論は、説得力に富む。谷崎の「愛すればこそ」を論じて、著者は「逆境をも創作活動の糧にしていく谷崎の図太い作家魂を存分に伝えてくれる、いかにも谷崎らしい作品」と言い、芥川の諸作を論じては、世界文学の中の芥川が意識されている。それは晩年の「河童」を論じて、その外国文学摂取の成果に言い及ぶに至って最高潮を迎える。「河童」は内容的に芥川生涯の総決算と見られるが、同時にそれは芥川生涯の外国文学摂取の総決算のテクストでもあったことを著者は指摘する。先行文献を十分押さえ、新たな分野に踏み込もうとする意欲を感じさせる論だ。

第6章の「芥川と「詩的精神」」と第7章の「芥川の死と谷崎」は、本書の大きな成果である。晩年の芥川の芸術観を語ることば「詩的精神」の再検討や、芥川死後の谷崎の創作姿勢には、芥川の残していった課題をどう継承・発展させていくかにあっのではないかという推論など新鮮だ。これらの論を支えるのは、国立国会図書館や日本近代文学館などでの資料の精査にある。実証を根底に据えた推論には、揺るぎないものを感じさせる。

数年前、芥川研究の新進だった藤井貴志が『芥川龍之介 〈不安〉の諸相と美学イデオロギー』を刊行した時、わたしは本紙(第二八三四号、二〇一〇・四・一六)に、当時三十代だった藤井をはじめとする有望な若手研究者を一括して、「芥川研究のニューウェーヴ」として紹介した。本書の著者は、年齢的にはその僅か下であり、この世代に引っ括めてとらえることができる。彼らは今や国際芥川龍之介学会の中核メンバーとして、めざましい活躍をはじめている。著者もその一人である。芥川研究はいまや国際性と学際性を強く意識した、これらの若手研究者の手によって推し進められる時代を迎えている。著者の今後の研究に期待するのは、わたしばかりではないはずだ。
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