チェーホフさん、ごめんなさい! 書評|児島 宏子(未知谷)|書評専門紙「週刊読書人ウェブ」
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読書人紙面掲載 書評
更新日:2017年2月17日 / 新聞掲載日:2017年2月17日(第3177号)

親和力という著者の特別な資質が生かされた特別な本

チェーホフさん、ごめんなさい!
出版社:未知谷
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ロシア語通訳、翻訳者として長年活躍してきた児島宏子さんが――と、この書評を書き始めたとたんに、筆が止まる。児島さんのことを「通訳、翻訳者」と呼んで済ませていいものだろうか。児島さんの幅広く、対象に対して愛情を惜しみなく注ぐような仕事ぶりを長年親しく見聞きしてきた立場からすると、児島さんはいつも、そういった社会的な約束事としての職業の枠の中には決してとどまらないユニークな存在であり続けてきた。そこで本書の巻末の著者紹介欄を見ると、「映画、音楽分野の通訳、翻訳、執筆、企画に広く活躍」とある。なるほど、これなら著者の全体像に少し近づけるような気がする。

しかし、それでも決定的に抜け落ちてしまうものがある。それはロシアのアーティストと付き合うときに児島さんが発揮する親和力のような特別なもので、そのおかげで、児島さんはアニメ作家ノルシュテインや、映画監督ソクーロフの信頼を勝ち得ることができた。いま名前を挙げた二人は、それぞれの分野でロシアを代表する掛値なしの天才と呼ぶべき存在だが、児島さんは彼らと親しい友人のように交流してきた。なんという幸せだろうか。

本の中身にはいる前に、ずいぶん手間取ってしまった(ヒロコさん、ごめんなさい!)。本書もまたそんな著者の特別な資質が生かされた特別な本になっていて、数多あるチェーホフ本からはっきり一線を画している。これはチェーホフの作品や生涯について、これまで児島さんが書いてきたエッセイをまとめたものだが、一貫しているのは、チェーホフを生きている人間のように、まるで師か、友人か、それとも恋人のように扱って、つねに彼に話しかけるように書いているのだ。例えば、ノルシュテインが、世界の芸術作品のうち好きなものを三点あげてほしいという児島さんの求めに応じて、レンブラントとベラスケスに加えて、チェーホフの「大学生」という短篇を挙げたとき、児島さんは喜ぶとともに驚いて、「まったく思いがけなかった」と書いてしまってから、「おっと、チェーホフさん、ごめんなさい!」と謝る。

実際、児島さんの部屋にはチェーホフの肖像画が三〇年、いや四〇年以上もかかっているらしく、気分はもう「知り合い」なのだ。こういうスタンスで書かれたものだけに、チェーホフ文学についての評論や研究をここに期待してはいけない。ここには、著者が「チェーホフさん」と知り合い、その作品を読んだり訳したりしながら考えたことが、いかにも著者らしく素直に――あまり脈絡も気にせず、文体も「です・ます」と「だ・である」の間を融通無碍に行き来して――書き留められているのだから。だからヒロコさんはチェーホフの複雑な側面にぶつかったときは、分かった振りはせずに、率直に「ああ、もし違っていたら、ごめんなさい、チェーホフさん!」「私はまだ、この作品を読みこなすことができないのです。チェーホフさん、本当にごめんなさい!」と告白する。著者の人柄がにじみ出たこういった口調が、本書の最大の特色にも、魅力にもなっている。

児島さんが「チェーホフさん」に対して謝らなければならなかったことには、もう一つ大きな理由があった。それは本書の版元である未知谷からすでに二〇冊近く出ている絵本のことだ。『カシタンカ』から『中二階のある家』まで、チェーホフの名作短篇の新訳にロシアの画家たちが描いたオリジナルの挿絵をつけ、未知谷は絵本の形で出版して、好評を博してきた。児島さんはこの企画のために中心的な役割を果たしてきたのだ。もちろんチェーホフはもともと絵本を書いたわけではない。だからこそ、こういう本の出し方について、チェーホフさんは許してくれるだろうか、という疑念も生じるわけだが、それは杞憂だった。未知谷で刊行されてきたチェーホフ絵本の数々は(訳者は児島さんの他、工藤正廣氏、中村喜和氏)チェーホフ文学とロシアの画家魂の稀有の出会いの結晶と呼ぶべきもので、日本における翻訳出版文化史上の小さな宝物にすでになっていると言ってもよい。ちなみに、このすべての原動力となった、版元の代表である飯島徹氏が「チェーホフ・コレクションのことなど」という味わい深い文章で、企画の発端と展開についてもっと明快に順序立てて説明しているので(『熱風』二〇一二年四月号)、そちらも参照していただきたい。

独特の個人的なスタイルを貫いた『チェーホフさん、ごめんなさい!』には、チェーホフのことよりも、むしろ著者の人となりを鮮やかに示す箇所があちこちにあって、印象に残る。ここには、「生後間もなくから持病に苦しめられ“死”のみを考えていた十三歳の私」がアンネ・フランクの日記に救われたということも、また最近十年くらいの日本での危険な変化を憂える著者の気持ちも、控えめながらきちんと書き込まれているのだ。こんな風に書評を結んでしまうと、なんだかチェーホフについての本ではないみたいだが、白状すれば、私にはそのようにしか読めなかった。だからもう一度、児島さん、ごめんなさい! でもきっと許してくれますね。いずれにせよ、これは児島さんにしか書けない、ユニークな本です。
この記事の中でご紹介した本
チェーホフさん、ごめんなさい!/未知谷
チェーホフさん、ごめんなさい!
著 者:児島 宏子
出版社:未知谷
以下のオンライン書店でご購入できます
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