コロナウイルスの時代のイメージ

ジャン=リュック・ゴダールインタビュー

ローザンヌ州立美術大学公式インスタグラムより(聞き手=リオネル・バイエール/翻訳=久保宏樹)

 コロナウイルスの感染が拡大する中、、多くの知識人たちが言葉を発信してきた。本号では、映画監督ジャン=リュック・ゴダールのインタビューを載録する。(編集部)

 御歳八九歳のジャン=リュック・ゴダールがインスタグラムでライブ配信を行うという知らせが話題となったのは、新型コロナウイルスによる都市封鎖のため、ヨーロッパ全土で移動の自由が奪われ三週間が経った時のことだった。終わりの見えない状況の中、誰もが家の中で退屈もしくは不安を覚えていた。配信当日には、世界中から多くの視聴者が集まり、七〇年近くにわたり映画を出発点として、現在形の世界に対峙し続けている「若き」映画作家の言葉に耳を傾けることになった。

 本インタビューは、スイスのローザンヌ州立美術大学(Ecole cantonale d’art de Lausanne/以下ECAL)映画学部長リオネル・バイエールによって、ECALの公式インスタグラム(@ecal_ch)を通じて二〇二〇年四月七日に行われた。配信された映像は、ECALのウェブサイト〔註1〕で、現在でも確認することができる。今回のインタビュー全文掲載はECALの厚意により実現に至った。掲載にあたり様々な要求に応えてくれたECALのセリム・アタクゥルトゥ氏には、多大な感謝を申し上げる。(久保宏樹・パリ在住)
≪週刊読書人2021年4月16日号掲載≫


三つの報道紙

 リオネル・バイエール(以下LB) ジャン=リュック、初めてもいいでしょうか。

 ジャン=リュック・ゴダール(以下JLG) ええ、はい。心の準備はできています。

 LB 学生たちが続々と参加しています。このような時間を設けていただき、ありがとうございます。

 JLG はい。

 LB 今回のインタビューを頼んだのには、二つの理由があります。人々がテレビのニュース番組を通じて多くの映像を目にすることになり、誰もが自宅待機を強制された際に、私はあなたのことを強く考えることになりました。なぜならば、あなたは、当然のこととして、映画の映像について頻繁に考え批判するのと同時に、コミュニケーション(=伝達手段)としての映像についても考え批判しています。とりわけ、メディアやテレビの映像についてです。私があなたのことを強く考えるきっかけとなったのは、ウィンブルドンとローランギャロスが中止になるという知らせを耳にした時でした。そのような事件が、あなたにとって重大なことであると思えたのです〔註2〕。

 JLG 今日では、それほどの重要性はありません。

 LB 今でもテニスに関心を持ち続けているのでしょうか。

 JLG 少しだけ、わずかに、ちょっとだけです。それほど関心があるわけではありません。以前のような興味はありません。

 LB 私には、映画が、デジタル上に移行してしまう過渡期にあるものの一つに思えます。人々はすでに一ヵ月半にわたってデジタル上で映画を観ており、映画館で映画を観ることがなくなりつつあります。ですから彼らは、ここ数年来、多くの映画館が閉館していることすら気にかけていないのかもしれません。状況を知っているのは、夏のバカンス中に映画を観に行く家庭くらいです。それとは異なりスポーツでは、たとえばテニスのために私たちができることは何もありません。テニスは、まぎれもない見せ物です。テレビのニュース番組や情報全般に関して、あなたは今でもテレビを頻繁に見ているのでしょうか。

 JLG 私は、フランスのいくつかの報道を少しだけ目にしています。ニュース専門放送局をほんの少し見る以外に、大衆向けのテレビを見ることは滅多にありません。私が見るのは、ニュース専門放送局だけです。それらのニュース専門放送局は、実は主要テレビ局のスピンオフです。私がニュース専門放送局を見るのは、世界で起きていることを知るためですが、同じ内容が繰り返されるようになったら見るのを止めます。『オ・テアートル・ス・ソワール』〔註3〕のようなものです。そうした繰り返しを、スケッチ(=短い喜劇)として脚本にしたこともあります。しかしながら、脚本にする以上のことを実現するとなると、難しくなるはずです。実際にニュース専門放送局で働いている人――たとえば女性――を見つけなければならず、さらにその人物の私生活と対比をしなければならないからです。彼女らは、私生活でニュースと同じことは語りません。情報のために死ぬことはできますが、自分の人生を生きることはできないのです。だから適切な人物を見つけるのは困難です。シェークスピアの舞台であるかのようにキャスターを演じてしまう役者をキャスティングすることはできないからです。それ故、演者には実際のキャスターが必要となります。キャスターは普段通りにニュースを放映して、その後にひとりの人間の生活を、フィクションの会話を撮影されることを了解しなければいけません。「人間の生活」という言葉からは、コクトーの『人間の声』〔註4〕を想起します。テレビについて話すとなると、このぐらいのものです。

 LB あなたがニュース専門放送局、途切れることのない情報を見ていると発言されるのには、――必ずしも夜八時のニュース番組を問題にしていません――特別な理由があるのでしょうか。

 JLG 特別な理由があるわけではありません。私は一日に、一度か二度ニュース専門放送局を見てまわります。五つか六つのチャンネルを見ることになります。カナルプリュス〔註5〕で映画を観ることもありますが、非常に稀です。時には番組表に目をやり、再び観たい昔の映画があるか、手元に置くためにダビングしたい昔の映画があるか確認します。ニュース専門放送局は一日中同じ内容を繰り返しているので、朝見れば、その日の夜か翌日の朝に見れば十分なのです。新聞のようなものです。私にとっての新聞なのです。私の住むスイスの新聞は全く知らないので、ニュース専門放送局が新聞の代わりとなっています。アンヌ=マリー〔註6〕と私は、『リベラシオン』『カナール・アンシェネ』『シャルリ・エブド』の三つの新聞〔註7〕しか読んでいません。三つの報道紙であり、満足のいくものです。それだけで十分なのです。

 LB 『レキップ』〔註8〕はもう読んでいないのでしょうか。

 JLG はい、もう読んではいません。時々、『ル・モンド』を読むことがありますが、『リベラシオン』と比べると、とても質の悪い文章に思えます。『ル・モンド』の文章は、偉大な書き手によるものではなく、——官僚的なわけでもなく、時には、他の書き手よりも優れた作家がいたとしても——ただの文章だということがわかるはずです。しかし『リベラシオン』は、書いている人のリストをみれば、何を目指しているのかはすぐにわかります〔註9〕。『ル・モンド』のリストは、雇用者のリストにすぎません。導いていく「ル・モンド」〔註10〕はありますが……

 LB ニュース専門放送局を見る際に、ラッシュ(映画作品として完成する前の映像の断片)を見ているように感じることはありませんか。つまり、わかりやすいかたちで、頻繁に繰り返される出来事があります。毎日、全ての時間に、あらゆる放送局で、ニュース番組のキャスターがその身振りによって僅かな変化を与えながら、同じ映像が繰り返されます。

 JLG はい。人々は『オ・テアートル・ス・ソワール』を見るようにして、報道を見るだけなのです。一人か二人のお気に入りのキャスターを見つける。なぜなら、彼らは他のキャスターよりも弁が立つからです。しかし、それ以上のことはありません。情報そのものは、そもそもウイルス自体については、大した情報を伝えていないようです。それよりも、シャノン〔註11〕や他の人々の情報理論に依拠しています。<つづく>

本編のつづき&[註]の内容は以下で読めます


★ジャン=リュック・ゴダール=フランスの映画監督。一九三〇年、パリ生まれ。『カイエ・デュ・シネマ』誌等に映画批評を書きながら短編映画を数本撮った後、一九五九年『勝手にしやがれ』で監督デビュー。ヌーベル・ヴァーグの先頭にたつ。主な作品は以下。『女と男のいる舗道』(一九六二)『はなればなれに』(一九六四)『気狂いピエロ』(一九六五)『アルファヴィル』(一九六五)『中国女』(一九六七)『東風』(一九六九)『6×2』(一九七六)『勝手に逃げろ/人生』(一九八〇)『パッション』(一九八二)『カルメンという名の女』(一九八三)『ゴダールのリア王』(一九八七)『ヌーヴェルヴァーグ』(一九九〇)『新ドイツ零年』(一九九一)『ゴダールの決別』(一九九三)『ゴダールの映画史』(一九九八)『愛の世紀』(二〇〇一)『アワーミュージック』(二〇〇四)『ゴダール・ソシアリスム』(二〇一〇)『さらば、愛の言葉よ』(二〇一四)『イメージの本』(二〇一八)。