今を生き抜くために、アソシエーションを

柄谷行人ロングインタビュー

『ニュー・アソシエーショニスト宣言』(作品社)刊行を機に

 思想家の柄谷行人氏が、約二〇年前に立ち上げ、およそ二年で解散した運動体NAM(New Associationist Movement)について検証・考察する書籍『ニュー・アソシエーショニスト宣言』を、作品社より上梓した。NAMは、柄谷氏の著作『トランスクリティーク――カントとマルクス』で提示した理論を「実践的レベルで追求するための試みであった」(序文七頁)。本書には、アソシエーショニスト運動をテーマにしたインタビュー・講演に加えて、二〇一一年に起こった東日本大震災と原発事故以来、全国各地で盛んに行われるようになったデモに関する論考も収録されている。また、『トランスクリティーク』にはじまり、『世界共和国へ』『世界史の構造』『憲法の無意識』へとつづく柄谷氏の二〇年にわたる理論的仕事を概観できる一冊ともなっている。刊行を機に、柄谷氏にお話をうかがった。(編集部)
≪週刊読書人2021年3月19日号掲載≫


〝NAM原理〟

 ――NAMは、二〇〇〇年六月、資本と国家を揚棄することをその目的に掲げ結成されました。最盛期は七〇〇人の会員が参加する運動体でした。組織の原理は、本書の付録にも収録されており、以下の五条に集約されます。

①NAMは、倫理的―経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。
②NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程に置くということを意味する。
③NAMは、「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。
④NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚制的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。
⑤NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戦が不可欠である。


 今回読み直してみますと、今引用したプログラムとその解説も含めて、現在でも通じる新鮮な理論として受け止めることができます。二〇年前に書かれた文章というよりは、この時代に差し出されたものとして、改めて読まなければならないのではないか。柄谷さんは、NAM解散後も、この問題について考えつづけてきたともおっしゃっています(序文九頁)。NAMの原理が、決して古びることなく、新しい提起として読むことができる、その点について、まずお伺いできますか。


 柄谷 今新しく見えるというのは、逆に言うと、発表された時点では、ほとんど理解されていなかったということです。そのことは、当時からわかっていました。NAMを二年で解散したのは、具体的にはいくつか理由はありますが、むしろ根本はそのためだった。そもそもNAMをはじめたきっかけは、本にも書きましたが、情況出版の古賀暹から、「アソシエ」という組織の関西支部を作ってくれないかと頼まれたことにあります。私が関西に引っ越すことを知ったからですね。それで、関西ブント系の活動家と付き合うようになった。彼らが、その後NAMの中心グループのひとつになっていくのですが、私が考えた「NAM原理」を誰も理解していなかったと思います。関西ブントのままでした。

 一方で、NAMを旗揚げすると、東京圏を中心とした人たちが出てきました。その中の中心は、主に地域通貨をやりたいと考えていた人たちです。しかし、彼らは地域通貨の意味をはき違えていた。NAМは全国組織だから、電子通貨にして全国の人たちが使えるようにしたいという発想だった。そんなものはまったくの間違いです。LETS(地域交換取引制度)の考案者であるマイケル・リントンも、尼崎の私の家に来たとき、そのような考えに反対だと言っていた。地域通貨の実験をするならば、ローカルな一地域ではじめるべきだ、と。LETSの「L」は、ローカルですから。

 とにかく、東京勢と大阪勢が対立して喧嘩をするようになった。実際には、さまざまなアソシエーションを現実にやっていた人たちがかなりいたのですが、彼らはこのような議論には入らなかった。ということで、このままでは組織を続ける意味がないと思ったのです。仮にあのまま組織を存続させれば、「原理」そのものまで変えなければいけなくなったでしょう。だから組織を解散して、自分の著作として「NAM原理」を保持しようと思ったんですね。そして、すでに存在するアソシエーションは、それぞれ独立しつつアソシエートして行こうということにしたのです。

 ――今の話に関連しますが、当時を振り返りますと、NAMは、インターネットに根差した運動であった側面が強かったと思います。それが逆に盲点にもなった。現時点から見て、「原理」に欠けていたもの、補足することなどがあればお聞かせください。

 柄谷 それについては以前、明治大学の講演で話したことがあります。こういうことを言いました。NAMをはじめた時、コンピュータが必須の道具になるので、会員みんなに買うかアクセスできるようにするかして欲しい、とお願いした。そのことで「ブルジョア的」だと批判されました(笑)。それはともかく、インターネットに対しては、私自身がまったく無防備だったと思います。たとえば、メーリングリストでの会話が全部筒抜けだった。今ならセキュリティ対策を講じて、閉じたサークルの中に限定して議論することもできたでしょうが、そういう考えがまだなかった。だから、関東と関西で、顔を見たこともないのに罵りあうようになってしまった。その後、インターネットが本格化した時期に気づいたのは、むしろ、人と人が直接会うことが重要だということです。それから「共食」ですね。共に食うこと。古くさいと思うかもしれませんが、情報通信技術が発達する以前のコミュニケーションに戻ってやったほうがいいという考えになってきましたね。何をするにしても、ネットだけでやろうとするのは間違っている。二〇年前の段階では、そこのところの考えが甘かったと思います。<つづく>

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★からたに・こうじん=思想家。東京大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授を歴任。一九六九年、「意識と自然―漱石試論」で群像新人文学賞を受賞。著書に『マルクスその可能性の中心』『定本柄谷行人集』など。一九四一年生。