緩やかな縁、豊かな無縁

対談=湯浅誠×藤原辰史

『むすびえのこども食堂白書』(本の種出版)『縁食論』(ミシマ社)をめぐって

 コロナ禍で失業や貧困、自殺などの問題が切実さを増す中、インフラのように欠くことができない存在となりつつある、こども食堂の存在にますます注目が集まっている。こども食堂や社会運動をめぐって、『むすびえのこども食堂白書 地域インフラとしての定着をめざして』(全国こども食堂支援センター・むすびえ著、本の種出版)の編者である、社会活動家の湯浅誠氏と、『縁食論孤食と共食のあいだ』(ミシマ社)の著者で、農業史・食の思想史を専門とする研究者の藤原辰史氏に、対談をお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2021年3月26日号掲載≫


こども食堂は貧困問題のイノベーション

 藤原 湯浅さんは「反貧困」という課題で、派遣労働者問題やホームレス問題などに、アクティビストとして長く関わってこられ、現在はNPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの理事長として、活動に取り組んでおられますね。

 湯浅 阪神淡路大震災が起こった一九九五年から、ホームレス支援に関わるようになり、それ以後貧困問題に関わってきたのですが、画期になったのは政府が貧困率を認めた二〇〇九年です。そこでステージが変わって、日本に貧困があるのかないのかという議論をするフェーズが終りました。そして二〇一〇年代には高齢者の貧困、女性の貧困、子どもの貧困――というように、カテゴリーごとの貧困問題が順に注目されるような状況が生まれました。

 そういう中で、私がこども食堂と出合ったのは二〇一五~六年のことですが、こども食堂は貧困問題のイノベーションだと思いました。

 私が抱えていた課題の大きな一つがとにかく、広がっていかないことでした。反貧困ネットワークを二〇〇七年に設立し、年越し派遣村へ共鳴してくれる人が増えたものの、全国に立ち上がった反貧困ネットワークは約二〇とか三〇。当時の私の感覚からするとそれでもすごい数でしたが、こども食堂はいま、約五〇〇〇あります。私が関わり始めた当時の新聞報道では、約三〇〇団体でした。二〇一九年からは一二〇〇箇所も増えるという、桁違いの広がり方を見せています。関わる人の裾野が広がることは、社会問題を考えていく上で、とにかく大きいと感じています。

 こども食堂に携わる方がしておられることは、言ってしまえば「おせっかい」です。つまり子どもの貧困対策や困窮者支援というような言葉で人々が思い浮かべるようなことではない。しているのはたとえば、コロッケを食べたことがない子がいたと知ると、次はメンチカツを出してみたり、雪の日にこども食堂をおやすみにしたら、「今日はないんですか」と電話がかかってきたので、こんなに待っている子がいたのかと食事を届けたり。これは行政による貧困対策や支援とは全く違うものです。でも人を支えるという意味では、極めて重要な「対策」「支援」の場とも言えます。

 藤原 これまで湯浅さんがしてこられた派遣村での、生活保護申請の手助けや就職支援のような、直接の貧困対策というわけではない。でもそこの関わり方に、こども食堂の特質があるわけですよね。

 湯浅 こども食堂の八割が、「こども」と名乗ってはいるものの、「どなたでもどうぞ」と門を開いています。つまり自分は困っています、助けてくださいと言わなくても、訪れることができる場所だということです。私の言い方だと、「青信号」の顔をして行ける。そこが、いかに困っているかを伝えないと助けてもらえない、行政窓口とは決定的に違うところです。そうせずに行ける場所を、困っている人に気づいたら、手を差し伸べたいと思っている人たちが運営している。先ほどの雪の日の話ではないですが、自分たちにできることを、柔軟に行っている。これは発明だと思いました。そして地域交流という側面を捉えて、全国にワーッと広がっていく。これが貧困問題が認められた日本の、現在のフェーズにおける取組み方だと感じ、本格的に関わるようになって四~五年経ちます。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★ゆあさ・まこと=社会活動家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授。全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。一九六九年生。

★ふじはら・たつし=京都大学人文科学研究所准教授・農業史・食の思想史。著書に『分解の哲学』(サントリー学芸賞)など。一九七六年生。