東日本大震災から十年。夜明け前の一瞬の零下に。

和合亮一インタビュー

『ふたたびの春に』『未来タル』『Transit』刊行を機に

 和合亮一氏が、東日本大震災から一年間の記録として詩と文章を収めた『ふたたびの春に 震災ノート 20110311-20120311』(祥伝社)、十年を振り返る『未来(いまき)タル 詩の礫 十年記』(徳間書店)、新たな文体の詩集『Transit』(ナナロク社)を上梓した。これを機にこの十年について、詩についてなどお話を伺った。(編集部)


いまここ。この刻みを刻もう。

 ――和合さんがこの十年綴り続けた言葉には、「刻む」というイメージがあります。『未来タル』には十年間を振り返った詩とコラムと対話が入っていますが、世の中と向き合い言葉を刻み続ける行為こそが、詩なのではないかとも感じました。

 和合 震災からまる十年が過ぎましたが、このように書き続けてきたことは、必ずしも予測していたことではありませんでした。震災直後は特に、書くことで絶望感から抜け出そうとしていたところがあって、まずは自分自身のために書いていた感じです。それがだんだん言葉の向こうにいる人に届くようにと、書き方が変わっていきました。手探りでしたが、季節のめぐりの中で、木が芽吹き、花が咲いて、散っていくのと同じように、人の心の変化や兆しを逃さないように、そこから閃きをもらって必死で書き続けてきた十年だったと思います。ところが十年続けてみたら、それが自分の心の記録、記憶にもなっていました。

 ――『未来タル』では、現在紡がれた詩の末尾に、震災直後に書いた詩が呼ばれ、一つの詩として再生しています。その中に〈いまここ。この刻みを刻もう。〉という一行がありました。また震災直後に書かれた詩に〈2時46分に止まってしまった私の時計に、/時間を与えようと思う。〉とあります。「刻む」という言葉に、書くことと時を刻むことを思い浮かべますが、自分の中の時を動かすためにも、言葉を刻もうとされたのかなと思いました。

 和合 自分が生きてきた証のようなものを、引っ搔くようにして刻んでいきたいという欲望は、物を書く人はもっていると思うんです。「引っ搔く」が「書く」になった、という説を聞いたことがあります。

 震災の後、毎晩「詩の礫」をツイッターで発信しました。毎晩十時に投稿するようになっていって、その時間になるとツイッターを見てくれる人がいて、十時という時間が自分の中に刻まれました。およそ二時間即興でツイートし続けていく、その時間感覚が、記録する行為=書くことと結びついていきましたし、実際、詩だけでなく月日も刻印されていきました。震災前はシュルレアリスムの、イメージや夢の世界を詩にすることが多かったんです。ところが震災以後は、詩がドキュメントになり、言葉は刻みとして表れてきた。それにたくさんの人がリツイートや「いいね」を返してくれました。リアルタイムでいつどんな言葉を刻み、届けるか。いまここに刻むことが、発信者と受信者の間で、何かを結び合う感覚は、確かにあると感じています。

 時間には「時」と「間」があって、「間」は自由に伸びたり縮んだり、一方「時」は機械的な何か=数字を表しています。「時」はデータ=現実そのものとみなすとするならば、「間」はイメージを心にもたらしていく。それらを結び付けて形にしていくのが、「刻」ではないか。そんなことを地震に揺られながら考えていたことを昨日のように思い出します。

 ――『未来タル』の、〈背筋の底から震えが来た。/分かった。〉〈夜が明けようとしているのだ。〉という一連、この夜明前の震えに立ち止まりたいと思いました。

 和合 中原中也賞をいただいたときは三〇歳そこそこで、夜に書いていました。寝ずに書いていますから、あるとき限界がきて頭がめぐらなくなったんです。そこから十年かけて朝型に変えました。いまは四時頃から起き出して書いていますが、朝のインスピレーションには、いつも何か前向きな力を得るんです。夜、どんなに絶望していても(笑)、朝になればなんとかなる。夜明け前の時間が生きる力を与えてくれます。

 そしてあるとき、夜明けのテーマを、繰り返し書いている自分に気づきました。客観的な事実か分かりませんが、夜が明ける瞬間に一番の寒さを感じています。原稿を書きながら、いままさに太陽が顔を出す時だ、と意識する自分がいて、そのとき背筋の震えを感じるんです。その一瞬の冷気を感じる瞬間、言葉がやってきます。いままさに、強烈な光が世界に飛び込んでくる瞬間だ、言葉が生まれる瞬間だと、そう自分に言い聞かせているところがあるかもしれません。思考と感覚の零度のようなところに、自分が自分を超えようとする何かがみつかると信じているんです。吉増剛造さんは天国と地獄の間の「煉獄」に、詩人はいると言いました。谷川俊太郎さんや吉増さんは、常に詩人という器であろうとしています。私は煉獄ならぬ「夜明け前」にいるとするなら、そこに立ち止まって、一瞬の震えがくるときに、言葉にできない何かを言葉にしようともがいている姿だけは、見せたいと思ったのかもしれません。

 ――〈一瞬の零下に。〉〈詩を書くことを約束させられた気がした。/何に。/貝殻に。〉の一連に、震災で亡くなった方々との交流を感じました。

 和合 昨年十二月にふくしまナラティブ・スコラというイベントで、高校生たちがプレゼンテーションしました。その中である高校生の「生と死を隔てるものって何ですか」という言葉が心に残りました。震災から十年目の新年を迎えたときに一番先に思ったことは、津波でさらわれてしまった友人や知人や教え子は年若いままなのだと。ずっと若いまま、私たちの生の傍らにいるのだ、と思ったんです。振り返るとこの十年間、津波にさらわれた友人や知人と、話をするように書いてきたところがありました。それは、生と死が隣り合っているような感覚、というのでしょうか。

 ――『詩の礫』の胡桃の実。『未来タル』の貝殻。その感触を〈冷たい。忘れてはならない、と〉書いていました。胡桃は種であり命、貝殻はかつて生きたものの証であり記憶と受け取りました。

 和合 いまを生きている方々は、十年の歳月の亡骸のようなそれぞれの「貝殻」を、心の中にもっていると思うんです。震災のみならず、いのちの懐のようなところで、そうした「貝殻」を拾い上げている。生きるとは何かとか、言葉とは何かとか、深いところでこの世界の真実に向き合いたいと思っている。でも現在のコロナ禍や日本社会に対して、どこかで不安や恐ろしさを抱えているのに、そういうものを見ないように語らないようにして、日常を送っているのではないかと思います。私たちはもっと語り合うべきではないかと、年の初めに言葉を摑もうとする中で、感じていました。震災の経験を通して、コロナの現実や、生きるとは何かということを語り合えたらいいと思っています。


言葉と向き合うシンプルな暮らし

 ――コロナ禍に書かれた「詩の礫」の中に、〈海の底にある ペットボトルには いろんなものが詰まっています 誰か見つけて 拾いあげてそれをすべて 吐き出させて欲しいのです 空っぽにして欲しいのです 小さな貝殻も一緒に その塩辛い水の名前は 「孤独」〉という詩があります。コロナ禍の人々の気持ちも、被災された方々の気持ちも、代弁しているようだと感じました。

 和合 ずっと現代詩を書いてきましたが、難解な詩を面白いと言ってくれる人もいれば、難しくて読めないと言う人もいて、それでいいと思っていました。ところが震災を経験して、原子力発電所がもっと大きな爆発をするんじゃないかとか、福島県全域が立ち入り禁止エリアになって、福島という名前が地図から消えてしまうのではないかとか、いろいろ考えたときに、ここに生きていた証を引っ搔くように残したいし、たくさんの人にいまの故郷を伝えたいと。そう思ったときに〈放射能が降っています。/静かな夜です。〉というような、前衛とは正反対の言葉になっていったんです。

 いろいろな人の言葉を聞くために避難所に通いました。でも話してくださいって相手の方を見ると、話せないものなんですね。耳を傾けると、目の前の私の耳に、いろいろな話をしてくれました。話して記憶が蘇ると、涙が出るんです。涙は心が壊れないための防衛本能だと聞いたことがありますが、涙声に耳を傾けると、私も涙が出てきます。そういう瞬間がたくさんありました。それが自分にとって、最も信用できる瞬間でした。あぁこれを探していたんだ、という直感があった。

 そして耳を澄ませて、みつけた閃きを、自分は詩にして問うたわけです。生きている会話の中に詩がみつかっていく、それは詩壇で書かれる言葉とは違います。言葉のキャッチボールの全てが、言葉の現場になっていきます。バイデン氏の就任式で、学生が詩を朗読しましたよね。いわゆる機会を捉える詩、「機会詩」と日本では呼ばれていますが、定着していません。機会詩がもっと日本で書かれるべきです。

 災いが続いています。東日本大震災の後、熊本でも、北海道でも震災がありました。そしていまはコロナ禍です。そうした災いから逃れられない時期に来ているのではないかと思います。そして、詩も過渡期だと思うんです。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が愛唱され続けていますが、そうした大正時代の詩の在り方に、戻っていこうとしているのかもしれない。私たちは、災害や世情や政治への不安やいろいろなものを経験して、身の丈にあったシンプルな暮らしについて考え始めている。そしてそれは、言葉に丁寧に簡潔に向かっていくことなのではないか、そんなことも思います。

 ――言葉にしかできないことがあるのではないか。和合さんが、風景の中に戻れない故郷を見つけだそうと、記していくこと。或いは分断を越え、境界を染み出していくことは、詩にしかできないことなのかもしれないと。

 和合 いま誰もが少なからず傷ついているし、閉じ込められているし、不安を抱えていると思います。コロナの状況でノーマルが反転して、「ニューノーマル」ということが盛んに言われるようになっています。もちろんいままでのように自由に出かけて、人と会うことができる暮らしに戻りたいけれど、一方で飾り気のない単純な暮らし方も出来るものだな、と気づきました。物を書いたり本を読んだりする暮らしは、そもそも非常に簡素なものです。コロナ禍は私たちみなに、自分の時間について考えさせている。暮らしのよすがになるのが言葉だということに、現代人は気づき始めているのではないか。私にとっても、それが詩を書くことの本当の理由になってきている気がするのです。

 震災の直後、書くことで自分を励ましたと同じように、このつらい状況を書くこと、読むこと、言葉と向き合うことで、乗り越えることができるかもしれない。つらい状況にあるからこそ、身の丈にあったシンプルな暮らし方を探すことが、必然ではないかと思ったりしています。

 ――『Transit』では、海の向こうのシンガポールやカリフォルニアや、シベリアに想像を運んでいます。〈Gate〉という詩の中に〈やがて 帳面がびっしりと 記録の文字で/埋められたから 仕事を終えることにしたい〉とありました。一つ先へ進もうとされている感じを受けました。

 和合 二年前にカリフォルニアに行った時、カナダの空港で半日ほどのトランジットがありました。そのとき考えていたのは、やはり死者たちのことでした。あのとき一瞬の津波にさらわれなかったら、どんな人生を歩んでいたんだろう。僕はカナダへ行き、さらにサンフランシスコに行くけれど、死者たちはカナダに行って、その先の空港がなかった。このカナダの空港にいる人たちがみな津波にさらわれた人たちで、自分だけサンフランシスコの空港に行くのだとしたら……そんな想像と、実はまた別の人生があって、彼らがそれぞれほかの空港に行ったなら、どんな世界に辿り着いただろうと。あったかもしれない人生を、亡くなった人たちの声を翻訳するように、詩にしてみたいと思ったんです。

 それはいままで自分が書いてきた現代詩でもないし、あるいは機会を捉えて書いてきたドキュメントでもない。その間を行ったり来たりするような、そういう詩が書けないだろうかと。第三のビールをもじって、第三の文体と呼んでいます(笑)が、村上春樹さんの作品のように、ふっと深いところに入って、ふっとどこかにいってしまうような、ああいうものを詩でずっと書いてみたかったのです。長い時間をかけて、新しい文体をようやく構築することが出来たという実感があります。

『再びの春に』は過去、『未来タル』が現在だとすると、『Transit』は未来かなと思います。これからどんな詩を作っていくのか、行ったり来たりを繰り返す中で、それぞれの文体が育ってくるといい、と思っているところです。(おわり)
≪週刊読書人2021年3月26日号掲載≫


★わごう・りょういち=詩人。福島市生れ。著作に『After』(中原中也賞)『地球頭脳詩篇』(晩翠賞)『詩の礫』(フランスのニュンク・ポエトリー賞)『QQQ』(萩原朔太郎賞)など。一九六八年生。