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2016年7月8日

新たな「評伝文学」としてまと められた清岡文学の全体像


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芥川賞作家で戦後詩人の清岡卓行が亡くなってから、早いもので十年がたつ。

清岡卓行には、十五冊の詩集と、『アカシアの大連』をはじめとする『清岡卓行大連小説全集(上・下巻)』があり、晩年の『マロニエの花は言った(上・下巻)』は、畢生の大長編小説である。こうした仕事と並行して、没後に上梓されたのが、『定本清岡卓行全詩集』と宇佐美斉氏自身の編纂になる『清岡卓行論集成(Ⅰ・Ⅱ巻)』である。

「絶対を夢見る観念と、状況が強いる現実との総括が、抑制されたエロティシズムの光りを浴びて鮮烈である」の著者の批評で知られる第一詩集。「詩と評論と小説」の三位一体から、あふれるような随筆や紀行文を書いた清岡卓行の文学の全体像をとらえようとするとき、京都大学の学生時代から弟子のように清岡文学を知悉している著者の追想と解釈は、本著にいかんなく発揮されている。「コロンの子」の文学世界を初期から年代を追って丁寧に考察し、シュルレアリズムや映画や音楽と感応する清岡文学の総合性の核を〈わがふるさとのまちの中心/美しく大いなる円き広場〉の「円形広場」という象徴的な言葉でとらえる。出自としての中国大連の「円形広場」と、小説『マロニエの花は言った』や詩集『パリの空』で描いた、憧れとともに晩年に訪問したパリの「エトワール広場」。第一次大戦と第二次大戦の狭間のパリの文化空間を、岡鹿之助や藤田嗣治、金子光晴やロベルト・デスノスの周辺を詳細に描いたのが、晩年の作品だった。「円形広場」は、まさしく清岡文学のポエジーの核であり、「東」と「西」を想像力で結ぶ詩的空間のキーである。

著者は、清岡文学の新生から晩年の検証を、実際に大連や清岡宅のある多摩湖畔を訪れ、またかつて留学したパリも追想する。こうした芸術派の歩行が描いた清岡文学の後背地には、明治以後の近代日本がたどった「近代」から「現代」に移行する姿がみえる。「中国大連」と「フランスパリ」が、「コロンの子」や「引き揚げ者」の文学空間に遭遇する横断性こそ、近代日本の歴史が投影されている証明である。清岡卓行の努力によって、「大連」の辞書の読み方の表記が、「たいれん」から「だいれん」と書きかえることになった話はつとにしられるところである。中国大連のツアーでは、芥川賞作家で詩人のいた家ですとバスが留まるほどの賑わいであった。これからの日本と中国の関係は、「アカシアの大連」と「芸術的握手」によって、日中の交流を考えた清岡文学の存在がとても重要である。

現在、作家論から作品論、テクスト論へと変遷する文学研究が隘路にあるなかで、鮎川信夫、石原吉郎、吉野弘などの戦後詩人の読み直しがすすんでいる。そうしたなかで、本著は、清岡卓行論としての作家論や作品論、テクスト論、文学史を総括的に取り込む「評伝文学」である。清岡文学の全体像は、新たな「評伝文学」としてまとめられたのだ。これにより、清岡卓行の文学世界は、総合的な光があてられ、戦後詩史のみならず、現代文学として新たな光芒を放って位置づけられた。

ながらく、宇佐美斉氏は、ランボーと立原道造や中原中也の研究を対象としてきた。そうした著者ならではの戦後詩の星である清岡卓行の文学に全精力を捧げた、みごとに円熟した晩年性(レイト・スタイル)の文学達成である。
2016年7月8日 新聞掲載(第3147号)
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