苛厳な未来で生を慈しむしるべ

平野啓一郎インタビュー

『本心』(文藝春秋)刊行を機に

 平野啓一郎氏が長編小説『本心』(文藝春秋)を上梓した。一人の孤独な青年が、亡くなった母のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を作ることで、その「本心」に触れたいと願う。その過程で出会う人々や母の別の顔。愛とは、心とは何か。未来を舞台に、自己責任論、優生思想、貧困問題、社会の分断と対立など、現在が鋭角に抉り出される――。渾身の読書に満たされる一冊。刊行を機に、平野氏にお話を伺った。(編集部)
≪週刊読書人2021年6月11日号掲載≫



二〇四〇年代を親子二世代の問題として書く


 ――『本心』を拝読してからずっと、答えの出ない問いについて考え続けている気がします。
 まずは、作品発表の仕組みについて聞かせてください。本作は新聞連載のほかに、ウェブでの公開、さらに登録すれば最終稿までメールで配信され、その上で単行本が刊行されます。何度も読み返したい作品だからこそ、こうした提示の仕方ができるのだと思いますが、どういう考えからこうした作品発表のスタイルを取られているのでしょうか。


 平野 小説はメディアの発展と深く結びついてきたジャンルです。十九世紀になって、バルザックやデュマなどが、新聞という新しいメディアの中で連載を始め、読者を増やしました。今回、新聞で連載させてもらいましたが、百万人単位の読者に届くメリットがある一方、現在は読者層が高齢化していて、若い人の目に触れにくいという弱点もあるんですよね。ウェブ上やスマホで文字を読むことが広まった現在に、小説をどのように読んでもらうか。作品とメディアの関係についてはいつも考えています。

『マチネの終わり』から、ウェブでも同時に連載する試みをしていますが、それをしなければ減らずに済む読者と、そのおかげで買う読者の比率というのは、今はさじ加減の世界です。それは今後、メディアの仕組みのちょっとした進化で、変わってくるだろうと思っています。

 ――この小説では、「二〇四〇年代の入口」に時代が設定され、母親がロスジェネ世代の、その子どもが視点人物となっています。この時代設定のきっかけを伺えますか。

 平野 いろいろあるのですが、一つは近年、日本の未来予測について、新聞や雑誌、講演などでよく質問されていたことです。それは僕にとって、純粋に思考の対象でもありましたが、小学生の子どもをもつ親としての、リアルな関心事でもありました。この子たちが大人になったときに、どんな世の中になっているのか。テクノロジーが進歩していく中でどんな仕事が残るのか、気候変動や少子化問題はどうなっているか、貧困や格差の状況はどれほど過酷になっているのか。いま何を身につけさせればサバイバル必至の社会で生きていけるのかを、目の前の教育問題として考えています。いまの教育システムや日本の状況を見ると、一般にいい学校と認識されているような大学に行ったぐらいで、いい企業に就職して、その後数十年間安泰に暮らせるかといったら、ちょっと難しいのではないかと。

 子どもたちの憧れの仕事がYouTuberですからね。学歴関係なく何かのきっかけで、ポンと大金持ちになれるかもしれない。いったんお金を稼いでしまえば一生困らないという世界観に、子どもの方が敏感になっています。それで小説にも、ひょんなことで大金持ちになった車椅子の少年を登場させました。

 もう一つは、社会保障制度が破綻の危機に瀕する中で、ロスジェネ世代が高齢者になったときのことを、社会が戦々恐々と見ているということです。老後に二〇〇〇万円必要だという金融庁からの発表が話題になりましたが、僕の周りを見ても、大半の人にそんな貯金ができるような余裕はないですよ。この先の未来では、いつまで生きるのかというプレッシャーが、社会にあるいは個人にも、内面化された問いとして生じてくるのではないか。二〇四〇年代に時代を設定することで、親子二世代の問題として書くことができるのではないか、と考えたのが動機でした。

 ―その未来は、貧困、格差、災害、少子化、社会保障制度の破綻……それに伴う職業差別や排外主義、現在と地続きでより深刻化した社会です。自然といまに重ねて読んでいました。VRやVF、リアル・アバターなどの近未来的なモチーフも、連載の途中でコロナ禍となり、急速に身近なものになったのではないかと感じます。

 平野 漠然とした予測ではなく、未来を真剣に具体的に考えて、小説として描いたんですよね。

 小説を書いている途中で現実が追いついてくることはよくあります。僕の母親は、最初はVFとか、リアル・アバターとか、今度の小説はよく分からんね、といっていたのですが、NHKの美空ひばりをAIで蘇らせるプロジェクトを見て、やっとピンときたみたいです。あるいは他の読者の方にも、コロナ禍で家から出られなくなり、Uber Eatsなどのデリバリーや、配送サービスが注目されるようになって、リアル・アバターという仕事についても、理解された気がします。その安心感のもとで、途中から書くのが楽になったところがありました。<つづく>

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★ひらの・けいいちろう=作家。京都大学法学部在学中に投稿した『日蝕』により芥川龍之介賞受賞。二〇二〇年からは芥川賞選考委員を務める。著書に『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞、映画化)『ある男』(読売文学賞受賞)など。一九七五年生。