黒田寛一著作集全四〇巻 堂々刊行開始!
プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一の著作を集大成

マルクス思想を蘇らせ〈革命の第二世紀〉を切り開く精神的武器

 マルクス思想を蘇らせることを希求し、そのための理論的探究と実践に全生涯を捧げた黒田寛一。盲目の哲学者であり反スターリン主義運動の創始者である黒田寛一の著作集全四〇巻が昨年九月、KK書房から刊行開始された。本著作集は黒田のこれまでの著作を、相互に密接に関連する六つのテーマのもとに分類、構成し、全四〇巻として刊行するもの。本稿では、黒田の生涯を追いつつ、その思想と闘いの軌跡をたどる。(編集部)
≪週刊読書人2021年2月5日号掲載≫

 全世界の労働者階級の自己解放をめざし、革命的実践と理論的探究に生涯を捧げた黒田寛一。盲目の哲学者にして偉大な革命家であった黒田寛一の著作集全四〇巻を、ここに刊行する。

ハンガリー事件と対決し 反スターリン主義運動を創成

 黒田寛一は、一九五六年十月に勃発したハンガリー事件(「非スターリン化」を要求しソビエトを結成して蜂起したハンガリーの労働者人民を、「労働者の母国」と信じられてきたソ連の軍隊が虐殺した事件)にたいして、「共産主義者の生死にかかわる問題」として対決した。そして、全世界の共産主義者や左翼的知識人がこれを擁護しあるいは黙認するなかで、彼はただ一人、一九一七年に誕生した革命ロシアはレーニンの死後スターリンによってすでに反プロレタリア的な「スターリン主義国家」へと変質させられてしまっているということを看破し、ただちに反スターリン主義の革命的共産主義運動を興す歩みを開始した。黒田寛一こそは、時代のはるか先を行く偉大な先駆者であり、二〇世紀が生んだ「世紀の巨人」なのである。

 翌一九五七年以降、黒田は、夫人の荒木新<>子とともに、日本のスターリン主義党である日本共産党を解体し真実の労働者党を創造するための闘いに踏みだした。彼は日本革命的共産主義者同盟(革共同)を結成し、〈反帝国主義・反スターリン主義〉をその世界革命戦略として掲げた(一九五八年)。彼の率いるこの革共同の闘いに揺さぶられて、日本共産党内の多くの青年党員たちが党中央への造反を陸続と開始した。こうして「日本共産党=前衛党」神話は崩壊し、一九六〇年安保闘争が空前の規模でたたかわれた。銘記されるべきことは、国鉄戦線の労働者たちが、日本労働運動史上初の反安保政治ストライキをたたかったことである。こうした闘いは、黒田の闘いをぬきにしてはありえなかったのである。

 またその後黒田は多くの同志と共に、革共同内の大衆運動主義者たち(主に元共産党員たち)と訣別し、革共同を革命的マルクス主義で武装した組織(革マル派)へと純化させた(一九六二~三年の第三次分派闘争)。以降、黒田議長率いる革共同革マル派は、日本階級闘争を領導しつづけた。「階級決戦」主義者の盲動の破産をのりこえてたたかわれた戦闘的労働者・学生による七〇年安保=沖縄闘争の革命的高揚。政府=支配階級を震撼させた一九七五年の史上空前の「スト権奪還スト」の爆発。日本労働運動の戦闘化に恐怖した国家権力が仕掛けてきた革命的左翼破壊のための謀略的殺人襲撃とこれを打ち砕くための決死的闘いの勝利。日本階級闘争史上特筆すべきこれらの偉業もまた、黒田率いる世界に冠たる日本反スターリン主義運動の底力の一端を示すものであった。

「マルクスに帰れ!」――
盲目の若き哲学徒の叫び


 黒田寛一がたった一人で既成の共産主義運動に挑み、たちまちのうちに日本の階級闘争を大きく造りかえたことは、驚くべきことである。だがさらに驚嘆すべきことは、盲目の黒田がこれをなしとげたことである。

 黒田寛一は、一九二七年十月二十日、埼玉県秩父町に医師の長男として生まれた。若き日の彼は、医学を志していたという。だが、この若き黒田を病魔が襲った。「人生航路の転換」を余儀なくされた黒田は、絶望と実存の危機の淵に突き落とされておのれの生きる意味を問い続けた。そしてついに黒田において、おのれのどん底とプロレタリアのどん底とがまじりあい合一化され、彼はマルクス主義をみずからの実存的支柱にすることを決意した。そのために彼は、一九四九年に旧制東京高校を中退し、独学を開始した。敗戦後の日本において澎湃として巻き起こった主体性論争・技術論論争・価値論論争などをめぐる梅本克己や梯明秀らの著作を師とし・かつこれらと対決しつつ、彼はみずからの思想をつくりあげていった。彼の視力は次第に衰えもはや自分では活字を読むことができなくなっていったが、それでも彼は「音読」(アルバイトの学生などに本を読んでもらうこと)を続け、思想的格闘を続けた。こうして黒田は、マルクス主義者としての確固たる主体性をみずからの内に築きあげていった。それと同時に黒田は、スターリン主義者の唯物論がマルクスのそれとは似て非なる・血の通わないタダモノ論にすぎないことを痛覚し、「マルクスに帰れ!」と叫びつつ、スターリンとそのエピゴーネンの哲学を壊滅的に批判すると同時にマルクスの実践的唯物論を深めていった。まさにこうした営為を主体的根拠として、わが黒田は、かのハンガリー事件と対決し、革命家として生きることを決意して世界に類例を見ない反スターリン主義の革命運動を興したのである。

〈実践の場所の哲学〉に立脚した現代革命思想の探究

 マルクスやレーニンと同様に、黒田寛一は、革命家にして哲学者であり理論家であった。彼は自分の住まいに若い同志たちを呼んで、頻繁に各種の組織会議や学習会をもった。会議がない日の彼の一日はおおむね、午前中は世界の情勢を読むことなどに費やし、午後は前衛党組織建設のために内部文書を作ったり組織成員たちの文書を検討したりし、そして夜は理論的探究のための勉強をする、といった毎日であったという。

 一九六〇年代以降の彼は、片眼は完全に失明し、もう一方も原稿用紙に鼻の頭をくっつけてマジック・インクでかろうじて大きな文字が書けるというほどにまで視力をなくしていた。このゆえにテープに音声を吹き込むことが、論文を「書く」主な方法になっていった。さらに一九九〇年代には、彼は両眼とも一条の光も感じない完全失明者となり、もはや文字の記憶を頼りに原稿箋一枚に大きな字で三~四行を刻むことしかできなくなった。晩年の大著『実践と場所』全三巻は、こうして綴られた(その解読は困難を極めた)。こうして彼の残したものは、著作百冊余(英語版・ロシア語版を含む)・講述テープ四百数十本・未定稿・ノートなどなど膨大である。

 こうしたことからして、今直ちに黒田寛一全集を編むことは不可能であり、それは後世に送らざるをえない。この著作集では既刊本および筆者自身が推敲を終えている論文を中心に編んだ。また黒田寛一が変革的実践のなかで思索し探究し執筆したものは哲学・革命理論・経済学・ソ連論および中国論・世界情勢論・文明論・組織建設のための内部文書などあらゆる分野に及んでおり、かつそれらは相互に分かちがたく結びついている。このゆえにこの著作集では、全ての論文を執筆年の順に配列するのではなく、あえて六つのグループに分類したうえでそれぞれを年代順に編成するという方法をとった。《哲学》(第一巻~第十三巻)、《革命的共産主義運動の創成と前進》(第十四巻~第二十五巻)、《マルクス経済学》(第二十六巻~第二十八巻)、《現代世界の構造的把握》(第二十九巻~第三十二巻)、《スターリン主義ソ連邦の崩壊》(第三十三巻~第三十六巻)および《マルクス主義のルネッサンス》(第三十七巻~第三十九巻)の六つが、それである。(『黒田寛一のレーベンと為事』を別巻とした。)

 黒田は、その打倒のために死力を尽くしたスターリン主義・ソ連邦の崩壊を目の当たりにして、書いている。「それによって生きかつ死ぬことのできる世界観として、マルクス主義を、唯物史観を、おのれ自身のものとして主体化しようとしてきた私にとっては、ソ連邦の世紀の崩壊と世紀末世界の混沌への突入は、マルクス思想の真理性の証明いがいの何ものでもなかった。」「マルクスの革命的思想は、時代を超えて、私の、われわれの、そして全世界の闘う労働者たちの心奥において生きつづけ、いまなお燃えさかっている。……《戦争と革命》の第二世紀をひらくために、われわれは、革命ロシアの伝統を受け継いで、プロレタリア階級の全世界的規模での自己解放の闘いを組織しなければならない」と(増補新版『社会の弁証法』所収の「唯物史観と現代」より)。この闘いの精神的武器は、マルクス思想とこれを受け継いだ黒田思想なのである。

 二〇〇六年六月二十六日、黒田寛一は永遠の眠りについた。享年七十八歳であった。彼は今、大きな自然石のままの墓の下に夫人とともに眠っている。墓石の色は深紅であり、その石には「闘」の一字が大きく刻まれている。

黒田寛一著作集刊行委員会

■最新刊!
第二巻 社会の弁証法  二〇二一年一月刊

『社会観の探求』の増補新版(こぶし書房)を収める。初版(理論社)から現代思潮社版へと引き継がれてきた本書は、多くの労働者・学生の読者を獲得し三十万部以上が送り届けられてきた。本書においては、若きマルクス・エンゲルスが確立した唯物史観を――人間不在のスターリン式の史的唯物論を超克し――労働者階級がみずからを解放するための真実の精神的武器としてよみがえらせることが追求されている。巻末の「唯物史観と現代」(一九九三年執筆)では、マルクス思想こそが二十一世紀世界の思想的パラダイムであることが宣言されている。三九六頁 四三〇〇円(税別)

■既 刊
第一巻 物質の弁証法  二〇二〇年九月刊

 黒田寛一の処女出版『ヘーゲルとマルクス』を収める。本書は、病魔とたたかいマルクス主義をおのれの生きかつ死ぬことのできる思想として主体化することを決意した著者が、唯物論の客観主義的偏向に抗して主体性論を追求した渾身の労作である。一九五二年五月(著者二十四歳)に理論社から刊行された本書は、その後一九六八年に装いを新たにして現代思潮社から再刊された。本書においては、マルクス・レーニンがいかにヘーゲル哲学を唯物論的に転倒したかを考察し、マルクス実践的唯物論を創造的に発展させることがめざされている。五一二頁 五七〇〇円(税別)

■黒田寛一 略歴
1927年10月20日 埼玉県秩父町に生まれる。
1949年 東京高等学校理科乙類中退。
1952年5月 『ヘーゲルとマルクス』を処女出版。
1956年 ハンガリー事件(労働者蜂起とソ連軍の弾圧)と対決し反スターリン主義運動の創成に起ちあがる。
2006年6月26日 逝去。享年78歳。

黒田寛一(1927年―2006年)