【シンポジア】
ヤマシタの世界:混沌としたダークな日系性の諸相

著 者:牧野理英
出版社:

【シンポジア】
ヤマシタの世界:混沌としたダークな日系性の諸相

牧野理英(日本大学教授)



◆研究発表テーマ
Labor Diaspora/Labor Mobility――アメリカ文学における移動と労働


 一九九〇年代後半にアメリカン・ルネッサンスの作家を専攻していた私は、自分の能力に限界を感じているにも関わらず留学したいと思っていた。日本から出たかっただけだったのかもしれない。そんな折、突然突破口のように出現したのが日系アメリカ作家カレン・テイ・ヤマシタの小説『ブラジル丸』である。当時の私は「正典」作家を専攻しているという認識から、上目線でエスニック文学全般を見ていた。

 しかし……私がエスニック文学と思って手にとった『ブラジル丸』には迫害のナラティブどころか、むしろアメリカ植民地時代を彷彿とさせる、アマゾンを開拓する日系移民の姿が描かれていた。サンパウロにおける上流階級出身のカンタロウ・ウノとその一族の一九二〇年代から七〇年までの栄枯盛衰を描いた家族劇。小説後半の語り手ゲンジ・ベフは、カンタロウを代表とするエスペランザというキリスト教社会主義の日系共同体で、この伯父に面従腹背している虚弱な少年である。そんなゲンジはこの伯父と共にアマゾン上空を自家用機で飛行中、操作ミスによる墜落で唯一の生存者となる。そしてその後はアマゾンで行方知れずとなる。しかし伯父からの精神的開放を意味するこの結末は、とある新聞記事による後日談で締めくくられる。民家を物色していた先住民を射殺したという記事における、その侵入者の身体的描写はゲンジのそれであった。そして現在その身体は博物館に「ブラジル先住民の最後の生き残り」の標本として飾られているのだという。植民者がサバルタンとなるダークなループの誤転換には、ヤマシタの日系性への批判がこめられている。

 北米のエスニック作家群が声にならない迫害経験を描く中で、合わせ鏡のように私に開かれたもう一つの植民者としての「日本」の姿を、素敵で不気味な笑いをもってヤマシタは私に教えてくれた。そして今もその混沌としたダークな迷宮から出ることができないでいる。(まきの・りえ=現代アメリカ文学)