多和田葉子の〈世界劇場〉を遊ぶ

対談=多和田葉子×谷川道子

『多和田葉子/ハイナー・ミュラー 演劇表象の現場』『多和田葉子の〈演劇〉を読む』刊行を機に

『多和田葉子/ハイナー・ミュラー演劇表象の現場』(東京外国語大学出版会、谷川道子・山口裕之・小松原由理編)と『多和田葉子の〈演劇〉を読む切り拓かれる未踏の地平』(論創社、谷川道子・谷口幸代編)が刊行された。世界を舞台に三〇年に及び取り組まれてきた〈多和田演劇〉を、様々な試みからパノラマ化・可視化しようとする二冊である。『多和田葉子/ハイナー・ミュラー』では、第Ⅰ部で多和田氏のドイツ語で書かれた修士論文(1991)の初邦訳と、八人による論を、第Ⅱ部では多和田氏の取り組むパフォーマンス「晩秋のカバレット」の台本『ハムレットマシーネ 霊話バージョン』(2019)と、四人の演出家によるミュラー演劇や多和田演劇の「演出ノート」を収録。また『多和田葉子の〈演劇〉を読む』には、劇評、演出ノート、作品論、インタビュー、エッセイ、ワークショップのドキュメント、多和田戯曲の初邦訳二編が収められた。二冊の共編者で東京外国語大学名誉教授の谷川道子氏と作家の多和田葉子氏にリモート対談をお願いし、日本とドイツの距離を越えて楽しいお話を伺った。(編集部)
≪週刊読書人2021年5月7日号(4月30日合併)掲載≫


舞台のような、舞台稽古のような本

 谷川 多和田葉子さんの小説は世界中で読まれていますが、多和田葉子論としてその表現営為を多角的、包括的に捉えるような本は何故かこれまで殆どなかった。その展開が速くて自在多彩で、追いかける方がついていけない感じかなと。それなら、私自身は多和田文学の〈演劇性〉というものにずっと関心を持っていたので、それを軸に思いを同じくする実践家や批評家・研究者、多和田演劇の担い手たちと皆で多和田ワールドを遊ぶというか、〈多和田万華鏡〉を覗き込むような、こちらが覗き込まれるような、そういう本を作りたかったのです。

 多和田 珍しい本ですよね。捉え方によっては論文集とも言えますが、よりによって論文集が遊ぶ本であるというのは、とても不思議で面白い。さらには演劇という、割と特殊なテーマを軸にして作り上げられています。私が演劇に携わっていることを知っている人自体、多くはないと思うのに。それも脚本を書きました、というような狭い意味の演劇ではなく、「世界劇場」と書いていただきましたが、国境を越えた広い空間を舞台として、私の小説や様々な活動をまるごと「演劇」と捉えてくださっています。私からすると、この二冊の本自体が舞台のような、舞台稽古のような、そういう本ができて、とても楽しい気持ちです。

 谷川 そう、以心伝心で何となく分かりあって、多和田葉子の三〇年間、冷戦体制の終焉とコロナ禍までの展開と世界史の変動が相まって、いろいろなものが見えてきた。

 他方で私は、「演劇」というものの捉え方も変えたかったのですよね。劇場に行ってそこで作品を観せられてお終い、というのではなくて、人と人が出会い、語り合い、議論する、そういうのが「演劇」ではないかなと。欧米、とくに演劇王国ドイツではそうですよね。

 葉子さんに初めてお会いしたのは一九九九年の東京外国語大学建学百周年記念シンポジウム「境界の言語」への登壇をハンブルクまでお願いしに行った時ですよね。その古民家のような書斎でいろいろな話をする中で、葉子さんの『ハムレットマシーン』についての修論ドイツ語原本を「読んでみて」とポンと渡されて。これが、見事なHM論でした。多和田HM球をいきなりパスされたような、私の脳内劇場ではたぶんそのとき「多和田/ミュラー・プロジェクト(TMP)」が立ち上ったのでしょうね、ミュラーは他界してましたし。多和田文学営為の成り行きを見守る中で時が経ちましたが、機が熟するのを待っていたような気もします。そうして出来た一冊が『多和田葉子/ハイナー・ミュラー』です。ミュラーは今では知られていないでしょうけど、八〇年代から九〇年代はブームでしたね。

 多和田 そうですね。

 谷川 欧米の演劇界を根底から揺るがして、中でも台風の目となったのが、『ハムレットマシーン』という作品だった。一九七七年にハイナー・ミュラーが『ハムレット』の上演台本を頼まれ書き終えた後で、何か強迫観念みたいなものに動かされて、『ハムレット』をいわばレントゲンにかけて脱構築したような不思議なテキストです。ミュラーのいた東ドイツではなく、西ドイツの演劇雑誌に載りますが、わずか四ページほど、アルトーとベケットの特集の間にひっそり挟まれて、「あれ?これは一体何なのか」という謎かけだった。そう思った人がたくさんいたのですね。それが世界の演劇界の地下水脈をあふれさせた。近代演劇の矛盾の核心をついていたのでしょうね。

 多和田 当時、私はハンブルグ大学に通っていましたが、『ハムレットマシーン』を読んで短いテキストなのに、なんて大きな舞台だろうと思いました。この舞台に立てばずいぶん遠くまで見える。ソ連もアジアも、古代ギリシアも見える。この枠組みはすごい、と魅せられました。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます


★たわだ・ようこ=作家・詩人。一九八二年よりドイツ在住。近作に『星に仄めかされて』がある。一九六〇年生。
★たにがわ・みちこ=東京外国語大学名誉教授、多和田・ミュラープロジェクト代表者。専門はドイツ現代演劇。著書に『演劇の未来形』など。