それぞれのランボー像を描くために

中地義和インタビュー

『対訳 ランボー詩集 フランス詩人選1』刊行を機に

岩波書店より、『対訳 ランボー詩集 フランス詩人選(1)』が刊行された。「若き天才詩人」アルチュール・ランボーの、詩作の変容と核心に、対訳と注、解説で迫る。
刊行を機に、編訳者で日本のランボー研究の第一人者・中地義和氏(東京大学名誉教授)にお話を伺った。(編集部)



暴力性と熱気を持つテクスト

――最初に中地さんが、どのようにランボーの作品と出会ったのかお聞かせください。
 
中地 私たちの世代では、恐らく小林秀雄訳、もしくは中原中也訳で、初めてランボーの作品を読んだ人が多いと思います。小林秀雄が訳した"Une saison en enfer"(「地獄の季節」一八七三年)は、一九三〇年に白水社から刊行されました。その八年後、一九三八年に岩波文庫に収録され、現在では八十四刷りになっています。とくに小林訳は、私が若い頃、一般にランボーへの入口でした。
 
私自身は、ランボーの名前は知っていたものの、大学に入るまではその作品を読んだことがありませんでした。最初のランボー体験は、教養学部フランス科に進学が決まった二年生の時です。フランス語原文で『地獄の一季節』を読みました。ボードレール研究者の阿部良雄先生が、学生とともにテクストを読み解いていくゼミに、参加しました。幸か不幸か、ランボーは初めて読んだフランス語のテクストの一つでした。
 
その時の印象を正直に言うと、「よく分からない」でした。注釈を聞いても、作品の意味というか、意図や方向づけがいまいち分からなかった。ただ、強いインパクトを受けたのは確かです。言葉にこもる暴力性や熱気……、何かすごい力を持つテクストだと直感しました。知的な論理としては自分の中に入ってこないけれど、ランボーが何かを言おうとしていることは、初読の段階で感じましたね。しかも、上滑りに喚きちらすというのではなく、内実を伴っていることが感じられました。学部四年生で卒業論文を書くとき、ランボーは一つの選択肢としてありましたが、論文を書くだけの知的な咀嚼ができるか不安がありました。そのため、卒業論文ではランボーを取り上げず、ベルクソンを論じました。彼の散文の素晴らしさに惹かれたからです。
 
ランボーを専門にすると決めたのは、大学院に入ってからでした。通常は、学部の卒業論文で取り組んだものをそのまま研究対象とするので、当時の指導教官には驚かれました。ランボーのふるまいにも現れていますが、人は若いとき、とくに二十歳前半までは、いろんなものに興味をそそられ、理屈ではなく、直感的に選ぶ無謀さがあると思います。私も、その無謀さでランボーを選んだのかもしれません。ただ、研究対象とするからには、学術的な手続きが必要不可欠です。高尚な議論は、テクスト読解の基礎があるうえで成り立つものだからです。幸いだったのは、その頃からフランスを中心に、ヨーロッパでランボー研究が活況を呈し始めたことです。特に一九八〇年代、九〇年代には優れた研究が次々と発表され、国際学会も頻繁に開かれ、出版物も増えた。その流れに乗れたことは、自分のランボー理解において、非常に良い経験となりました。修士論文、留学先のパリ大学の博士論文でも、ランボー論を書いた。それからは、ランボーが表看板になりました。
 
今の日本における外国文学研究者は、大学で職を持つからには、学生にテクストを読ませ、面白さを理解させる務めがあります。ひいては、一般読者に向けても、作家や作品を紹介、解説する役割があるわけですね。そして、作家を議論する国際的な場での活動。それぞれの研究者によって、比重の置き方は違いますが、私は三つの役割を出来る限りバランスよく果たしたいと思ってきました。今回の対訳本では、二つ目「翻訳解説を通じての一般読者への寄与」を、多少とも果たしたつもりです。<つづく>


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