文明の終わりとデモクラシー・クライシス

鼎談=宮台真司・苅部直・渡辺靖

 年末恒例の「回顧特集号」をお送りします。学術・思想・政治・文学・歴史・芸術・ノンフィクションなど、ジャンルごとに一年を振り返ります。1・2面では、宮台真司・苅部直・渡辺靖の三氏に鼎談をお願いしました。(編集部)
≪週刊読書人2020年12月18日号掲載≫

統治権力の「学力低下」

 苅部 新型コロナウイルス感染症の話からはじめましょう。

 宮台 現状では、東アジアの人たちの感染率・重症化率・死亡率は非常に低い。今アメリカで一日の新規感染者が一四~一五万人なのを思えば、人口比から見て日本は百分の一以下です(鼎談当時)。交差免疫説・生活習慣説・ネアンデルタール人遺伝説など諸説あります。いずれにせよ東アジアでは日本は感染率・重症化率・死亡率とも高く、コロナ対策は相対的に成功していない。

 そもそも日本は先進国で最も経済が悪い。二〇一八年には一人当たりGDPが韓国に抜かれ、先日は平均賃金も抜かれた。その平均賃金は先進国の下から二番目で、額は西欧諸国の三分の二以下。日本は失業率と自殺率の相関が高く、コロナ対策で経済的困窮に見舞われると、コロナ死が減っても経済死が増えます。一日平均で見れば既にコロナ死者数よりも自殺者数が多い。経済死者数とコロナ死者数を合わせた全体数を減らす努力が必要なので、本質的に舵取りが難しい。なのに舵取り能力が日本の統治権力になく、信頼されていない。

 統治権力への信頼と市民相互の信頼があるスウェーデンのような国では、各自が賢明だと思う選択をし、結果的に生じた損失や不利益を普遍主義の見地から公的に六〜八割を補填する枠組みを遂行し、死者が隣国より多くても落着いている。

「Gо Tоトラベル」をめぐる「東京から出るのはNG、東京に入るのはOK」みたいなデタラメを見るにつけ、日本の統治権力は無能です。「Gо Tоで感染したエビデンスはない」という菅首相の物言いは、予防原則の存在を知らない「学力の低さ」を示します。「Gо Tо」の利用でお金を落とせるのは金銭的に困らない人たちで、旅客業や関連飲食業は救済されてもシングルマザーなど生活困窮層は救済されない。誰もが困らないようにお金を使う普遍主義を貫徹できないのは、コロナで顕在化した差別やイジメに象徴されるように市民相互の信頼がないのも理由です。

 残念ながら政府が手を打つたびに信頼を失っています。ガバナンスがうまくいかない理由は何か。僕はポピュリズムのフェーズが変わったことだと思います。僕は今まで、有権者の感情的劣化を問題にしてきました。感情的劣化はインテリを憎む反知性主義として表れるが、インテリが非インテリと関わりながら育つような共同体の空洞化が背景だ、というように。ところが、反知性主義的な民意がトランプや安倍や菅みたいな知性を欠く統治を生むのは当然として、それが統治権力の作動自体をズタズタにする局面になりました。

 それが統治権力の「学力問題」です。学力低下は、首相はもとより事実上の政策決定者である警察官僚を中心とする官邸官僚に及びます。学力がある人間ならば誤答を平気で書けません。恥ずかしいからです。ところが学力のない決定者には、誤答の認識がないので、恥もなく誤答に基づく決定をする。それを、学力のある役人たちが恥を忍んで尻拭いさせられる構図が、一一月六日衆議院予算委員会での小川淳也議員に対する大塚幸寛官房長と近藤正春内閣法制局長官の答弁にも見られました。森友学園問題での文書改竄を指示した佐川宣寿国税局長官(元)以来、頻繁に見られる構図です。

 冒頭に話したコロナ対策も同じです。有識者会議の尾身茂会長が「Gо Tо」継続と矛盾しない発言をするように首相官邸側から無体な要求がなされたという報道がありました。要求が知的な根拠に基づくならイザ知らず、少しでも学力があれば到底考えられない選択肢の正当化を学者が強制される事態が、常態化しています。今回の要求はさすがに尾身会長もはね除けたようですが。

 先に触れたコロナ差別やイジメも大変な状況ですが、ポピュリズムの背後にある「感情的劣化問題」の表れです。これは、市民相互の信頼がほとんど存在しないという「新住民問題」と互いを強化し合う関係にあって、共に共同体空洞化による不安を背景とします。どんな田舎にいっても市民相互の信頼が存在しないのが今の日本です。

 渡辺 この一年は、アメリカの大統領選挙の年でもあるので、どうしてもそちらに目が向いていたんですが、比較すると、まだ日本の状況の方がマシに見えてしまう。アメリカの分断状況は前からいわれていたことです。ただ、たとえばトランプの言動については嫌悪しながらも、自分には直接関係がないから、経済がある程度回っていれば看過できた。そんな人たちに対してコロナが襲ってきた。そうなると生命や財産がもろに危険に晒される。このくらいの危機が起きれば、分断から対話モードにいくんじゃないか。そこに唯一の希望を見ていたんですが、実際はむしろ分断を深めてしまった。こういう状況はいかに解消できるのかという問いを突きつけられた一年だったと、私は思います。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます


★みやだい・しんじ=東京都立大学教授・社会学者・映画評論家。著書に『社会という荒野を生きる。』など。一九五九年生。

★かるべ・ただし=東京大学教授・日本政治思想史。著書に『基点としての戦後』など。一九六五年生。

★わたなべ・やすし=慶應義塾大学SFC教授・文化人類学。著書に『白人ナショナリズム』など。一九六七年生。