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読書人紙面掲載 書評
更新日:2016年7月8日 / 新聞掲載日:2016年7月8日(第3147号)

「昇華」概念の解体と脱構築 現代精神分析学がはらむ問題性を深くえぐり出す


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本書は、新進気鋭の精神分析家・堀川聡司氏による意欲作である。『精神分析と昇華』と題されているとおり、「昇華」(Sublimation)という視点から“精神分析学の総体”を解明しようと試みられている。さらに堀川氏は、この著書の「結語」においても述べている通り、「『昇華』が、実質的には「精神分析の目標の一つである」ことを強調して止まない。このように評者が述べると、本書が「昇華を通しての精神分析学の再構築とも呼べるものである」かのような先入観を抱かれてしまうかもしれない。しかしながら、堀川氏の著書は、それを遥かに超えた“知的な射程範囲”を含んでいることを、前もって読者に知っておいて頂きたいと思う。

「昇華」という用語が、我国においてもすっかり定着し、哲学や思想、人文社会科学系の人々の間においても、違和感なく使用され、それこそ日常生活での一場面における修飾語の一つにまで使用されるまでに成っている。しかしながら、驚くべきことに、「昇華」と言う用語・概念の体系的な研究は、精神分析学内部においてすら、疎かにされていた。そうした学問的な怠慢に対しての強烈な怒りと抗議が、この著書から読み取れる。そればかりか、「昇華」概念の推敲と吟味が、精神分析学にとどまらず、哲学・思想、美学、人文諸科学、等々、人間を対象とした“知の営み”を行う者すべてにとって重要な鍵概念となることを、著者は強く訴えかけている。

本書は、フロイトの原点から始まり、そしてフロイト以降の精神分析学の展開の中で、この「昇華」と言う用語・概念がどのように取り扱われて来たか、そして位置付けられてきたか、さらには多彩な意味づけがなされていたかを、詳細な検討を加えている。そこから明らかにされる問題構成とは、「昇華」概念が、それを回避しては成立し得ない精神分析の大前提でありながらも、それに対して論理一貫性を有した精神分析的思考を明示出来ないと言う問題性でもあった。著者は、本著を通して、この問題性に回答を与えようと“肯定的な”挑戦をする。

また本書の優れた点は、昇華の研究を介して、各国の精神分析家の諸概念や用語に潜む深い意味を取り出し、昇華という視点からそれらを統合しているところにあるだろう。例えば、メラニー・クラインによる「修復」、さらにはハインツ・コフートの「自己愛的変容」。さらに本書においては、フランス精神分析学の数多くの分析家(ラプランシュ・J、ドルト・F、シャスゲ=スミルゲル・J、グリーン・A)らによる多彩な研究成果を、あますところなく参照し、その研究成果に数多く言及している。その意味では、フランス精神分析学への優れた解説書にもなっている。我国においては、これまでややもするとラカンに偏った衒学的学術書が多かったが、堀川氏のフランス精神分析学の展望と解説は、紹介書としても優れている。一言付け加えるならば、ドルトによる「象徴的去勢」の存在論的な理解と解釈は、実に的を射たものである。

しかしながら、本書は、堀川氏が提示した精神分析的総体における「昇華」概念の解体と脱構築(否定的作業)は、その論理的な帰結として、堀川氏自身が自覚しているか否かにかかわらず、その射程を遥かに超え、フロイトと並ぶもう一人の偉大な“昇華”思想家をも射程範囲に収めていることを、読者は知らなければならない。そのもう一人の研究者とは、言うまでもなく、ヘーゲル(Hegel)である。ヘーゲルは、『精神現象学』において<弁証法的止揚>(Aufhebun)「昇華」を論じている。へーゲルとフロイトの相同性の指摘は、すでにラカン・Jによって試みられたが、哲学上の相似性を越えるものでなく、精神分析的な臨床状況と展開を介してその姿を現す“矛盾と否定”、そしてその弁証法的帰結としての止揚Aufhebunの解明にまでは、遥かに到達していなかった。ヘーゲル『精神現象学』における「否定と矛盾」、「否定的なもののさらなる否定」、「否定の否定としての高次の総合(昇華)」、こうした“否定性の作業”の同事態として生まれる止揚Aufhebunと対峙しつつ、グリーン・Aは、フロイトの昇華概念を“否定性の作業”と連環させつつ位置付けた。グリーンは、「当初、昇華は性衝動の帰結とみなされていた。しかし、今となっては昇華は死の衝動の存在と見なしうる」との驚くべき結論に至った。この着想は、ビオン・Wの「否定的なものへの能力」、松木邦裕「不在」、ボラス・C「三次性」と共振し、堀川氏の昇華論をも貫通するものであろう。

ラプランシュが「精神分析学において『昇華』とは、「十字架」である」と呼んだ。それはすなわちその「十字架」が、臨床現場を介して直接に他者に関与する精神分析家にとどまらず、哲学・思想・芸術、等々を含む人文・社会諸科学に関わる者にとって背負わざるをえない難題であることを物語っているのである。

以上のように、フロイトの着想に始まる精神分析学の「昇華」概念は、人間との関わりを営みとする者(精神分析家)にのみならず、社会、文化、芸術、歴史に関わる者にとっては、必ず通過せざる負えないであろう。堀川氏が挑戦した「昇華」の研究は、堀川氏自身が前書きにおいて提示した「“宿命の”交差点」に、正しくほかならないのである。

現代精神分析学がはらむ問題性を深くえぐり出したという意味においても、本書は、見過ごせない重大な労作である。また、ヘーゲル哲学、そしてこの書評では論及出来なかったハイデガーの存在論や「相互主観性」の新たな解釈の可能性をも含んでいる。
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