フーコーの思考の展開、広く深い共同研究

鼎談=小泉義之×立木康介×田中祐理子

『フーコー研究』(岩波書店)刊行

 岩波書店より『フーコー研究』が刊行された。京都大学人文科学研究所の長期的な共同研究の成果が収められた大著である。ミシェル・フーコーの講義録や『性の歴史Ⅳ 肉の告白』を含めた、その探究の可能性や魅力に光を当てる各論考の密度の濃さに圧倒される。本書刊行を機に、編著者で立命館大学大学院先端総合学術研究科教授の小泉義之氏、同じく編著者で京都大学人文科学研究所教授の立木康介氏、執筆者で神戸大学国際人間科学部准教授の田中祐理子氏に鼎談していただいた。(編集部)
≪週刊読書人2021年4月2日号掲載≫


なぜ共同研究でフーコーを取り上げたか

 立木 京都大学人文科学研究所の共同研究「フーコー研究──人文科学の再批判と新展開」は、小泉さんを班長として、二〇一七年四月から二〇二〇年三月まで活動した研究会です。二〇二〇年度もその論集づくりが続き、『フーコー研究』はその最終報告書です。班員三三名のうち二九名、ゲストの丹生谷貴志さんを加えて、総勢三〇名の執筆者、三〇本の論文から成ります。

 この「フーコー班」の前身は、市田良彦さんを班長として二〇一一年から二〇一六年まで続いた人文研の共同研究「ヨーロッパ現代思想と政治」でした。市田班が終了したあと、次の共同研究で何をテーマにするかが、当時の幹部たち(?)のあいだで話し合われたのですが、私がその環に加わったときには、すでにフーコーを扱うことが決まっていました。そこまでの経緯は小泉さんのほうがお詳しいと思いますので、まずはそれを小泉さんにうかがうところからはじめられたらと思います。どうして「フーコー」だったのでしょうか。

 小泉 京大人文研にはフランス思想の共同研究の伝統があり、それは桑原武夫編の『ルソー研究』に始まります。市田班が終わるときに、その共同研究を継続したいという気持ちが強くありました。同時に、フランスの現代思想のなかで、誰を取り上げると共同研究になりやすいかを考えました。ビックネームはフーコー、ドゥルーズ、デリダです。ドゥルーズ/ガタリについては、人文研とは別に、檜垣立哉さんや鈴木泉さんと共同研究を組織してきました。アカデミズムでもドゥルーズ/ガタリ研究はだいぶ定着したように感じています。デリダについては、ふさわしい研究者が多くいるので、これから共同研究が行われていくと思います。

 フランス現代思想が何だったのかを、歴史的に総括するべき時期が来ています。フランス現代思想が流行った二〇世紀後半から、時代が大きく変わってきているという印象があります。現在を分析するには、理論的にフランス現代思想に決着をつける必要があります。その思想から引き継ぐべきものと、捨てるべきものとを選り分けていく。その作業は共同研究という形で総体的に行うべきだと思いました。

 なぜフーコーかというと、まず、フーコーの研究分野や影響力がきわめて幅広いからです。それはドゥルーズやデリダ以上だと思います。彼は狭義の哲学だけでなく、文学や社会科学にもまたがる仕事をしていますね。たとえば、今日、精神の病や精神医療がアカデミズムの重要なテーマになったのも、フーコーの『狂気の歴史』があったからです。それ以前はそういう研究は人文社会系のアカデミズムでは認められていませんでした。同じことはセクシュアリティや刑務所、犯罪の研究についても言えます。フーコーは明らかに、それまでのアカデミズムを変えたんですね。これが共同研究でフーコーを取り上げた理由のひとつです。

 さらに決定的だったのは、市田班の最後のころ、フーコーとアルチュセールの関係が問題として浮上してきたことです。もちろん、アルチュセール研究で世界的に有名な市田さん自身の関心もあります。彼の話を聞いているうちに、一九七〇年のフーコーはアルチュセール派なのではないかと思い始めました。いわゆるアルチュセール派には、主にアラン・バディウ、ジャック・ランシエール、ジャック=アラン・ミレールがいますが、市田班のコアなメンバーは継続してもらうこともあり、フーコーを取り上げると共同研究がやりやすいのではないかということも念頭にありました。

 立木 小泉さんがおっしゃったように、アルチュセールとフーコーの関係は、私たちの関心としてずっとありましたし、最後のほうではほとんどオブセッションになっていたとすら言えるかもしれません。二〇一六年三月には、人文研でこのテーマをめぐるシンポジウムも催しました。市田さんのリードで、アルチュセールがつねに中心的な話題でありつづけたというのは、市田班のひとつの特徴だったと思います。

 田中 いま思い出すのは、市田良彦さんが、フーコーのいう真理陳述(veridiction)の様式について整理され、たとえばドゥルーズとは違って「フーコーにはどうしても何か真理というものが残る」と発言されたことです。それがずっと頭に残っていました。小泉さんからのメールで、今度はフーコー研究をやる、参加するならどんなテーマをやるかと問われたとき、フーコーにとっての真理の問題を考えたいとお答えしたのを覚えています。

 今回の研究会でフーコーを取り上げると伺ったとき、正直に言うと「なぜいまなのか?」と驚きました。フーコーはすでにアカデミズムにある形式として定着している印象をもっていたからです。ただ「つまり規律権力、社会構成ですね」と、フーコーがキーワードに置き換えられて語られることもとても多い。使われるものとしての「フーコー」と、市田さんがいうようなフーコーの「真理」の摑みがたさは乖離していると感じました。ですから、フーコーが問題にしたことを確かめ直したいと思いました。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★こいずみ・よしゆき=立命館大学大学院教授・哲学・倫理学。一九五四年生。

★ついき・こうすけ=京都大学人文科学研究所教授・精神分析。一九六八年生。

★たなか・ゆりこ=神戸大学准教授・哲学・科学史。一九七三年生。


★『フーコー研究』執筆者一覧(論文掲載順)
小泉義之、西迫大祐、隠岐さや香、坂本尚志、佐藤淳二、田中祐理子、松本潤一郎、藤田公二郎、森本淳生、柴田秀樹、上田和彦、武田宙也、立木康介、上尾真道、柵瀬宏平、久保田泰考、王寺賢太、相澤伸依、佐藤嘉幸、中井亜佐子、北垣徹、箱田徹、前川真行、廣瀬純、長原豊、千葉雅也、丹生谷貴志、堀尾耕一、布施哲、市田良彦の各氏