私の源へ、ことば以前のことばから

温又柔インタビュー/寄稿=吉良佳奈江

『魯肉飯のさえずり』(中央公論新社)刊行を機に

 作家の温又柔氏が長編『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』(中央公論新社)を刊行した。現在と過去、日本と台湾、母と娘の視点を行き来して、丁寧に紡がれていく家族の物語。二人の女性の小さな、大きな社会との闘いと、彼女たちを近く、遠く見守る人々。物語を読み終えたとき、現実のどこかにある人生が想像される。本書の刊行を機に、温氏にお話を伺った。(編集部)



ことばとアイデンティティ

 ――ストーリーも重要ですがそれ以上に、一つひとつのことばが記憶に残りました。個々の会話や出来事が積み重なって、登場人物たちの人生が立ち上がってきていることを感じました。

  うれしいです。私は、どちらかといえばストーリーの流れよりも、ことばそのものを味わってほしい気持ちが強いので。

 ――温さんは三歳で日本に来て、それから日本語を話して暮らしてこられた。でも二十三歳のときに「日本人のふりをしながら、日本語を書くことができなくなった」ことを、『台湾生まれ 日本語育ち』で書かれていたのが衝撃的でした。そのときの体験は、いま小説を書いておられる姿勢に、直結しているのではないかと思います。技術の問題ではなく、日本語が書けなくなるという感覚がどういうものなのか、お話いただけますか。

  たとえばトニ・モリスンは「自分は白人男性が書くような英語は書けない」と発言しています。黒人で、かつ女性である自分はもっと自分にふさわしいことば――彼女の場合、それは英語のことですが――を模索する必要があったのだとトニが語るのを読んだとき、私にとっての日本語もそれと似ているのではないかと思いました。規範となる言語、ニュートラルだと思われている言語が、本当にニュートラルなのか。私の場合は、自分がそれまで当たり前に使っていた日本語は実のところ、日本人のものでしかなかったのではないかと気づきました。そうであったからこそ、自分の中にある台湾人っぽいところとか、子どものころ経験した非日本的な記憶は、ノイズとして処理していた。そして、このある種のノイズがむしろ私の源であると思い直したとき、ではここからどのように日本語と向き合い直せばいいんだろうと模索したのです。そういうところから、自分のことばで小説を書くことに、本格的に取り組みはじめました。<つづく>

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★おん・ゆうじゅう=作家。台湾・台北市生まれ。二〇〇九年「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。一五年『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞、一七年『真ん中の子どもたち』で芥川賞候補。ほか著書に『来福の家』『空港時光』、エッセイ集『「国語」から旅立って』など。一九八〇年生。