豊かな森と海、精霊と人間のドラマ

竹倉史人インタビュー

『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)刊行を機に

「日本考古学史上最大の謎の一つがいま、解き明かされる」と言われたら、そうやすやすとは信じられない、というのが普通の反応だろうか。でも、竹倉史人『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)は、本当にこれまでの定説を覆し、開かずの扉を開いてしまった。謎解きの爽快感を得たい人も、知的好奇心を満たしたい人も、土偶のフォルムが好きな人も、必読の一書。刊行を機に著者の竹倉氏に、たっぷりとお話を伺った。(編集部)
≪週刊読書人2021年5月14日号掲載≫


記紀神話以前の神話⁉ 人類の太古の知の働き


 ――サブタイトルに「130年間解かれなかった縄文神話の謎」とあるのですが、本当に五〇〇〇年の時を超えて土偶の謎を解明してしまった。すごい研究成果ですが、まず読物としてとても面白く拝読しました。謝辞でたくさんの名前が並ぶあとがきを、こんなに感動して読んだことはありません。

 竹倉 ようやく本が刊行できて心からうれしい(笑)。成果があるのにこのまま発表できないかと思うときもあったんです。私は独立研究者で、アカデミズムの辺境の地をうろうろしています。それらしい肩書を持たず、さらにクロスジャンル研究なので、発表に適した学会もありません。最初は学術論文での発表を考えていたのですが、フォーマットに合わなくて。この研究では図版をたくさん使用し、感性をロジックの代わりに組み込むようなところがありますし、「土偶のモチーフは植物でした、ハート土偶とオニグルミの形状がこんなに似ています」と言ったところでまともに扱ってもらえるはずもありません。一つでも多く検証事例を畳みかけていく必要があり、分量的にも通常の投稿論文の枠組みには収まらなかった。大学院の指導教官に相談したところ、商業出版のかたちで発表するのがいいのではないか、と。本当に異例づくめで、いろいろな人とのご縁で、やっとかたちになりました。

 ――確かに、邪馬台国と土偶は、まず疑ってしまいます(笑)。

 竹倉 考古学者でも「土偶は分からない」と諦めている人もいます。二万点近く出土して、一世紀以上研究しているのに分からないのだから、土偶の作られた意味なんて、解明するのは不可能だと。そこに「謎を解きました」と言う人間が出てきても、そんなわけないだろう、と反発されますよね。

 ――竹倉さんは考古学が専門ではないんですよね。そもそもは記紀神話以前の日本の神話について考えていた。縄文時代には文字がないので記録は残っていないけれど、その時代の神話の体現が「土偶」ではないか、と直感したと。

 竹倉 神話は人間の世界認知の表われであり、人類がいるところには必然的に神話が生まれます。また、神話には自然現象や人間の存在理由を説明するような起源神話も多く含まれています。空から轟音で落ちてくる光を見て、天の怒りではないかと考えるような、非常にプリミティブな物語ですね。そうした古層の物語には、人類が自意識をもち、自分たちを取り巻く世界を解釈し、意味づけようとした、生々しい太古の知の働きを見ることができます。

 時代が下り、社会集団のスケールが大きくなると、当時の権力者によって神話に政治性が加えられていきます。異なる部族神をもつ民族が統合されれば神話にも影響しますし、同じ食物の神様でも『古事記』ではオオゲツヒメ、『日本書紀』ではウケモチノカミ、といったように神々の寄せ集め現象も起こります。あるいは身近だった精霊が神格化されるなど、時代や社会状況によって神話に手が加わると、人類の認知の手触りが抽象化されてしまいます。私は神話自体を研究したいのではなく、神話を通して人類の精神性を探りたいので、より純度の高い、人類と世界がファーストコンタクトした痕跡を求めたいと思ったのです。

 ――本書では倒叙ミステリのように、序章にして「土偶は当時の縄文人が食べていた植物をかたどったフィギュアである」という衝撃の結論が明示されます。

 もれなく私も、「土偶は女性を模し、乳房は豊饒の象徴である」と習ってきました。思い返すと、女性像と言われてもピンとこなかったけれど、縄文時代は原始で技術もなかったから仕方がないと。縄文人を偏見で見ていたことに気づきました。

 竹倉 そうなりますよね。というのも、学史的には明治十九年に土偶研究が始まるのですが、当時は「縄文人」という言葉はなくて、石器時代人とか野蛮人とか呼んでいました。明治十年に東京大学ができて、この年モースが来日し、大森貝塚を発見します。同年、西南戦争が終わるので、国内はまだごたごたの状態でした。近代的な学問環境など成り立っておらず、当時の歴史観はまだ「記紀パラダイム」でした。

 モースが大森貝塚を発見したことで、日本にも石器時代があったことが発見され、日本中が沸きます。明治天皇も貝塚からの土器などを観覧されました。ただ出土品がどれぐらい前のものなのかは測定しようがなかったので、とりあえず石器時代と記紀神話が合わせられて、先住の野蛮人を神武天皇が倒して日本を建国したというストーリーが作り上げられるのです。そういう時代背景もあり、「土偶は原始人が作った奇妙なもの」というバイアスが、土偶研究の始まりから根底にあり続けたように思います。

 それは他者を異質なるものとして表象する習性ですよね。人類学では「オリエンタリズム」と言われますが、私はそうした落とし穴に嵌まらぬよう、常に警戒して研究を進めました。

 今回研究を通して痛感したのは、誰も土偶をちゃんと見ていなかったのではないか、ということです。土偶の前にスクリーンがあって、いろいろな人が自分の見たいものをそこへ投影して、女神だとか、地母神とか、芸術家だとか、土偶を通してずっと自分語りが開陳されてきたように感じられます。<つづく>

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★たけくら・ふみと=人類学者。独立研究者として大学講師の他、講演や執筆活動などを行う。武蔵野美術大学映像学科を中退後、東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程満期退学。人類の普遍的心性を探求すべく世界各地の神話や儀礼を渉猟する過程で、縄文土偶の研究に着手することになった。著書に『輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語』など。