新天理図書館善本叢書「連歌俳諧」全六巻刊行!!
カラー版で味わう 連歌・西鶴の名品

文学・歴史・美術横断、連歌の名品『集百句之連歌』他、西鶴の自註絵巻・自画賛等

連歌懐紙にたどる心の軌跡(尾崎千佳)

 新天理図書館善本叢書第五期「連歌俳諧」全六巻は、天理図書館所蔵の、連歌巻子本、西鶴自筆資料、芭蕉自筆資料の一級品「鯉屋物」全点、蕪村の新出資料等を、高精細カラー版で収録する。刊行を機に通巻三十一~三十三巻の連歌巻子本集、西鶴自筆本集の主な見どころを紹介する。(編集部)
《週刊読書人2020年10月9日号掲載》


連歌懐紙にたどる心の軌跡 尾崎千佳

 新天理図書館善本叢書『連歌巻子本集一』には、十五世紀から十六世紀の連歌句集および連歌百韻の懐紙十二編を収録した。連歌は、複数人で句を詠み継ぐ形式の、和歌から派生した文芸である。連歌懐紙には、和歌懐紙を横に半折した折紙が用いられる。十三世紀には百句を一単位とする百韻連歌が成立し、十四世紀には懐紙四折に句を案配する連歌懐紙の書様が定まった。一の懐紙を初折、二の懐紙を二折、三の懐紙を三折、四の懐紙を名残折と称する。初折表の右端には連歌会の催された年月日を記し、余白を設けたあと、賦物を大書した。賦物とは、元来、連歌会の参加者にあらかじめ課された詠むべき語彙や文字の条件であったが、十四世紀末には形骸化し、以降、タイトルの役割を果たした。賦物に続けて、百韻の発端の句、すなわち発句を、二行に分けて書す。初折表には発句以下八句十六行、初折裏から名残折表までの六面には各十四句二十八行、名残折裏には八句十六行と作者名・句数一覧を書きあげる。完成した連歌懐紙は、重ねた四折の右端を水引で綴じ、三つ折りにして保管されたが、後に巻子本に改装される場合が多かった。

 百韻連歌のルールは連歌懐紙の構成に基づいて規定され、いかなる連歌会にあっても百韻の展開には連歌懐紙における位置が常に意識される。連歌懐紙は、連歌会の現場に最も近い資料であり、連歌研究の出発点に置かれるべき一次資料でありながら、従来の連歌研究は連歌懐紙を十分には活用してこなかった。こうした状況にあって、連歌史の主要作品を高精細フルカラーで集成した本書刊行の意義は大きい。モノクロ印刷では判じ得ないような、筆削、綴穴、三つ折りの痕跡まで、原本さながら、つぶさに観察することができる。新出資料の収録も特筆しておきたい。三つ折り原装の姿で出現した水無瀬三吟百韻懐紙は、今後、清書懐紙の様式を考える際の基準作となろう。このたび初めて公開される紹巴筆の連歌百韻三巻は、歴史学分野への貢献も期待される。

 本巻収録書の成立時期は、絵懐紙の発達隆盛期にあたり、懐紙下絵に着目することによって、句を絵とともに鑑賞することの意味あいの変化をたどることができる。能阿句集『集百句之連歌』(次ページ図2)下絵には、和漢の景物が大胆かつ繊細に描きこまれ、句と絵あいまって四季と人心の移ろいの妙を伝える。後奈良天皇・三条西公條両吟『賦浄土要文連歌百韻』(次ページ図3)下絵に描かれる蓮池は、百韻中に言葉として詠み込まれているわけではない。天皇は、百韻成就ののち、八万四千の蓮葉にみずから弥陀名号を染筆し、鴨川・大井川に流させたとも伝えられる。言葉は、経文中の重要句を各句の頭に据えるという方法で、絵は、蓮葉の流れ着く極楽浄土の蓮池を精細に描くという方法で、仏法帰依の心をそれぞれに表現する。

 言葉と絵が独立的に主題に寄与する連歌懐紙の流れにあって、十六世紀後半には、言葉を逐語的に可視化した新様式の絵懐紙が出現する。玉蟲敏子氏は、かつて、その新様式が、紹巴・昌叱のかかわる連歌百韻に集中的に認められること、百韻冒頭の三句すなわち三物に詠み込まれた景物が、初折表右側に組み寄せて描かれる作例の多いことについて、実証的に論じられた。いま、天正三年(一五七五)九月十五日、愛宕山白雲寺大善院上之坊において興行された『賦何船連歌百韻』(図1)懐紙を例に、その意味を改めて考えてみよう。

 巻子本に改装された本百韻懐紙を文字通り紐解けば、開巻ただちに、金銀泥で描かれた遠山の端に浮かぶ満月と三匹の鹿の絵が目に入る。これが三物の絵画化であると了解されるのは、しばし本文を読み進めたあとのことである。

 朝霧に峰もたひらの砌かな      紹巴
 月かすかにも見ゆる山もと      宥源
 をじか鳴道のかたかた野をかけて   行祐

 紹巴と宥源の句は、『伊勢物語』八十二段・紀有常歌「おしなべて峰もたひらになりななむ山の端なくは月もいらじを」をふまえつつ、朝霧にとりまかれた愛宕山上に浮かぶ有明の月を詠む。行祐の第三は、かすかな月明かりを頼りに山辺の道の片隅をゆく人が、野一面に響き渡る牡鹿の声を聞く景。下絵を熟覧すれば、二匹は牡鹿、一匹は牝鹿と見える。なるほど、牝鹿を争って鳴く牡鹿の図というわけであろう。しかし、これではまるで図解ではないか。行祐句の主題は牡鹿の声にある。和歌・連歌において、妻を呼ぶ牡鹿の声は秋の悲哀の象徴とされた。絵には描きようのない聴覚の世界を強引に絵画化することで、瞬間的には強いインパクトが得られるものの、余情はかき消され、表現は奥行きを失う。

 戦国期の京都には、連歌懐紙下絵をオーダーメイドで制作する下絵所が存在していた。三物の絵画化は、句と融合した表現世界をつくりあげてきた連歌懐紙下絵を、絵による句の説明に変質させてゆく。紹巴時代の連歌懐紙下絵は、言葉にしか表現し得ない情景やそれにまつわる複雑な機微よりも、わかりやすさや見た目のよさを好むようになった人の心を映し出している。右端に冒頭三句の景物を組み寄せる構図は、初折表に元来存する余白の有効利用をはかりつつ、巻子本に改装されて床飾りの具となることを見越した措置ではなかったろうか。連歌にも〈インスタ映え〉的趣向の求められる時代が到来したのである。

 連歌は、人々の寄り集う座に根ざして生成し、やがて地方に広がって、一揆の精神や文化的虚栄心をのみ込みつつ膨張した。モノとしての連歌懐紙には、言葉のみならず、言葉には表し得ない人の心、あるいは、あえて言葉にはしない人の心も、わずかな痕跡を留めている。その痕跡に心を寄せる努力が、これからの連歌研究に課されている。(おざき・ちか=山口大学准教授・連歌俳諧史)