生まれてきたことを肯定するために

対談=森岡正博×佐藤岳詩

『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ!』(筑摩選書)刊行を機に

 早稲田大学教授で哲学、倫理学、生命学を専門とする森岡正博氏が、『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ!』(筑摩選書)を上梓した。古今東西の哲学や文学や宗教にみられる、誕生を否定する考え方を詳細に跡づけながら、生まれてきたことを肯定するあり方を探究し「生命の哲学」を構想する、画期的な一書である。「人間が生まれてくることや、人間を生み出すことを否定する思想」(「はじめに」)である「反出生主義」に対する理解を深めることもできる。本書の刊行を機に、森岡氏と、専修大学准教授で倫理学を専門とする佐藤岳詩氏に対談していただいた。(編集部)
≪週刊読書人2020年11月20日号掲載≫


『生まれてこないほうが良かったのか? 生命の哲学へ!』
著 者:森岡正博
出版社:筑摩書房
ISBN13:978-4-480-01715-4



反出生主義という言葉/誕生否定の思想/誕生肯定へ

 森岡 「Google トレンド」という検索システムで、日本語の「反出生主義」という言葉を検索してみると、これがネット上に現れ始めるのは二〇一三年くらいからです。二〇一三年に何があったかはよくわかりませんが、それまでは少なくともネット上でこの日本語は使われてこなかったことが検索結果からわかります。ここ数年で徐々に広がってきて、人々の目に入るようになってきた日本語だと思います。同じ検索システムで英語の"antinatalism"という単語を検索してみると、二〇〇八年ぐらいからネット上に出てきて、日本より先行して徐々に増えてきています。
 その反対に、「出生主義」という言葉は日本語ではあまり使われませんが、英語では"natalism""natalist"という単語があり、これらは Googleが記録を取り始めた二〇〇四年からずっとあります。英語の世界では、おそらく二〇世紀から使われていた言葉だと思います。"natalism"は簡単に言うと、人口増加を推進する考え方のことで、社会科学の論文や社会政策の場面で使われてきているんですね。

 それから、哲学的な意味で反出生主義(antinatalism)という言葉が使われ始めたのは、非常に最近のことだと言えます。D・ベネターの『生まれてこないほうが良かった』の日本語訳が二〇一七年に刊行され、昨年には『現代思想』で「反出生主義を考える」という特集が組まれました(二〇一九年一一月号)。SNSなどを見ると、反出生主義という言葉が今の日本でたくさん使われていますが、その使い方にはいくつかのバリエーションがあります。ここでは深入りしませんが、この言葉には大きく二つの意味があると思います。一つは、自分自身が生まれてこないほうが良かったという、私の言葉でいうと「誕生否定」の意味があり、もう一つはこれから新たに子どもを産み出すことをしないほうが良いという、「出産否定」の意味があります。

 今の日本では、反出生主義という言葉は、前者の意味でももちろん使われますが、むしろ後者の意味で使われる場面がより目立っていますね。反出生主義とは何かという定義自体が、今のところはっきりしておらず、誤解も生じやすい。ですから今日の話の前提としてお伝えしました。

 佐藤 「反出生主義」という言葉にはいくつかの意味があり、そのうち大きく二つに分けられるということも、明確に整理されていると思います。

 森岡 二〇世紀から、生命倫理の中でロングフルライフ訴訟について議論されてきました。これは一般的には、重い障害をもって生まれた当人が、本当は障害を持って生まれてきたくなかったのに自分を産ませたとして、障害に関する情報を親に与えなかった医師を相手取って訴訟を起こすことです。以前から世界各国で具体的な裁判が起こされており、それを知ったときは衝撃的でした。これは哲学的に見ても大きな問題を孕んでいます。つまり、すでに存在している人間が、なぜ自分を存在させたのか、自分の生は害悪ではないかと主張する。しかしそもそも、こういう訴えが成立するのかということ自体も問題です。

 この訴訟は、人間の命というものに対する最も深い否定なんじゃないかと直感的に思いました。人を殺すという生命の否定よりも、なんで私が生まれてきてしまったのか、生まれてこないほうが良かったという生命の否定のほうがより深いのではないか。ただ、これを言葉で議論するのは大変難しく、なんとかしなければいけないとずっと思っていました。そのなかで、ベネターが、ロングフルライフ訴訟で問われた問題を一般化して議論し、分析哲学を用いて何か答えを与えようとしていることを知りました。

 ベネターの本を読みながら、自分が生まれてきたということをどうすれば肯定できるのかということが、私個人にとって中心的な問題だったのだと気づきました。ベネターの本と出会ったことで、私が生まれてきたということを自分自身が肯定するとは一体どういうことなのかということをちゃんと考えないといけないと自覚し、この問題に「誕生肯定」という概念を与えて、哲学的に掘り下げる作業をしてきました。

 その反対の、生まれてこないほうが良かったという考え方は一体いつからあるのかを調べてみると、かなり昔からあることがわかります。その視点で思想史を振り返ると、「誕生否定」の思想がさまざまな形で浮かび上がってくるわけですね。これは思想史研究に一つの新しいパースペクティブを与えることができると思います。

「誕生肯定」という概念を基本に据えた上で、哲学と倫理学を組み立てていったらどういうようなものができるかをずっと考え続けています。ですから、本書では「誕生肯定」という考え方をこれから深めていくための足場を築くことを目指しました。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます

★もりおか・まさひろ=早稲田大学人間科学部教授。哲学、倫理学、生命学を中心に幅広い執筆活動を行う。著書に『生命学に何ができるか』『増補決定版 脳死の人』『決定版 感じない男』など。一九五八年生。

★さとう・たけし=専修大学文学部准教授。専門は現代英米倫理学・メタ倫理学・応用倫理学。著書に『R・M・ヘアの道徳哲学』『メタ倫理学入門』。一九七九年生。