「不条理」な人の世をどう生きるか

志賀内泰弘インタビュー 聞き手=井上理津子

シリーズ『京都祇園もも吉庵のあまから帖』(PHP文芸文庫)をめぐって

「まずは、甘いものでもおあがりやす」。

 京都・祇園を舞台に、一見さんお断りの甘味処「もも吉庵」を営む元芸妓・もも吉が、悩みを抱えた人々の心を癒す。古都の四季折々の風物詩とともに人々の哀歓を描く人気シリーズ『京都祇園もも吉庵のあまから帖』第三巻が三月六日刊行される。第三巻の刊行を前に、著者の志賀内泰弘氏にインタビューをお願いした。聞き手はフリーライターの井上理津子氏。本稿では、小説の核となった祇園の女将との出会いや小説の思いがけない舞台裏、作品の背後に秘められた著者の想いなど、小説を深く読み解くインタビューで本シリーズの魅力を読者にお伝えする。(編集部)
≪週刊読書人2021年2月26日号掲載≫


祇園の〝お母さん〟との出会いから

《表は趣のあるお茶屋の造り。格子の引き戸を開けると、点々と連なる飛び石が「こちらへ」と言うように人を招く。〔…〕襖を開けると、店内は、L字のカウンターに背もたれのない椅子が六つだけ。カウンターの内側は畳敷きだ》、女将である「もも吉」は、そのカウンターの中から畳に正座してお客様を出迎える。《女将のもも吉は、祇園で生まれて祇園で育ち、十五で舞妓のお店出しをした。二十歳で芸妓となり、その後、母親のお茶屋を継いだ》《今も踊りやお茶を続けているからか、背筋がシャンと伸びている。細面に富士額。黒髪のせいもあり、とても七十を超えているようには見えない》

 井上 犬矢来に格子戸の建物が似合いすぎるほど似合う、和服姿のたおやかな女将さんが目に浮かびますが、この物語の主人公・もも吉さんには、実際のモデルはあったのでしょうか?

 志賀内 まず最初に、祇園の〝お母さん〟との出会いがあったんです。

 月刊『PHP』誌の編集長から連載のお話があって小説の舞台を「京都・祇園」にすると決まったときに、版元さんの紹介で伺ったのが、祇園甲部の老舗お茶屋「吉うた」さんでした。お茶屋さんというと本当はお座敷に上がるのが普通なのですが、「吉うた」は一階にホームバーがあって、女将さんは一階で普通の人がちょっと飲むくらいのことが出来るようにしようと、大阪万博の前年、周囲に先駆けてホームバーを造ったんです。第二巻の表紙の絵は、その「吉うた」の一階の造りそのものなのですが、描写する設定はそこで、女将であるお母さんはもも吉の生き方の精神的なモデルになっています。

 お母さんは「おもてなし」とはこういうものだということを教えてくれた人なんです。

 井上 ということは、この物語をお書きになるために、お住まいになっていた名古屋から祇園に相当通われましたね。花代も遣われたのでは(笑)。

 志賀内 そうですね。印税ではとてももとが取れないくらい(笑)。

 でも、私は「吉うた」のお母さんと出会うことができて、めぐり合わせが良かったんです。


祇園の「粋」と、「おもてなし」

「うち、昔っから『おせっかい』が嫌いやったんどす。行き過ぎた親切とか心遣いとかは、かえって仇になると信じてました」「『おせっかい』は『粋』やあらしまへん。そやけどなぁ、歳を重ねるに従って、少しばかり考えが変わってきたんどす」「言うこと、思うことも言わんと死んでしまうのも…言わんことがほんまに、人のためになるんか思うて…」(第一巻第二話「悩み秘め 恵美須神社に願いごと」七四・七五頁)

 井上 祇園の「おもてなし」についてお聞きしたいのですが、ほかの都市の花街と較べて、接待や居心地はどのように違うのでしょうか?

 志賀内 多分ですが、高級クラブのようなお店で接待されると、大抵の場合は褒めて持ち上げると思うのですが、祇園はそうではない。普通の会話、世間話をするだけです。例えば京都なので、「お母さん、きれいなお着物ですね」「そうどすか」とか。「明日どこどこへ行くんです」「よろしおすなあ」とか。お土産を「これどうぞ」と渡ししても「おおきに」と言われるくらいです。

 井上 お客の方がせっかく気をつかって話の口火を切ったのに、愛想がないじゃないですか。

 志賀内 愛想がないのとはまた違うんです。ゴマをする、「おじょうず」を言うということがないんです。うわべのことでは褒めないし、ちょっとしたことでは喜ばない。だって、私がお世話になったお母さんは映画監督のフランシス・コッポラや相米慎二のような一流の人たちを接待してきているわけです。

 井上 媚びを売らず、お客の機嫌もとらない。なのに心をつかむ。そういう祇園の「おもてなし」の神髄はどういうところにあるのでしょうか?

 志賀内 わかりやすい例で話すと、お母さんと京都を訪れる外国人観光客の迷惑行為について話していたときに、そういう観光客を祇園の中に入れないように対策したらどう?と言ったら、「それは違うてます」と言われるんです。なぜかと尋ねてもそれに答えることはないのですが、お付き合いする中でお母さんの行動を見ていくとそれがわかっていく。彼女たちは締め出すのでなくモラルを守ってほしいと思っている。例えば、花見小路の石畳に観光客がガムを捨ててこびりついている。それを年に一回、舞妓さんと芸妓さんがお好み焼きのヘラではがす美化活動をされていて、それがニュースにもなったのですが、そういうことも演出して発信されている。いけないことを「あきまへん」というのは粋じゃないんです。

 井上 直球を投げるのは粋じゃない、ということですね。その「粋」を解するにはお客側に推察力も教養も要りそうです。

 志賀内 凛としている。そして粋である。それがもも吉の生き方でもあるんです。


「不条理」をテーマに

 ――物語には、もも吉の娘で元芸妓の美人タクシードライバー美都子をはじめ、「もも吉庵」の常連で住職の隠源、舞妓修業中の奈々江、老舗和菓子店の新入社員・朱音(あかね)、そして毎回さまざまな事情を抱えた人々が登場する。

 井上 とりわけ、「仕込みさん」の奈々江ちゃんと老舗和菓子店「風神堂」の期待の新入社員・朱音さんに、今の時代性というものをうまく取り入れていらっしゃると感じました。登場人物にもやはりモデルがいらっしゃるんですか?

 志賀内 朱音さんにはぼんやりと二、三人はモデルのような人がいるのですが、奈々江ちゃんは特にモデルはいないんです。

「〔…〕奈々江ちゃんは事情がある娘でなあ。〔…〕これから言うこと、誰にも言うたらあかんよ」「あの娘はなぁ、大きな過去を背負って生きてるんや」(第一巻第一話「桜舞う 都をどりのせつなくて」五五頁)

 井上 奈々江ちゃんは東日本大震災というすごく大きな過去を背負って登場します。

 志賀内 震災のことは小説に取り入れたいと思っていました。あの震災が起きたことで日本人の考え方が変わったのではないでしょうか。実は、私が本作でテーマにしているのは「不条理」ということなんです。なぜ私だけがこんな辛い目に遭うのか。理屈ではなく、どんなに頑張っていても辛いことが起きてしまうことが人にはある。東日本大震災では一万五千人以上の方が亡くなられました。もしかしたら誕生日だった人もいるかもしれないし、病気が治った直後だった人もいるかもしれない。なのに、なぜ死ななければならなかったのか。誰にも説明できません。仏教で言えば諸行無常で、世の中というのは無常なんです。だから駄目なのではなくて、だからどう生きるか。試練をどう乗り越えるのかということが大切になってくるのです。


「艱難辛苦」を 超えて

 ――本シリーズ執筆に至るまでには、著者自身の深い悲しみがあった。

「三年半程前に二七年間連れ添った妻を癌で亡くしたんです。六年間自宅で看病介護して最期はホスピスでした」と志賀内氏は言う。亡くなるまでの一年半は一時たりとも気が抜けない、睡眠時間も取れない。そういう生活の中で小説に向き合うことが唯一辛い現実を忘れられる時間だったと話す。そのときに『PHP』に連載していたのが前作『5分で涙があふれて止まらないお話 七転び八起きの人びと』という作品だった。

「八起稲荷という願い事を叶えてくれるお稲荷さんの門前商店街の人々が登場する連作短編なのですが、この本の校正をやっていたときは明日は来ないかもしれないという最悪のときだった」。奥さんは本が出ることは知っていたが、実際に手に取ることは叶わなかったそうだ。


 井上 書くことが辛さ軽減になった……。作家魂に頭が下がります。本作も、その延長で執筆なさったんですか。

 志賀内 生きる気力もないけれど、死ぬ勇気もないような中で半年が過ぎた頃、「そうだ。明日死んでしまうかもしれないのだから、行きたいところへ行こう」と京都へ足が向いたんです。ちょうどその頃に、編集長から何気なく新たな連載の話があったり、物語の舞台は自ずと京都に心が決まりました。

 井上 つまり、京都は必然だったんですね。

《もも吉は一つ溜息をついたかと思ったら、裾の乱れを整えて座り直した。〔…〕もも吉が帯から扇を取り、ポンッと小膝を打つ。〔…〕「お兄さん、あんた間違うてます」》(第一巻第三話「寺社めぐり 小春日和の栗ぜんざい」一七〇頁)。

 志賀内 このシリーズのもう一つのテーマは「艱難辛苦」です。人はいろいろな苦難に出遭う。それは自分で招いたものもあれば、招かざるものもやってきたりする。その苦難に遭っているときこそ人間が試されるときで、どうやって生きていくのか、乗り越えていくのか。逃げる場合もあるかもしれないけれど、自分で判断がつかないときに、もも吉が教えるのでも導くのでもなく、「それは違うてます。こうやおまへんか」とヒントを授けるんです。

 井上 本書のエピソードにも、亡妻の写真を胸に京都のお寺をめぐる男性が登場しますね。教えるのでなく暗に示すでもなくて、ストレートに言わずにヒントを授けるときの匙加減というのは難しいですね。

 志賀内 そのあたりの感覚はやはり「吉うた」のお母さんから学んでいることなんです。こうしなさい、ああしなさいと言ったらそれはもう粋ではなくなってしまう。

 結局、誰でもそうだと思うのですが、自分で気づかないことには人間変われないんです。例えば「気張りなはれ」と言われても、気張るってどういうことか、自分なりに解釈できないことには変われない。気づけるかどうかは本人次第なわけです。


「喜怒哀楽」味わうものは万人共通

 井上 このシリーズには老若男女さまざまな世代の人たちが登場します。一話完結タイプのお話で、年齢を問わずどこから読んでも楽しめる小説だと思いますが、それぞれのエピソードの発想のもとはどこにあるのでしょうか?

 志賀内 人間の「喜怒哀楽」、辛いとか苦しいとか味わうものは万人共通で、子どもから大人まで変わらないわけです。このシリーズにはサラリーマンや旅人、高校生も登場すればお年寄りも登場する。第一巻五話に出てくるお坊さんの話だけは実話をもとにしていますが、それ以外のエピソードには全部タネがあります。私は「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」という運動で「いい話」を集める活動もしていて、新聞やメルマガにこれまで五〇〇〇話くらい書き続けていますから、そこで蓄積されたものがベースにあるんです。

 井上 「いい話」に着目されるそもそものきっかけはあったのですか?

 志賀内 きっかけは私自身が病気をしたことでした。私は二年間会社で上司のパワハラに遭って、三五歳のときにストレスで劇症型の潰瘍性大腸炎になって入院して、退院できた後もどうやって生きていったらいいかわからなくなりました。それでたまたま京都の東洋医学のお医者さんに通っていたのですが、一年くらい通った頃、その先生に「君には感謝が足りない。いまは病気が落ち着いたけど、今の生き方のままだったらまた再発する。生き方を変えなきゃ駄目だ。まず感謝から始めろ」と言われて、それが始まりでした。

 井上 ご病気を克服するために「いい話」を探すことを思いついたということでしょうか?

 志賀内 そうですね。心のベクトルを良い方に向けなきゃいけないなと。意識してアンテナを立てているとピピッと反応してそういうものが見つかるんです。私はよくタクシーを利用するのですが、年に一、二度はすごい人に出会う。とんでもない人がいるんです。

 井上 なるほど。アンテナを立てて「いい話」を集めることによって、もちろんお仕事にも繫がっているし、ご自身の生き方、根幹をなすものが変わっていく。

 志賀内 どちらが先かわかりませんが、変わっていく。小説にも仏具店の跡取り娘さんが出てきますが(第二巻第二話)、隣家の同級生に対して嫉妬心が出てきて悪い方へ悪い方へと傾くわけです。でも、同級生が表彰された、学年で一番になったというときに、妬むのか一緒に喜んで私も頑張ろうと思うのかで人生変わってくる。ですから、心を良い方向に向けておくために、「いい話」を見つけてお手本にしてこういう生き方をしたいなと考えるわけです。

 井上 読者の方も本書を読むと少しマインドが変わって、心が楽になるかもしれないですね。新しく出る第三巻でも登場人物たちの運命がどう動いていくのか、続きが楽しみです。

 志賀内 実は第三巻で奈々江ちゃんにまた試練があるんです。

 井上 えっ?奈々江ちゃんはまだ試練が続くんですか……。もも吉庵の〝麩もちぜんざい〟で力をつけて乗り切ってほしいです。若いときにそれだけ試練があると、長じてからはたくさんの幸せがやってくるのでしょうか。

 志賀内 第三巻ではものすごくドラマチックなことが起きます。本当にとんでもないことが起きてくるんです。

 井上 気になる!早く続きが読みたいです。(おわり)

★しがない・やすひろ=作家。世の中を思いやりでいっぱいにする「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動代表。月刊紙「プチ紳士からの手紙」編集長。「志賀内人脈塾」主宰。著書に『5分で涙があふれて止まらないお話 七転び八起きの人びと』『№1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡』『京都祇園もも吉庵のあまから帖』など。

★いのうえ・りつこ=フリーライター。著書に『さいごの色街 飛田』『遊廓の産院から 産婆50年、昭和を生き抜いて』『葬送の仕事師たち』『いまどきの納骨堂』『医療現場は地獄の戦場だった!』(大内啓著、聞き手=井上理津子)など。最新作は『絶滅危惧 個人商店』。