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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月1日 / 新聞掲載日:2016年7月1日(第3146号)

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“地域アート”は批評可能か? 田んぼを駆けずり回って新しい言葉を紡ぐこと 


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同書は、2014年10月号の「すばる」に掲載された「前衛のゾンビたち―地域アートの諸問題」という論考を契機に生まれた。当初、アートプロジェクトと国際芸術祭をひとくくりにする論調は反発もありつつ、ギャラリーや美術館などのアートワールドを主戦場する現代アートとは異なる「地域で展開されるアート」への一般の観客の漠然とした“違和感”を代弁したのは事実だ。

同書が全体として批判するのは、コミュニケーション志向型のアートそのものではなく、日本で独自に発展し、行政によって予算化され、アートマーケットとは異なる文脈で商業化してしまった地域アートという“市場”のほうである。そして、その市場の力が批評的言説を無視して肥大化している“状況”そのものだ。

藤田氏はこう語る。「質の評価が困難であるか、基準が存在しない状態で、なし崩し的に、地域アートの中に現代アートが巻き込まれている(中略)。このままでは『地域を活性化するもの』こそが『現代アート』であるというふうに、定義の方が変化していくのではないか」

アートプロジェクトに専従する地元スタッフが重視するのは、地域の人との“つながり”や“プロセス”そのもので、外部の専門家による一面的な批評を嫌う傾向にある。反面、国際的なアートシーンで活躍し芸術祭にアサインされるキュレーターやアーティストは、作品やプロジェクトの評価を従来の美術ジャーナリズムに頼りがちなところがある。だが、展覧会評を重視する傾向を脱しきれない美術メディアは、アートプロジェクトのプロセス全体を記述するには向いていない。現場で起きているこうしたささやかな分裂が、“地域アート”にいつまでも批評が追いつかない状況を生んでいるように思う。

私の“地域アート”との出会いは、アサヒビールのメセナ活動「アサヒ・アート・フェスティバル」の10周年本『地域を変えるソフトパワー』(青幻舎)を編集したことから始まる。同団体が助成してきた全国各地のプロジェクトの中から13ほどのプロジェクトを絞る作業の中で、私はアートプロジェクトの中には、社会にコミットメントする優れた実践もあると知る。ただし、それは鑑賞者の視点で評価しづらい。作品の外延が捉えがたく、また作品らしきものがあったとしても粗雑で洗練されているとはいいがたく、参加者の話を聞くまで何がいいのか分からない。ここで私は考え方を変えた。アートプロジェクトは、従来の作品批評ではなく、プロセス全体を見通しエピソードとして記述する方法のほうが“相性がいい”ということに気づいた。

“地域アート”批判を行う人々に「現場に入れ」とは言わない。ただ、限定された空間で、決められた期間発表される何ものかの優劣(美醜)を問う(その営みこそが“批評のマーケット”を保存する)ありかたは有効ではない。たとえ「ここでの『王』は(批評家ではなく)『当事者』と『地域』」(藤田氏)だとしても、頭を垂れて、田んぼを駆けずり回って、私たちは絶えず新しいタイプの言葉を紡いでいく努力を続けるべきだろう。従来の作品批評よりも、その作品が生まれる環境、ひいては社会の下部構造に触れる言説のほうが有効だろう。編者自身が戸惑いながらも、新たな文化的経済が生まれている領域を批判的に捉えた同書のように。
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