美輪さん流、身の上相談の極意とは

インタビュー=美輪明宏

美輪明宏著『ほほえみを忘れずに。ルンルンでいきましょう』(家の光協会)刊行を機に

 コロナ禍が続くいま、先行きの見えない時代に、その存在感と言葉が輝きを増す、美輪明宏さんの新刊『ほほえみを忘れずに。ルンルンでいきましょう』が家の光協会より刊行された。本書は、月刊誌『家の光』で二〇年続く人気連載「美輪明宏の人生相談」から、この三、四年の間に寄せられた相談と回答がまとめられたもの。家庭や仕事、子どもの将来、そしてどう生きるべきか。さまざまな不安を抱える人へ、美輪さんが厳しくも優しい言葉で答える。波乱万丈の人生を生き抜いてきた美輪さんの、経験に裏打ちされた力強いメッセージとブレない姿勢は、こんな時代だからこそ人々の救いや指針になるはず。本書の刊行を機に著者の美輪明宏さんに電話によるインタビューをお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2021年2月19日号掲載≫


時代の転換点、人生の岐路に立って

 ――本書の冒頭で、「人生の岐路に立たされたとき、感情を捨てて冷静に考える」、このことが大切だと説かれていらっしゃいます。この言葉は現在の状況にあっても多くの人々の指針となる、前を向かせてくれる言葉ではないかと思います。最初に美輪さんが人生相談にかかわられるようになったきっかけなどお話しいただけますか?

 美輪 人生というのは、修練の経験の積み重ねです。ですから、多角的にいろんなジャンルの人生を実際に経験すると、自ずとそこから答えが出てくるものです。普通の方というのは平凡な家庭に生まれて平凡な人生を歩みますから、ちょっと変わった出来事が起きるとどうやって手を付けていいかわからない。そういう方が多いし、それが当たり前です。わたしがどうして人生相談でいろんな人を助けようと思ったか。話せば長いのですが、まず人生経験ではないかと思います。

 八五年前にわたしが生まれた時代は、ちょうど第二次世界大戦が始まる以前の大正デモクラシーやデカダンス、退廃的なものがもてはやされた時代です。わたしの生家は長崎市内の繁華街で、お風呂屋さんや料亭、カフェーをやっていました。うちの真ん前はレコード屋さんや美術骨董品屋さん、すぐお隣が芝居小屋と映画館で、条件的にとても恵まれた場所で育ちました。

 カフェーの方では女給さんやボーイさんたちが住み込みで働いていて、普通はそういうお店に子どもは出入りできないのですが、大人たちに可愛がられて居心地が良いので、店の中で大人のまわりをうろうろしていました。ところが、そこでお客さんの正体を見るんです。お坊さんや牧師さん、教育者だとか政治家とか世間で尊敬されているような職業の人たちが、お酒がまわると本性を現す。実家のお風呂屋さんや料亭の方では芸者衆がお客様の品定めもしますし、住まいの方からは物干し台に上がると向こう側に女郎屋の裏側が見えた。ですから、見ていいこと悪いこと何もかもひっくるめて見てきて、酸いも甘いも嚙み分けた変な子どもに育ったんです。

 ――音楽や美術のような美しいものから、世の中の裏側まで裏も表もご覧になって、自然に審美眼・批評眼が身に付いたということでしょうか。

 美輪 高級なものから下賤なものまで、上から下まで全部詰め込んだそういう環境で育ったわけです。世間の価値観というのは職業の貴賤でもって偉いか偉くないか、労務者ごときがとか水商売の人たちはいかがわしいとか、その中にも素朴で良い方がたくさんいらっしゃるのに、とかく職業で決めつけたりしますね。わたしはそういうお客さんたちをたくさん見てきて、容姿容貌、年齢性別、国籍、その人の身に着けているものや財産、そういうものは一切見なくなったのです。何を見るかというとその人の本性、魂や本当の正体です。そして、それに対する批評眼も自然と備わってきたのです。

 昔は字が読めない人も普通にいて、女に学問はいらないというのが世間のしきたり、台所にいて子育てしてればいいと、そういう時代でした。でも、カフェーで働いていた人たちの中には滅法インテリの人たちもいて、理由があって女給さんやボーイさんをやっていることもあったんです。そういった人たちが自分のコーナーのところに本を山積みにしていて、わたしが五、六歳になった頃にはボーイさんなんかが退屈しのぎにわたしに字を教えて、明治の文豪たち、幸田露伴や国木田独歩のような難しい本を読ませられたり、歌わせられたりして、良くできると拍手喝采でお汁粉をご馳走してくれた。その一方で人身売買がまかり通っていた時代、本当に人がいいのだけれど教養がないばかりに惨めな生活に陥っている人たちがいた。そうすると、こういう人たちをなんとか助けてあげたいという気持ちが自然に湧いてくるわけです。

 ――そこから、今の美輪さんの人生相談に繫がってくるわけですね。

 美輪 おまけに戦争が始まりましたでしょう。軍国主義の不条理なとんでもない社会になってきたわけです。人が良くて天使みたいな人なのに惨めな境遇におかれた人たちをたくさん見てきて、なんて不合理で不都合なことだろうと、幼心になんとかしなきゃと思っていました。そういう人たちを手助けしたいとずっと思っていて、それが身の上相談の骨子になっているわけです。

 三島由紀夫さんが、わたしが最初に出した『紫の履歴書』の初版本に序文を書いてくださったのですが、「本書は昭和有数の奇書として推すものだが云々」と書いてあって、「まずこの世に優しさを見出した」ということが書いてあるんです。その優しさとは何かといえば思いやりです。それが身の上相談をやり始める発端、きっかけになっているんです。


時間と言葉の問題

 ――戦前から現在まで歴史の大波を幾度もかいくぐってこられた美輪さんが、今の時代を見てお感じになっていること、昔と今とで変わったこと変わらないことなどをお話しいただけますか?

 美輪 まず、変わったのは時間ですよね。わたしが東京に初めて出たのは十六歳のことですが、長崎から東京まで二七、八時間はかかったんです。今は飛行機だと二時間くらいでしょう? 通信手段も昔は手紙と電話しかなかったけれど、今はスマホで良いことも悪いこともすぐに地球の裏側まで届く。そうするとそれに関連して生活自体もそういうスピードになっていく。それに対しての心構えが必要になってきます。昔は噂にしても今のような広がり方はなかったのですが、今はトランプだとかバイデンだとか、世界中のいろんな情報が瞬時に知られる。そこが大きく変わったことだと思います。

 ――本書でも、現代はSNSが普及して自分のすべてをストリップしたい人が多い〝露出狂時代〟だと書いておられます。

 美輪 SNSに書く方も書かれる方も露出狂だと思います。先日もSNSで誹謗中傷を受けて自殺したお気の毒な女性の方がいましたが、わたしがいつも言っているように「返す刀を持ちなさい」ということなんです。まともな人間は決して人の悪口なんか言わないものです。そんな人の言うことをまともに受けて自死するなんて、こんな馬鹿げたことはない。逆に返す刀で「じゃあ、あなたには何があるの?」と、やっつけてやればいいんです。「あなたには何のコンプレックスがあって、そういうことを言わせているんですか?」と言えばいいのです。

 ――本書中の「コミュニケーション上手になりたい」という相談者に対する回答で、美輪さんは「言葉の貯蔵庫を満たしましょう」というメッセージを贈られて、「美しい言葉がつくるきれいな世界」ということを三島作品を例に挙げて提唱されています。

 美輪 先程の質問で昔と今と何が変わったかと仰ったけれど、時間と、それから言葉が変わりましたね。明治時代の新聞で「最近の婦女子の言葉は下品でなっちゃいない」と書かれた記事を読んだことがあるのですが、昔からそういうことは言われている。でも、きちんとした教育を受けた婦女子たちは、言葉遣いというものをとても大事にさせられたんです。今は渋谷辺りに行くと、男の言葉と女の言葉と境界線がなくなって、それは男女平等でよいかも知れないけれど、耳障りですよね。いま若い人たちは「カッケー」なんていうでしょう? 何のことかと思ったら、賭け事でもなく、脚気という病気のことでもなく格好がいいということらしいけれど、タメ口ばかり使っていると社会全体がタメ口の社会になるんです。「あの映画ご覧になって? 面白いことよ」とか「御覧なさいましよ」と言えば、自然と何か気品が漂って、言った方も言われた方も気持ちがいいでしょう? わたしがナレーションを務めた、NHKの連続テレビ小説「花子とアン」(二〇二一年一月から再放送)でも、言葉が問題になっている場面があります。ですから、みなさんきれいな言葉を使いましょう。ご家庭のご主人と奥様との会話でも、「ご苦労様」「ありがとう」「お手数をおかけしました」とか、お礼とねぎらいの言葉をちゃんと気前よく言うべきだということですね。

 ――本日はありがとうございました。(おわり)