ドキュメンタリーの〈待つ〉姿勢、テレビ表現の豊かさ

対談=丹羽美之×森達也

『日本のテレビ・ドキュメンタリー』(東京大学出版会)刊行を機に

東京大学大学院情報学環准教授でメディア研究を専門とする丹羽美之氏が、『日本のテレビ・ドキュメンタリー』(東京大学出版会)を上梓した。一九五〇年代以降の日本のテレビ・ドキュメンタリーの流れを、その方法論に着目して詳細に跡づける、丹羽氏の初の単著である。本書の刊行を機に、丹羽氏と、作家で映画監督の森達也氏に対談していただいた。4面には丹羽氏の編著『NNNドキュメント・クロニクル 1970―2019』の書評(評者・永田浩三氏)を掲載。(編集部)



書かれてこなかった歴史/テレビの刹那性と蓄積

 丹羽 この二〇年くらいテレビ研究をやってきて、古いものから新しいものまでたくさん番組を観てきました。テレビはつまらないと批判されがちですが、ドキュメンタリー番組ひとつをとっても、実は画期的な試みや果敢な挑戦がたくさんあり、そういうものを紹介したいという思いがまずありました。さらに戦後日本において、テレビはドキュメンタリーの世界を質的にも量的にも牽引してきた部分があり、その流れを歴史としてまとめておきたいと考えました。
 もちろんドキュメンタリーに関する書籍はたくさんありますが、ドキュメンタリー映画に関するものが多く、テレビ・ドキュメンタリーを中心的に取り上げてその歴史をたどる本は案外少ないんですね。たとえば佐藤忠男さんの編著『シリーズ 日本のドキュメンタリー』(岩波書店、全五巻)では、一部でテレビの制作者が出てきますが、ドキュメンタリー映画の関係者の話が中心です。これまであまり書かれてこなかったテレビ・ドキュメンタリーの歴史を、一度まとめてみたいと思いました。
  これまでドキュメンタリーに関する書籍のほとんどは、僕も含めて作り手が書いたものです。確かに映画に越境した人が多い。つまりある意味で業界人による業界の内幕明かし。アカデミズムの見地から、テレビ・ドキュメンタリーについてこれほど網羅的に、総括的に書いた本は例がないと思います。
 たとえば上智大学の水島宏明さんのように、かつては作り手で今はアカデミズムの人がいます。丹羽さんは純然なアカデミズムの人で、作り手というよりは観る側の視点を純化する形で、この本は書かれています。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます

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★にわ・よしゆき=東京大学大学院情報学環准教授。専門はメディア研究、ジャーナリズム研究。編著に『NNNドキュメント・クロニクル』、共編著に『記録映画アーカイブ』(全三巻)など。一九七四年生。
★もり・たつや=作家・映画監督・明治大学特任教授。著書に『ドキュメンタリーは嘘をつく』『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』など。映画作品に『A』『A2』(二〇〇一年山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞・市民賞)など。一九五六年生。