中平卓馬をめぐる 50年目の日記(58)

68年の夏、二人はすっかりプロヴォークモードに入っていた。多木さんが行き先や帰る時間も告げずに1人で黙って出て行く時は、撮影に出かけるしるしだった。それは中平さんがシャドーボクシングをして気分を高めてから出て行くのとは対照的だった。彼のこの準備運動もどきの仕草は、「現代の眼」編集者時代に東松照明「I am a King」シリーズの写真の中で、街中のゲームセンターにあるパンチングマシンに夢中になっている青年を演じて以来の験担ぎになっていた。  多木さんの撮影につきあわされたことはない。だが中平さんはいつも誰かと一緒に歩きたがった。半分は上の空の会話をしながらサッと身を翻してシャッターを切ったり、急に階段を上って踊り場から下を眺めてみたり、話をしながら歩くといってもそれは撮るものを見つける気持ちを高めるための準備体操のようなものだった。  大概は事務所の最寄り駅である地下鉄銀座線神宮前駅から渋谷駅か新橋駅に行き、両駅を起点に新宿方面や川崎方面に向かった。  中平さんはどこで何を撮りたいと思う人ではない。ただ「歩かなければ写真とぶつからないからね」と言って歩いた。  ある時、地下鉄の改札から地上への階段を上りさま、降りてくる浴衣の幼い姉妹にカメラを向けると、姉妹は驚いて階段上で固まってしまったことがあった。すかさずシャッターを切った中平さんは「ごめんね」と言って、地上に駆け出て喜色満面、「裸の世界に触れた感じだ」と嬉しそうに言った。そんな風に名付けようもない初めて会う雰囲気をいつも探した。  彼はロバート・フランクが撮った裸馬と少年たちの写真が大好きだった。街中にぽっかりとある空き地に白い裸馬がいて、その周りを少年たちがへっぴり腰で輪になってはやし立てている。小雨か小雪か、その光景はぼんやりとしている。カメラもまたそこから距離を取って傍観している。馬も、少年たちも瞬間目にした光景に驚いている様子だ。その写真を中平さんは「裸の写真だ。これが写真なんだ」と、そういう写真を集めたと言っていた。  地下鉄の階段で、幼い姉妹を撮った中平さんは、「今日はまだ撮れそうな予感がするから五反田の方へ行ってみないか」と言った。前にも行ったことがあるから昼間でもちょっと不穏な空気が漂う駅に近いあたりのことだと見当がついた。  着くともう日が暮れていて用心棒のような男たちがあちこちに佇む夜の遊興街になっていた。歩いていても冷やかしにしか見えないだろう私たちは少し怖い視線にずっと追われているように感じた。それでも中平さんは空き地の裸馬に出会えそうな感じだと言って奥へ奥へと進んで行く。そして「撮ったよ」という声とともに走って戻ってきた。それを聞いて怖い目の主が数人近づいてきたので私たちは緊張した。しかし言われたのは「かっこよく撮ってくれよ」の一言だけ。  駅に向かいながら中平さんは「俺たち、全然問題外なんだね」と言った。「いちゃもんの一つもつけられなかったのがなんだか情けないなあ、まあ写真てそういう情けないものなんだよね。ノーマン・メイラーの陰毛にたかる毛じらみ話を知ってる? 間近にいても参加できずに見ているだけの悲しい存在っていうのさ」と続けた。  歩きながら中平さんが「明日はたしかプロヴォークの定例会だったよね。同人メンバーをもう一人増やした方がいいんじゃないかと思うけどどう思う?」とさり気なく言った。急な話だったので「しばらくは考えない方がいいと思います」と私は応えた。(やなぎもと・なおみ=写真家・東京造形大学名誉教授)  (次号へつづく) 写真集『来るべき言葉のために』より