ともに奏でる♪往還する人類学

対談=川瀬慈×奥野克巳

『エチオピア高原の吟遊詩人』/『マンガ人類学講義』/『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』

 映像人類学を専門とする川瀬慈氏が、テクスト、写真、映像からなる『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きる者たち』(音楽之友社)を上梓した。時を同じくして人類学者の奥野克巳氏は『マンガ人類学講義 ボルネオの森の民には、なぜ感謝も反省も所有もないのか』(MOSAとの共著、日本実業出版社)で、マンガによるエスノグラフィーという新しい試みを行っている。本書の解説にあたる「マンガ人類学入門」では川瀬氏の活動についても触れられており、奥野氏の最近作『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』(亜紀書房)も合わせ、お二人に人類学を巡って幅広くお話いただくこととした。(編集部)
※≪週刊読書人2020年11月27日号掲載≫

『エチオピア高原の吟遊詩人 うたに生きる者たち』
著 者:川瀬慈
出版社:音楽之友社
ISBN13:978-4-276-13571-0



人類学をいかに崩すか、逸脱と調和の動的な均衡を探って

 奥野 川瀬さんがアズマリという歌い手たちを追った『エチオピア高原の吟遊詩人』には、テクストのほかに写真が多用され、アムハラ語と日本語の歌詞が挿入され、さらに巻末にはQRコードがついていて、いくつかの映像作品を観られるようになっています。中でも『ドゥドゥイエ 禁断の夜』は、性をあれほど豊かに表現するパフォーマンスがあるのかと衝撃を受けました。歌語りのところどころで触覚を用います。手を下半身にもって行ったり、スカートを捲り上げたり。聴衆を感覚的に細やかに刺激するパフォーマンス。あれは夜の酒場で、たまたま撮れたシーンだったのでしょうか。

 川瀬 彼女は性風俗を主題にした歌で有名なアズマリです。毎晩彼女のパフォーマンスを求めて、たくさんの聴衆がアズマリベットと呼ばれる酒場にやってきます。彼女は同時に、この店の店主でもあり、経営感覚に優れたビジネスパーソンでもあります。

 奥野 そうなんですね。セックスを歌うとはつまり、人の生を表現するということですよね。非常に詩情豊かで文学性があり、魅了されました。

 川瀬 性風俗のほかにも、国際政治とか、欧州のプロサッカーリーグについて歌うことを得意とするアズマリもいます。店や歌手によって、歌の内容が異なるのです。それぞれ戦略的に特色を出しています。

 奥野 ほかの映像作品もどれも印象深くて、先に結論をいってしまうと、川瀬さんを通じて、人類学はもっと崩してもいいと、教えられた気がするんです。

 人類学は長らく、局地へフィールドワークに行き、民族誌(エスノグラフィー)を、字義通り文字で記述する、形式的なスタイルを積み重ねてきました。それを、視覚だけでなく聴覚や触覚による伝達を含めて、いかに崩していけるのか。写真や映像と組み合わせたマルチメディア的民族誌、川瀬さんはそういう型破りを試みておられる。

 川瀬 ありがとうございます。

 人類学を崩そうという野心があったわけではなく、自然にこうなりました。つまりアズマリやラリベラという、歌い踊り、遊動する人たちをいかに記録し表象しようかという模索の中で、必然的に映像に辿り着いたのです。フィールドで向き合う人々に促されるように、マルチモーダルな記録、表現の方法を探ってきました。

 また、ここ数年取り組む、テクストにおける様々なストーリーテリングの試みも、映像における話法の試行錯誤の延長にあります。アフリカのストリートにおける人々の生き生きとしたやりとりを描くにはどうしたらいいのか考えながら、小説だったり詩であったり、論文だったり、適宜表現の方法を変えています。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます

★かわせ・いつし=国立民族学博物館/総合研究大学院大学准教授。専門は映像人類学。著書に『ストリートの精霊たち』(鉄犬ヘテロトピア文学賞)、映像作品に『Room11,Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」)など。一九七七年生。

★おくの・かつみ=立教大学異文化コミュニケーション学部教授。二〇〇六年以降、東南アジア・ボルネオ島の狩猟民プナンとともに研究している。著書に『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』など、共訳書多数。一九六二年生。