日本の近代史、講談社が歩んだ道のり

対談=魚住昭×中島岳志(司会=横山建城)

『出版と権力』(講談社)刊行を機に

 講談社。誰もが一度はこの出版社が刊行した書籍・雑誌に触れているだろう。ではこの日本有数の大出版社が創業からどのような歴史を辿って現代に至ったか、その足跡を600頁を超えるボリュームで綴った『出版と権力 講談社と野間家の一一〇年』(講談社)が2月に刊行された。

 未公開資料を駆使しながら、4年の歳月を費やして講談社のオーナー一族である野間家の物語を書き記したフリージャーナリストの魚住昭氏と、創業者の野間清治と同時代を生きた岩波茂雄、下中彌三郎、2人の評伝を書いた政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の中島岳志氏に対談いただき、日本近代における出版が果たした役割、講談社・岩波書店・平凡社の比較、野間清治の人となり、などを語ってもらった。また本対談の司会を本書編集担当の講談社・横山建城氏にお願いした。(編集部)

※本対談は前半部を「読書人WEB」で無料公開し、後半部は有料記事として読書人オンライショップでお買い求めいただけます。



大衆とメディアと権力

 横山 本日は魚住さんと中島さんに、このたび刊行した『出版と権力』についてお話いただくことになり、たいへん嬉しいかぎりです。本書は魚住さんが4年がかりでお書きになった1冊ですが、中島さんは本書をお読みくださってどのような印象をお持ちになりましたか?

 中島 そうですね、本書で魚住さんは講談社と創業家の野間家をモチーフに日本近代史における大衆とメディアと権力の関係を描かれましたが、僕が研究している政治学の領域でも大衆とメディアと権力の関係は常に研究の対象として考察されている題材です。この問題を論じる上でまず思いつくのはユルゲン・ハーバーマスの『公共性の構造転換』(未來社)ですが、この本の中でハーバーマスはヨーロッパにおける市民的な公共圏、つまり権力者に対する批判的なチェック機能の役割を果たした政治的領域の成立過程を論じると同時に、その公共圏が破綻し、構造転換を迎えていることを絶望的に書いています。では公共圏の構造転換とは何か、それは大衆とマスメディアの誕生ですね。それが支配側の巨大権力と一体になり公共圏を形成していた中間領域が消滅する、ということをハーバーマスは見抜きました。

 大衆の問題を扱った本ということでいえば他にオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』(岩波書店)もあります。1930年刊行の本ですが、オルテガは個性を重視しない、人々の均質化を望む大衆社会が必然的に全体主義を生み出すことになる、そういった社会のシステム・メカニズムを批判的に検証しています。この本が出版された数年後にナチス・ドイツが台頭し、あるいはソ連ではスターリンが指導者として君臨する、そういった歴史的事実を的確に予見した書として今でも支持されていますね。

『出版と権力』を読んでいて感じたのは、ハーバーマスやオルテガらが警告してきた大衆、メディア、権力が一体化した世界のあり方にこそ魚住さんの問題意識の中核があるのではないか、ということです。講談社、野間家を主役にして日本の出版史ひいては近代史を紐解かれましたが、それは現代社会が抱えている大衆、メディア、権力の問題に対する危機として照射されている。だから本書は歴史を扱いながらも極めてアクチュアルな1冊である、そんな印象を持ちました。

 魚住 私はハーバーマスもオルテガもきちんと読んでいるわけではありませんが、「大衆とメディアと権力」という、今、中島さんがおっしゃった問題意識は常に僕の頭の中にありました。「大衆とメディアと権力」の関係性を明らかにしなければ、現代を理解できない。そして現代のことを理解するためには近代を知る必要がある、これは今までの記者としての取材経験が元になって、自然と形づくられた僕の確信です。近代をテーマにしながら現代を照射する作品を書く、というのは長年の念願でした。今回、たまたま講談社の多くの方のご協力やご厚意によって、講談社、そして創業家である野間家の歴史を詳細に記した資料に出会うことができ、本書を書くことができました。

 でき上がった本を前にして、よくここまでたどり着けたな、仲間に恵まれたんだな、運も良かったんだなというのが今の正直な気持ちです。


大衆の誕生、講談社・岩波書店・平凡社の創業

 横山 日本において中島さんのお話にあったハーバーマス的な公共圏のような空間は、結果的に上手く形成できなかったと言っていいと思います。しかし、その代替として出版文化が醸成され、大衆に対する情報提供を担ってきました。その役割を果たした主要人物として中島さんが以前評伝をお書きになった岩波茂雄と下中彌三郎、そして今回魚住さんが描いた野間清治(以下清治)が挙げられると思います。そこでヨーロッパとは異なる過程で形成された大衆の特質とそれに呼応する形で出版が発達していった日本的現象をおふたりがどうご覧になったかお伺いしたいです。

 中島 今ご紹介いただいた2冊の評伝、『岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像』(岩波書店)は2013年に、『下中彌三郎 アジア主義から世界連邦運動へ』(平凡社)は2015年に刊行しましたが、これは各社の創業100周年記念事業の一環として出版でした。つまりこの10年前後の時間というのは明治末から大正初期にかけて出版社が次々と勃興していったちょうど100年後のタイミングにあたるわけです。講談社は前述の2社よりも数年早く創業していますが、今から100年前に現在も続く出版社が立て続けに創業された同時代性をどう捉えるべきか。

 この3社が出来てきた時期を年表的に見てみると日露戦争が大きなトピックとして記されています。そして日露戦争終結後、日本に対して結ばれた講和条約に反対する群衆蜂起が発生しますが、その象徴が日比谷焼き討ち事件です。この事件は『出版と権力』中でも大きなポイントになる出来事で、なぜならこの群衆蜂起はマスメディアが煽り立て、集まったモブが暴力装置として大きな力を持ち政治に圧力をかけたものであり、それまでの一揆や自由民権運動とは明らかに性質が異なります。だからこの日比谷焼き討ち事件こそが日本における大衆誕生の瞬間だったといえるのです。そして大衆の誕生に呼応する形で講談社、岩波書店、平凡社などの新興出版社が次々に出来た。この大衆の誕生と出版社創業の相互関係を見ることと並行して創業者の清治、岩波、下中の三者が大衆に対してどのような見解を持ち、それぞれがどうアプローチしていったかを丁寧に見ていく必要がありますね。

 横山 三者の見解の違いとは対象の違い、すなわち岩波がこの時代のトップエリート層、下中が知的エリートになりそこねた人たちの層、そして清治が初等教育しか受けることしかできなかった最も広範囲の社会の裾野の層、とそれぞれが異なる階層にアプローチしていった違いだった、といえるでしょうかね。

 魚住 講談社はもともと『雄弁』という弁論雑誌からスタートしていますので、創業時は岩波書店ほどではないですがエリート学生、あるいはその予備軍を読者層に想定していたのですね。ところが大逆事件の影響で政府の厳しい取り締まりにあい『雄弁』の部数が半減します。そこで清治は生き残り策として講談社の名前の由来になった『講談倶楽部』という雑誌を発行しますが、これは『雄弁』とは真逆の、社会の裾野に位置する大衆を読者設定したつくりをしました。やがてドル箱雑誌となった『講談倶楽部』が講談社の基礎を築き、その後の方向性を決定づけることになったのです。

 このように新しい時代の社会の流れをいち早く敏感に摑み取る力を持っていた清治はまさに天才的な事業家だったいえるでしょう。岩波、下中にもそれぞれ清治とは違う魅力はありますが、国家や大衆の動向を察知するという意味での清治の先見性は圧倒的だったと思います。

 中島 三者の人物比較をもう少し掘り下げると、出自が似ているのは下中と清治ですね。両者とも岩波のようなトップエリートではないし、なおかつ教師という仕事を経て出版業界に足を踏み入れたということからも、似た経歴同士です。性格的にもワンマン的なところを魅力にかえることができたという共通点もあります。

 かたや一度はドロップアウトしたとはいえ、一高に進学しエリートコースを歩んだ岩波はふたりとはだいぶ違っていて、彼は日露戦争前後の時期に生まれた大衆とは異なる、新しい若者像にどっぷりハマっていった人です。この新しい若者像について少し解説をします。これは司馬遼太郎さんの小説『坂の上の雲』のタイトルを分析するとわかりやすいのですが、坂というのは幕末から明治にかけての日本が欧米列強に対する憧れと劣等感を抱きながら、富国強兵、殖産産業によって近代化し、一等国を目指して国民一丸で登っていく道程のメタファーですね。明治初期の若者たちというのはお国の目標と自己の出世欲が一致していたので、ひたすら坂を登っていくだけでよく、ある意味わかりやすい存在でした。そして日本は日露戦争を経てようやく坂の上の雲に手が届くところにたどり着きました。しかし雲というのは遠くで見るのとは違い、目の前に立つと実体はないし、摑みどころもない。その上先行きも見えなくなる、というものですよね。この雲のイメージが今から100年前の新しい若者像と見事に合致するのです。明治初期の若者たちのように立身出世に意味を見いだせず、それよりも自分の生きる意味を模索したのが新しい若者像で、この若者たちを生み出していったのが一高という国内最高峰の知的空間で、この世界に飛び込んでいった岩波は夏目漱石や藤村操らの影響を享受していきました。そして一高文化の代名詞であるデカンショ節が醸成されていくような、文化のさきがけを掬い上げるために岩波は古本業をはじめ、やがて出版業へと向かっていくことになりましたので、清治や下中とは住んでいる世界があまりにも違うのですね。

 かたや清治と下中は雲の中にいる人々ではなく、その下の大衆を見ていました。そして彼らは大衆を相手に己の立身出世を図った。ところが清治と下中が見ていた大衆像は多少異なっていて、清治は社会の裾野に位置する人々とがっぷり四つで組み合いましたが、下中の場合、岩波と清治の中間にいる知的領域に強い憧れを持っている人たちを相手にしたのです。下中自身トップエリートに仲間入りできなかったコンプレックスもあり、『や、此は便利だ』という小事典や後に百科事典を出版して知的領域にアクセスするツールとして仕掛けていきました。このように同時期に出版業をスタートした3人が見ていたものを比較するだけでもだいぶ違いがあるので面白いですよね。


野間清治の魅力と危うさ

 中島 もうひとつ、下中と清治の決定的な違いはイデオロギーの有無でしょう。下中は世界を統一したい、ユートピアのような世界に住みたい、という大きな理想を持っていました。そのために何をすればよいか、ということが彼の活動の源であり、大正自由教育運動にも関わりを持ちながら、皆が平等に生きていける共産社会の成立を目指した人です。一方、清治には下中のようなイデオロギーや大きなビジョンは見受けられない。

 魚住 確かに清治のイデオロギーの部分は書きながらずっと疑問でした。講談社が戦時中に忠君愛国を全面に掲げていたことはよく知られていますが、実は清治自身、割と親英米的で開明的なところがあり、あるいは平和主義的な一面もありますが、決して左翼ではない。だから彼の思想はよくわからないままだったのですが、後年、野間省一(以下省一)が、清治の精神性を任侠、あるいは江戸の町人社会の精神が中核にあったのではないか、と述べています。清治が講談の『八犬伝』を愛読していたことを踏まえての発言ですが、もしかするとこれこそが清治の本質を一番捉えているのではないか、今はそんな気がしています。

 中島 まさに『八犬伝』そして講談こそが清治のことを理解する上で最も重要なポイントでしょうね。それは講談社の立ち上げにも大きく関係してきます。先程魚住さんのお話にも出た大逆事件がひとつのきっかけとなって、政府は国民を思想的に善導していかなければならないというモチベーションを持ち、民衆教育に乗り出します。それ以前なら教育は個々の共同体に委ねることができましたが、共同体が流動化して都市社会が生まれ、大衆が成立していくなかで、国家イデオロギーを広く植えつけるために政府は講談に目をつけます。それまで講談は程度の低い娯楽だと捉えられていましたが、それを民衆教育のツールとして使おうとする動きが出てきた。これに敏感に反応したのが清治でした。清治自身、国家イデオロギーに共鳴したわけではなく、あくまで彼の中には『八犬伝』に流れる任侠の精神があっただけで、くしくも大衆の誕生によって政府の思惑と清治はアクセスするに至ったわけです。そして『講談倶楽部』が刊行され、講談社として独り立ちしていくことになる。講談が持っているある種の封建的な道徳精神が清治を形づくり、彼が重んじた修養を大衆に投げかけたのです。

 ところで清治が『講談倶楽部』について語った一節が本書では引用されていますが、清治が大衆というものをどう考えていたのかがよくわかる部分があります。

「衆なるものを愚として衆愚衆愚というような言葉が当時はやっていたが、自分は衆賢である。(中略)衆なるものは賢、衆賢である。神の如く畏れて懼れなければならぬ。」(本書197頁)

 ところが、この衆がなかなかの曲者で。実は本書を読み進めながら吉本隆明さんのことを思い出したんですよ。吉本さんは「マチウ書試論」以降、大衆との絶対的な関係を結ぶということを長年のテーゼとして考え苦悩し続けました。なぜなら衆というものはときに暴力的にもなるし、なにをしでかすかわからない危険性をはらんでいる生半可な存在ではないからです。実は清治にも吉本さん的な衆に対する思いがあり、自分なりに受け取り直そうとした。そんな心境が垣間見える部分ですし、それが清治、ひいては創業当時の講談社の魅力であり、同時に危うさを含んでいた部分だったように思います。

 魚住 まさか吉本隆明と清治がつながるとは思ってもいませんでしたので、今のお話を聞いて目から鱗でした。(笑)。でも言われてみると確かに大衆というものをどう捉えていくかということは両者の大きなテーマですし、それは時代を経た現在の我々が突き止めなければならない問題でもあります。しかしいまだ本当の姿を捕捉できていない。それこそがまさに危機的状況なのだと言えるのでしょうね。

 中島 魚住さんのおっしゃるとおりで、特に今考えなければいけないのがポピュリズムの問題ですよね。話をしながらふと思い浮かんだのが山本太郎という人の存在です。知識人やリベラルの方は彼を軽視しがちなのですが、彼は前の選挙で大きなムーブメントを起こしました。それはリベラル層が支持している立憲民主党が手を差し伸べることが出来なかった真の大衆を相手にした結果であり、山本太郎という現象を扱いきれていない、つまり大衆というものに向き合ってこなかった日本のリベラルの脆弱性を見た瞬間でした。それは僕も反省すべきですし、また同時に彼が起こしたムーブメントに対してリスペクトを忘れてはいけないと肝に銘じているんです。一方でこのムーブメントが危険なのも事実で、異なる意見の他者に対し暴力的な言説や態度にでるおそれはどうしても拭えません。だから大衆をどう考えるかは歴史の話ではなく、今の課題なんです。その大衆に正面からぶつかり、清濁併せ呑みつつ『キング』をはじめ様々な出版を通じて大衆の精神を掬い上げた清治のことを描いた本書は、まさに時宜を得た出版なのだと言えるでしょうね。<つづく>

後半部は「講談社の弱さを招いたもの」/「野間省一の思想」/「歴史を扱うこととは」/「今の講談社について」の4パートを掲載しています。ぜひつづきもお楽しみください。


★うおずみ・あきら=フリージャーナリスト。一橋大学法学部卒業後、共同通信社入社。司法記者として、主にリクルート事件の取材にあたる。1996年、共同を退社。主な著書に『野中広務 差別と権力』(講談社ノンフィクション賞)『特捜検察』『特捜検察の闇』『渡邉恒雄 メディアと権力』『国家とメディア 事件の真相に迫る』『官僚とメディア』など。1951年生まれ。

★なかじま・たけし=政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科博士課程修了、博士(地域研究)。専門は南アジア地域研究、日本思想史、政治学、歴史学。主な著書に『中村屋のボース』(大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞)、『ナショナリズムと宗教』(日本南アジア学会賞)、『親鸞と日本主義』、『ガンディーに訊け』、『保守と大東亜戦争』など多数。1975年生まれ。