約束のない絆 書評|パスカル・キニャール(水声社)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年2月17日 / 新聞掲載日:2017年2月17日(第3177号)

約束のない絆 書評
心象が析出するように風景を描写 
音楽のように人間関係がリズムを作り出す

約束のない絆
出版社:水声社
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フランス北部、ノルマンディー地方。この言葉を耳にして人はどんな印象を抱くだろうか。有名なモン・サンミシェルを想起するかもしれないし、強烈なリンゴの酒カルヴァドスで喉を焼かれた経験を反芻するかもしれない。個人的なことを書けば、私は数日しかノルマンディーに滞在したことがないが、南仏の陽光とは無縁な、おそらく秋から冬にかけて荒涼とした風景の広がる場所、というイメージがある。小説の中の、ある登場人物が入っている「寄宿舎」の存在するポントルソンという町など、モン・サンミシェルで観光したはいいが時間の観念を失ってしまった旅人が、宿泊場所を求めて迷い込む、小さな、舞台のセットのようなところである。つまり、ノルマンディーは、つねに人で溢れている場所ではない。夏が終われば、ヴァカンスやリゾートの客もいなくなり、自然の存在感があたりを浸すのだ。

小説の舞台はもっと限定されている。ブルターニュ北部のエメラルド海岸に位置している「ディナール」「サン=リュネール」「サン=ブリアック」あたり。訳者によれば、一八八〇年後半、フランスで初めて作られた海水浴場のひとつらしい。ヴァカンスの季節にはやはり富裕層が集まるところ。だが、夏以外は、「海風の声と黄色い苔に覆われた岩」が風景を支配する……。そんな場所に、主人公のクレールは帰ってくる。きっかけは友人の結婚式だった。もう若くはないクレールは、自分の故郷に再び住み始める。弟のポールも、なぜか一緒に住まうことに。海辺の小屋を相続し、嘗ての恋人のシモンとの思い出を記憶の引き出しからときおり取り出してみたりもする。彼女の娘であるジュリエットも、ときどき顔を見せるようになる。

小説の基本トーンは静謐である。出発点に喪の作業がある。クレールの両親の死や、それにまつわる小さな秘密が、少しずつ紐がほどけるように明かされていく。それだけではない。登場人物のうちの幾人かは自殺(あるいはそれに近い死)を遂げる。濃密な人間関係が描かれているわけではない。複数の登場人物は、それぞれに淡い関係を持ちつつも、深まることはない。しかし見えないところで関係はつながっていて(小説の原題は、ベタに訳せば「神秘的なつながり」という意味)まるで音楽のように関係がリズムを作り出している。再び訳者の言葉を借りれば、この小説にはクラウディオ・アラウの弾くショパンのノクターンハ短調が影響している、とキニャール自身が語ったという。なんと似つかわしい……。

だが、この小説の醍醐味はやはり風景描写だ。心象が析出するようにして、風景は描き出される。たとえば、海で死んだ(?)シモンを思いつつ、シモンが釣りをしている姿を、岩の上からクレールが眺めているシーン。「彼は釣りをしていた。/しばらくすると、暗い水の中で錨の周りに渦巻いている黒い泥に目をとめたまま、鎖を引き、錨を上げた。/クレールは頭を上げた。/西には、崖まで続く台地に沿ってずっとひまわりが咲いていた。毎晩、それは夢のような垣根、金色の境界線になった。/オレンジ色の船体をした巨大なコンテナ船がセザンブル島を通り過ぎた」。

垂直の運動性と、ひまわりからコンテナへの色の伝播が風景を際立たせる。キニャールは、風景を正確無比に描く。パスカル・キニャール・コレクション第一弾。
この記事の中でご紹介した本
約束のない絆/水声社
約束のない絆
著 者:パスカル・キニャール
出版社:水声社
以下のオンライン書店でご購入できます
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