追悼・清水邦夫

寄稿=田原総一朗

連載「田原総一朗の取材ノート」より

 劇作家の清水邦夫氏が、四月一五日、老衰のために死去した。八四歳だった。

 実は、清水氏とは、岩波映画の同期生であった。さらにいうと、岩波映画に入るための試験の最終面接のとき、面接を受ける学生が大勢いたので、朝九時から面接会場に入ったのに、一二時になっても順番がまわってこないので、会社側にラーメンでも出させようではないか、といったのだが、一〇人以上いた学生の誰も乗らなかった。ところが清水氏が「要求しよう」と賛成し、二人で会社側に「ラーメンを出すべき」だと求めた。

 そして、何と、合格したのは五人だが、その中に、清水氏も私も入っていた。

 実は、清水氏は、学生時代に執筆した劇作で賞を受けていて、すでに有名人であった。

 清水氏は、一九六七年に蜷川幸雄氏が旗揚げした「現代人劇場」、後の「櫻社」で「真情あふるる軽薄さ」など数多くの戯曲を執筆していて、「ぼくらが非情の大河をくだる時」では、岸田國士戯曲賞を受けているが、当時は全共闘時代で、時代に反抗的な若者を描いて、非常に人気があった。

 私は、清水、蜷川の演劇は全て観劇している。毎回、清水氏の、激しさの中に豊かな詩情をたたえた想像力に感動した。

 ところで、私は一九七一年に、アートシアターで、一本の映画をつくっている。大島渚氏や篠田正浩氏、寺山修司氏などが作品を撮っていた映画製作劇場である。

「あらかじめ失われた恋人たちよ」というタイトルで、石橋蓮司、加納典明、桃井かおり、などが主役だが、脚本を書いてくれたのは清水邦夫氏であった。

 当時、私はテレビ東京に所属して、「ドキュメンタリー青春」などのドキュメンタリー番組をつくっていたのだが、これは、と思うテーマのときは清水氏にお願いしていた。

「あらかじめ失われた恋人たちよ」は、私自身、それなりに自信が持てる映画であったが、公開の前に、よど号ハイジャック事件や連合赤軍の浅間山荘事件などが起きて、時代に反抗的な若者を描いた映画は、観客を動員できなかった。そのために、私は多額の借金をかかえることになり、二度と映画をつくることができなかった。本当に残念である。(たはら・そういちろう=ジャーナリスト)
≪週刊読書人2021年4月23日号掲載≫