短剣を手に、世界の終末を生き残る

対談=伊藤詔子×西山智則

『【新編エドガー・アラン・ポー評論集】ゴッサムの街と人々 他』(小鳥遊書房)刊行をめぐって

『【新編エドガー・アラン・ポー評論集】 ゴッサムの街と人々 他』(伊藤詔子編・訳・著)が、小鳥遊書房より刊行された。作家、詩人、評論家、自然史家と数多の顔を持つポー。その姿、作品をめぐり、伊藤詔子氏(広島大学名誉教授)とアメリカ文学研究者の西山智則氏(埼玉学園大学教授)に対談をお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2021年1月29日号掲載≫


マガジニスト・ポー/道化の文学

 伊藤 エドガー・アラン・ポー(一八〇九-一八四九)の文学は、日本の近・現代作家の血肉を成していると言っても過言ではない。ポー作品が深く浸透している背景には、日本語翻訳の長く豊かな歴史があります。最初に訳されたのは「黒猫」(The Black Cat)です。一八八七年『讀賣新聞』に饗庭篂村による「西洋怪談、黒猫」の翻案が掲載され、その後何度も翻訳が出された。以降「モルグ街の殺人」(The Murders in the Rue Morgue)、「ウィリアム・ウィルソン」(William Wilson)、「アッシャー家の崩壊」(The Fall of the House of Usher)「ライジーア」(Ligeia)などの名作短編、「大鴉」(The Raven)「アナベル・リー」(Annabel Lee)などの名詩は、日夏耿之介の訳をはじめ時代毎に名訳詩を生み出し、現在に至っています。

 その中で翻訳が一番手薄だったのは、マガジニストとしてポーが執筆した断片的な批評短文群です。先人の努力で「作詩の哲理」「詩の原理」「某氏への手紙」といった主要な詩論・批評作品は読むことができますが、未邦訳の素晴らしい批評作品はまだたくさんある。私が今回翻訳した作品の一つ「ゴッサムの街と人々」(Doings Of Gotham)は、その筆頭ともいえる書簡作品です。ポーが多くの傑作を発表したフィラデルフィアにあった小さな出版社「コロンビア・スパイ」に書き送った七本の書簡で構成されており、ニューヨークの街の発展や喧噪、出版の中心地になりつつあった都の文壇事情を窺うことができます。一八三〇年頃から急速な都市化と印刷メディアを集中させ始めたニューヨークの出来事や、人々が注目している事件をアウトサイダーの目で活写する。現在の週刊誌に近い形の記述からは、彼がどのような眼差しでマンハッタン島の風景を見ていたのかよく分かります。また、聴覚が優れていたポーは都市のあらゆる雑音や道路の騒音について、細かな証言を残しています。七本の書簡すべてに共通して書かれているのは市街地開発情報、雑誌の創刊や特集情報です。アイルランド移民など、多様な人種でごった返す家屋の情報も興味深い。

ポーと都市の関係は、昔から注目されてきました。ですがマガジニスト・ポーの姿をもう一度考えるには、ニューヨークとポーの関係を伝記的事実も含めて見直す必要があります。ポーが一番長く住んだのは、故郷のリッチモンドを除くとフィラデルフィアですが、「ユリイカ 散文詩」(Eureka: A Prose Poem)や「大鴉」、本書に収録した疫病譚「スフィンクス 謎の雀蛾」(The Sphinx)といった名作はニューヨークで誕生している。所有者となった雑誌『ブロードウェイ・ジャーナル』に掲載したエッセイ「雑誌社という牢獄秘話」からは、ポーがいかに苦難の中で生きていたのかが見えてきます。それでもポーは、書簡内でニューヨークをゴッサムと称し急速に発展していく街の多様性の中で、ジャーナリズムが沸騰していく様子を「文学的アメリカ」として好奇心と愛情をこめて描いている。科学と虚構を交ぜた「でっち上げ」(hoax)という新ジャンル「軽気球夢譚」(The Balloon Hoax)を発表し、このジャンルの批評も書き込んでいます。 マガジニスト・ポーの生成過程を辿るため、本書には五本の評論(「ゴッサムの街の人々」「雑誌社という牢獄秘話」「直覚対理性 黒猫序文」「ダゲレオタイプ論」「貝類学手引書 序文」)と短編「スフィンクス 謎の雀蛾」、そして私の論考三本を収録しています。怪奇小説とはまた違った、趣のある大変面白い作品群です。ニューヨーク関連作品と原注と訳注、そして論考を組み合わせて小冊に仕上げました。ポーが書いたすべての作品を自国語でも読めるようにすることは、外国にいる研究者の役割の一つです。私がニューヨークを初めて訪問した一九八七年以来の長年の課題を、本書で何とか形にできました。

 西山 大学院生の頃、ポーに関する修論を書くために伊藤先生の『アルンハイムへの道 エドガー・アラン・ポーの文学』(桐原書店)を拝読しました。そこですでにポーとニューヨークの関係を述べられていて、とても興味深く読んだ記憶があります。ポーもまた貧困に苦しみましたが、ゴッサムという場所と貧困で思い出すのは、映画『ジョーカー』(二〇一九)がヒットしたことです。『バットマン』の悪役ジョーカーを中心にバットマン誕生を語り直したこの映画は、社会的弱者の話でもある。ジョーカーが騙るバットマン誕生の話は、もしかすると巨大なジョークかもしれない。
 考えてみれば、ポーの作品には読者を煙に巻くような仕掛けがたくさん隠れています。語り手の言っている内容がどこまで本当なのか、何が本当で何が嘘か分からなくなる。「アッシャー家の崩壊」でも屋敷の倒壊は瘴気で錯乱した幻想か、地下に置いていた火薬が爆発して倒壊したのか、どちらとも判断できないのです。
 ポーの作品の特徴の一つに、パリやロンドンを舞台にしながらニューヨークやアメリカの話を書いていることが挙げられます。例えば、「モルグ街の殺人」のオランウータンに奴隷の反乱を重ねることができるでしょう。パロディ的な短編には、ロンドンという都市を舞台にした「群集の人」(The Man of the Crowd)がある。街を行き交う群集をカフェから眺めている語り手は謎の老人を見つけ、彼が何者なのか探っていく。『エドガー・アラン・ポーとテロリズム 恐怖の文学の系譜』(彩流社)に書いたのですが、じつは笑い話としても読めます。語り手はガラス越しに外を見ていた。つまり語り手が興味をひかれた老人の顔は、ガラスの表面に映っていた自分の顔だったのではないか。こう考えると語り手は本当に滑稽な道化で、探偵小説や分身もののパロディです。もちろん、孤独にさ迷う老人が本当に実在していたという読み方もできます。ポーはどこまで本当か分からない、道化的な文学を確立した作家です。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★いとう・しょうこ=広島大学名誉教授・環境文学・エコクリティシズム・英米ロマン派文学。著書に『ディズマル・スワンプのアメリカンルネサンス』『はじめてのソロー』など。

★にしやま・とものり=埼玉学園大学人間学部教授・アメリカ文学・映画論。著書に『恐怖の表象』『エドガー・アラン・ポーとテロリズム』『ゾンビの帝国』など。