「消費」と街、
人との関係を見つめ直す

三浦展氏 インタビュー

『コロナが加速する格差消費』(朝日新書)、『愛される街』(而立書房)刊行


現代の日本社会における消費や階層、都市や郊外、家族や若者について長年研究し、社会デザインを提案している消費社会研究家の三浦展氏が、このほど『コロナが加速する格差消費 分断される階層の真実』(朝日新書)、『愛される街 続・人間の居る場所』(而立書房)を上梓した。前者では詳細なデータに基づいてバブル、氷河期、平成の三世代の消費と階層意識を分析、後者では子育て、介護、シェアなどの観点から豊富な事例をもとに「愛される街」を考察している。現状に応答する新刊やこれまでの研究とのつながりについてお話をうかがった。(編集部)


見えやすくなった格差 消費と都市が変わる契機

――『コロナが加速する格差消費』(以下、『格差消費』)では、「現代の日本において中流であるための条件は何か」というテーマに、「コロナ後の消費社会」というテーマを接続したと書かれています。本書を刊行された背景について改めてお聞かせいただけますか。
 
三浦
 たとえば日本で貧困率が上がっているという本などが出ても、自分の住んでいる地域や日ごろ付き合っている人の階層にもよりますが、貧困状態にある人が増えているとは実感しにくいです。私は自営業ですが、私の住む杉並区あたりでは、比較的大きくて安定した会社に勤めている人が多いので、となりの誰かが派遣切りされたり、非正規雇用で解雇されたりしたということを日常的に見聞きすることはほとんどないわけです。
 しかし新型コロナのパンデミックの影響で、私がふだん行っているお店が全部休業して、なかなか再開しなかったり、客数ががた落ちしたり、近所のお店があっという間に廃業したりしました。二〇〇八年のリーマン・ショックのときも、私の会社では売り上げが半減するくらい影響が出ましたが、近所の居酒屋やマッサージ店が休業したり廃業したりすることはありませんでした。
 つまり新型コロナによって、われわれの生活の不安定性や格差が、非常に目に見えやすくなったのだと思います。私もここ五か月のあいだ、講演の依頼はほぼゼロになりました。ショッピングセンターにある書店もしばらく休業していましたので、自分の書籍も売れなくなりました。
 リーマン・ショックのときもリストラが進んだり非正規雇用のカットがあったりしましたが、今回はそれに加えて、自営業・自由業の死活問題となり、学生バイトもなくなるなど、より広範な影響が出ています。
 
――今年五月の売り上げが前年同月比90%減少した百貨店もあると聞きます。
 
三浦
 そうですね。ふつうのお店なら、90%減が三か月も続いたら廃業でしょう。もちろん個人事業主や零細企業に対して助成金や補助金を給付する支援策は講じられていますが、全然足りない人が多い。
 ところがそのような状況下でも公務員は収入が安定しているので、彼らの階層意識は「中流」以上が非常に多いことが本書で明らかになりました。大企業は売り上げが急減しても余剰資金があるからなのか、なかなかつぶれないということも見えてきた。所得の減少もそれほどではない。でも採用を中止している企業も多くありますし、今の大学生が公務員を志望する傾向が強まるかもしれません。
 そういう格差についての普遍的な影響を肌で感じたということが、本書の内容を改めながら、出版を早めた理由です。
 
――実際に街歩きや旅もしづらいですし、外食もためらわれます。ただ、この状況のなかで本書を読むことは、自分がどのような消費をしているかを見つめ直すことにつながると思います。
 
三浦
 大繁華街や大きなビル、ショッピングセンターに集まる、ということへの抵抗感は相当強くなりましたし、もしそのような場所に行くとしても予約制だったり、他人からある程度距離を置かなければならなかったりします。ですから、もとの客数に戻ることはまずないと思います。
 チェーン店や大規模店にたくさんのお客を入れて、まさに「三密」(密閉・密集・密接)の状態にして薄利多売で儲けようとするようなビジネスモデルは、衣料品店でも飲食店でも、今後成り立たなくなるのではないでしょうか。
 たとえば東京ディズニーランドの入場料が、世界各地に比べて安いというのも、たくさんのお客を高密度で詰めこんでいるからです。入場料を値上げして、もっとお客が少なくても、儲けることができるビジネスになっていかねばならないでしょう。
 つまりそれはいわゆる「大量消費」ができなくなるということで、「大量生産」も限界になる。コロナ問題を契機に、消費のあり方が大きく変わりそうです。地元の店が大事になり、質もよく、そのお店やその地域らしい個性があり、店主とのコミュニケーションが面白いといった価値が重視されるようになるはずです。
 休業要請や緊急事態宣言や「東京アラート」で大騒ぎしたけれども、実はそれらは必要がなかったかもしれないという説も専門家が言い出しています。なのに、これだけ多くの人が廃業し、解雇されたというのは、とても恐ろしいことだと思います。まさにインフォデミックだったという面がある。
 そう考えると、もしこれからこの国で大震災が再び起きたら、日本政府はまったく頼りにならない気がします。もちろん震災に対してはコロナと違っていろいろな準備がされているとは思いますが。
 
――「コロナに限らず、この二五年のあいだに日本社会は、それまで想定しなかった大きなリスクにおびえる社会になった」と書かれています。外出自粛の要請を受け、感染のリスクに備えて消費を制限する傾向が強まっています。
 
三浦
 この二五年、二つの大震災、原発事故、オウムの地下鉄サリン事件、小学校や障害者施設での無差別殺人事件などにより、人々がさまざまなリスクを事前に予防する必要を感じる事件がたくさんありました。それによって日本はリスク社会になったわけです。
 この機会にウルリッヒ・ベックを読み直して感じたことは、ベックはドイツ人であり、彼の説く「リスク社会」は日本と異なり大災害が少ない国の論理じゃないかということです。一九八六年のチェルノブイリ原発事故はヨーロッパにおいて、ペストやコレラ、スペインかぜの大流行以来の巨大なリスクとして意識されたのでしょう。<つづく>


★三浦展(みうら・あつし)=消費社会研究家。株式会社パルコのマーケティング誌「アクロス」編集長、三菱総合研究所を経て、一九九九年にカルチャースタディーズ研究所を設立。著書に『下流社会 新たな階層集団の出現』『これからの日本のために「シェア」の話をしよう』『昼は散歩、夜は読書』『首都圏大予測 これから伸びるのはクリエイティブ・サバーブだ!』など。一九五八年生。

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