芥川賞について話をしよう第19弾

小谷野敦×倉本さおり

第一六四回 芥川龍之介賞をめぐって

 第一六四回芥川賞は、宇佐見りん『推し、燃ゆ』が受賞。ほかの候補作は、尾崎世界観『母影』、木崎みつ子『コンジュジ』、砂川文次『小隊』、乗代雄介『旅する練習』だった。前回に続き、小谷野敦氏と倉本さおり氏に、芥川賞について、お話いただいた。(編集部)
≪週刊読書人2021年3月19日号掲載≫


「明けなさ」に向き合う「天皇小説」
◎『推し、燃ゆ』


 倉本 今回は小谷野さんも私も、『推し、燃ゆ』推しでしたね。

 小谷野 スマッシュヒットという感じでした。しかし吉田修一の講評は否定的でしたね。

 倉本 選考委員の講評ではアイドル文化に親しんだ自覚がある人ほど、厳しい見方をしていたように感じました。ただ、アイドルという「カルチャー」の文脈から読んでしまうと、読み違えてしまう作品だとも思う。

 この作品では、主人公がなぜ「推し」を持たざるを得ない状況に至ったかということを掬いあげるために描かれています。「生まれたときから今までずっと、自分の肉が重たくてうっとうしかった」、つまり行動原理を「推し」という外部に預け、他律的な時間を生きることでようやく生活を営んでいるんですよね。

 小谷野 私は〝人間は「推し」がいなくても生きていかなければいけない〟という主題だと読んだけれど、受賞後のインタビューで本人は、〝推しを持つ気持ちを認めてほしい〟ということを繰り返し語っています。それが引っかかっている。

 倉本 ラストシーンで主人公が這いつくばって綿棒をひろいます。推しがアイドルであることを止めてしまった、ならば自分は推しへの思いを埋葬し成仏させて、そこから四つん這いででも、自分の足で生きなければならない。そういう内容だと私も読みました。

 小谷野 最初に言ったのは長瀬海ですが、これは「天皇小説」と読むことができると思っています。

 倉本 その読みはある程度可能だと思う。作中に「明仁くん」とか「八月十五日」といった単語が出てきますから、意識して織り込まれているのでしょうね。

 小谷野 「推しは人になった」とかね。二〇一九年夏に週刊読書人に掲載された古谷田奈月『神前酔狂宴』のインタビューに、〝天皇という存在が必要な人(略)は実際にいる〟とあったけれど、それに対するアンサーのように『推し、燃ゆ』を読みました。〝天皇がいなくても生きていかなければならない〟と。三島由紀夫が「英霊の聲」で〝などてすめろぎは人間となりたまいし〟と書いたのと重なります。ただ、本人の言を受けると〝天皇が必要な人間の気持を分かってほしい〟ということになってしまうのだけど。

 倉本 一気に危うさを孕みますね。実際は、マスコミがキャッチーなところばかり切り取ってしまうだけで、〝推しがなくても生きていかねばならない、でも……〟という、段階のある発言だったのではないかと。そう考えると両立します。

 小谷野 宇佐見が影響を受けたという中上健次は、「天皇が崩御したときに文学者は挽歌をうたえるか」というような、独自の天皇意識を持っていた人でもあり……。

 倉本 うーん、宇佐見さんは保守的なイデオロギーを摂取しているというよりは、「天皇」をモチーフとして扱っているように思います。あの世代はそこが面白くもある。前回の受賞者の遠野遥さんも、夏目漱石を読んであの小説になるのが不思議で興味深いなと。

 小谷野 そうだろうけれど、中上健次を読んでいて何も考えていないということはないでしょう。

『文藝春秋』のエッセイは最後がよかったですね。「明けない夜がある」、「明けなさ」に向き合って書いていきたいと。「少なくとも三年のあいだ「夜が明けない」状況で出口が見えなかった」と語っていました。

 倉本 その当時に感じたことが、作品に織り込まれているのでしょう。前作『かか』も、決別の話という点で『推し、燃ゆ』と通底する作品です。癒着している親との関係を断ち切ろうともがく話。

 小谷野 『かか』の中には、『推し、燃ゆ』の要素がありますよね。

 倉本 ですから自分の欲望として〝推しを認めてほしい〟と言っているのではなく、そのような救いがない人たちの気持ちを認めてほしい。でも、人はそれがなかったとしても生きていかなければいけない、という「決別」が、客観的に書かれていると考えていいのではないでしょうか。

 小谷野 いまのところは、そう考えておくのがよさそうですね。

 倉本 居酒屋でのバイト風景はとてもよかった。主人公のあかりが情報の取捨選択ができずに、方々のお客さんからオーダーがくるわ、片付けなければならないわ、料理を運ばなければならないわ、その時間の流れと脳内のぐちゃぐちゃした様子がとてもうまく描かれていた。著者と語り手が癒着していたら、ああいう描写はできません。

 小谷野 すみずみまで神経が行き届いた文章。レベルが非常に高い。「蓮華寺では下宿を兼ねた」という『破戒』の書き出しを真似ようとして、綿矢りさが「寂しさは鳴る」とやってうまくいかなかったのを、宇佐見は「推しが燃えた」と、あっさり成功させた。才能です。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★こやの・あつし=作家、比較文学者。著書に『聖母のいない国』(サントリー学芸賞受賞)『とちおとめのババロア』『この名作がわからない』(小池昌代との共著)『歌舞伎に女優がいた時代』など。一九六二年生。

★くらもと・さおり=書評家、ライター。一九七九年生。