山根貞男編『日本映画作品大事典』刊行記念

山根貞男インタビュー(聞き手=高崎俊夫)

三省堂創業140周年記念企画
~日本映画、その輝きをこの一冊に~

 収録監督数約一三〇〇、作品項目数約一九五〇〇、頁数一〇〇〇頁超。百年を超える日本映画史を一望に見渡す大著『日本映画作品大事典』(山根貞男編)が、二〇二一年六月一〇日、三省堂から刊行された。日本映画に関する「新たな基礎資料」を目指し編纂された本事典は、日本映画の父・牧野省三の『本能寺合戦』(一九〇八年)から二〇一八年までを対象に、監督名の五十音順配列で作品履歴、作品情報のみならず各作品のあらすじまでを記述。映画ファン待望の一書である。本事典刊行を機に編者の山根貞男氏に二二年に渡る刊行までの経緯と編者として本事典に込めた想いを語っていただいた。インタビュアーは映画批評家の高崎俊夫氏。(編集部)
≪週刊読書人2021年7月9日号掲載≫



日本映画史を一望に/編集者の視点know



 高崎 今回の『日本映画作品大事典』、大変なボリュームで圧倒されます。もともと山根さんは『日本読書新聞』の編集者で、自分が常に編集者だという意識があるとおっしゃっていますが、まえがきを読んでふと思い出したのは、一九七一年に刊行された『現代日本映画論大系』(全六巻、冬樹社)のことでした。映画評論家の小川徹さんが編集委員代表で、山根さんもメンバーでした。

 山根 僕は小川徹さんの映画評論の愛読者で、編集者として親しくしていたのですが、『現代日本映画論大系』は小川さんを中心に、僕より少し歳上の波多野哲朗さん、同世代の飯島哲夫さんがメンバーで、このバランスがすごくうまくいった。あのとき戦後日本の全映画批評をチェックして、すごく勉強になりましたね。

 高崎 『現代日本映画論大系4 「土着と近代の相剋」』で山根さんは「大衆の欲望と映画批評」という長い解説を書かれていますが、その中に《わたしは、映画は大衆のものであり、それは娯楽性という点において大衆の欲望と関わるということである、と考えている。》という一節があります。そして、この事典の「編者の言葉」で山根さんは《本事典では、戦前と戦後、娯楽として量産されたいわゆるプログラムピクチャーを中心に、劇映画に力点を置くことにした。》と書かれている。そこには映画批評家および編集者としての山根さんの《映画》に対する一貫した視点といったものが強く感じられるんです。そのあたりからお話しいただけますか。

 山根 まず、日本映画史の全作品を扱うということは、物理的にも資料的にも不可能なんです。でも「百年を超える日本映画史を一望に見渡す」というのが基本コンセプトですから、一望に見渡すにはどこかに力点を置かないといけない。そこで日本映画史の二つの黄金時代、一番映画が盛んだった一九三〇年代と五〇年代に焦点を当てようと考えたのです。『現代日本映画大系』では、一九五〇年代、六〇年代の映画が集中的に扱われていて、それはまさに僕が観て育ってきた映画なのですが、小川徹さんにとっては映画評論家として向き合ってきたものだった。ですから半世紀経って、当時の小川さんの役割を僕が引き受けているという感じがあるんです。ただ、高崎さんが指摘してくださったようなことを意識した上で編集していたわけではなくて、編集で時間がかかっている間に自分が今までやってきたことをもういっぺん考え直すことがずっとありました。


人選の妙、約五〇名の執筆陣



 高崎 この事典の執筆者は、映画研究者、映画評論家、国立映画アーカイブ研究員など約五〇名ということですが、この人選にも山根さんの視点が出ているのではないかと思います。つまり誰にどの監督のことを書かせているかということが重要で、具体的にそのあたりを伺いたいと思います。


 山根 執筆者の人選については、まず自分の世代より若い方にしよう、というのが基本です。われわれがその人の映画評論を読んで育ってきた先輩大先輩は置いておこうと。自分を一番上くらいの世代にして、次の世代の中から、僕が評論を読んだり一緒に仕事をしたりして、この人はいいんじゃないかと思う人を編集部に提案して相談しながら進めました。ただ、この監督はこの人、この執筆者にはこの監督という、このつなぎ合わせが結構面倒で、すっと頼めた人もいれば、この人だと思っている人にかなり熱心に頼んでもいろんな理由から断られたりする。

 高崎 執筆者の中で、田中眞澄さんと飯島哲夫さんはすでに亡くなっておられますね。僕は田中さんと親しかったので生前、じかに話は聞いてはいましたが、彼の担当した内田吐夢、鈴木英夫、田坂具隆などはまさに彼が愛してやまなかった映画監督たちで、見事な人選だと思いました。

 山根 田中さんには、確信的に執筆を依頼しました。

 高崎 飯島哲夫さんの人選も唸りました。加藤彰、神代辰巳、武田一成。まさにドンピシャで僕は高校生の頃に彼の日活ロマンポルノの批評を愛読した世代なんです。

 山根 飯島さんとは昔から親しくて、彼が昔、早稲田の映研で出した本の編者が小川徹さんだったんです。飯島さんと僕はいろんな点で映画的感性がものすごく合って、今名前が挙がったような監督を彼が書きたくないと言うことは絶対にないと思いました。


大監督・黒澤明、〝蓮實調〟小津安二郎



 高崎 山根さんの担当では当然加藤泰とか森﨑東、増村保造、深作欣二、このあたりはわかります。ところが一番意外だったのは黒澤明です。

 山根 そうなんです。黒澤明は実は書く気はなかった(笑)。

 高崎 これまでの山根さんの映画批評を読んでいる者として、これはまったく意外でした。

 山根 僕を知っている人は意外だと思うでしょうね。これはかなり編集部の圧力があって……というのは冗談ですが(笑)、黒澤明、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男といった大監督を僕は書くつもりはなかったんです。

 高崎 山根さんは黒澤明について書いたことはほとんどなかったと思うし、むしろ晩年の黒澤作品は烈しく批判されていましたよね。だから今回の事典は読むのが楽しみです。黒澤明の全作品についても書かれているのですよね。

 山根 もちろんそうです。黒澤明の全作品はすでに観ていますし、繰り返し観た作品もたくさんありますが、この項目を書くために全作品を観直して批評も読み直して、また黒澤明監督自身がその批評に対して述べたものもたくさん読みました。あの人は自分の作品の批評について結構過敏な人でしたよね。『大系 黒澤明』(講談社、全五巻)という本がありますが、黒澤明の項目を書くために買った。『全集 黒澤明』(岩波書店、全七巻)ももちろんだけれど全部読んで書いた。だから冗談みたいに言ってたんですよ。ここまでやったんだから「黒澤明論」の書き下ろしが一冊書けるんじゃないかって(笑)。

 高崎 あとは渡辺武信さんに蔵原惟繕、森遊机さんに市川崑、これもこれしかないという組み合わせです。

 山根 森さんについては、『市川崑の映画たち』(ワイズ出版)を見れば、誰でもそう思いますよね。それからすぐに思い出すのは溝口健二を書いてくださった佐相勉さんです。彼は『溝口健二・全作品解説』(一~十三巻、近代文藝社、二〇〇一~二〇一七)を出し続けていて、先日新刊が出たのですが、十四巻目ですよ(『溝口健二・全作品解説14 『浪華悲歌』その1~大阪モダンと村野藤吾~』リフレ出版)。その佐相さんを差し置いて、溝口健二をほかの誰かに頼むわけにはいかない。

 高崎 上野昻志さんも、大島渚、黒木和雄、鈴木清順と、やっぱりと言うか納得という感じです。あと、当然ながら蓮實重彥さんが小津安二郎を書いています。

 山根 もちろん小津安二郎は蓮實さんに頼みたいと思ったし、ご本人も快諾してくださったのですが、これはちょっとスリリングでした。というのは蓮實重彥のあの文体、僕らがいつも読んでいるあの評論の文体で事典の原稿が書けるのかなと思ったんです。ところがちゃんと書いてくれたし、事典の原稿になっていると思います。編集過程ではすべての執筆者の原稿に対して、編集的ないろんな意見が入るんです。僕自身の原稿についても編集部から赤字が入って戻される。蓮實さんの原稿もそうやって出来上がって、ところが読んでみるとやっぱり蓮實調なんです。これはいいなあ、と。

 ただ小津安二郎は大大監督ですから一項目一項目の解説の文章はちょっと長いのですが、そういう大監督・中監督じゃなくて、プログラムピクチャーをたくさん撮ってきた監督の作品の場合、ちゃんと筋書きが付いていますが、文章は短い。それぞれの筋書きは四〇字、六〇字、長くても八〇字、一〇〇字で、そういう原稿を執筆者に頼むのはちょっと申し訳ないと思い、地味で難しい項目については編集協力者や僕も含めて編集部で書いているんです。


プログラムピクチャーが出発点



 高崎 山根さんが担当されたマキノ雅弘ですが、作品数が二七〇本くらいあって、マキノの項目はページをめくってもめくっても終わらない。『次郎長三国志』『日本侠客伝』といったシリーズものについても、一本一本筋書きが書かれていて、つまりそこにまえがきの「プログラムピクチャーに力点を置く」という方針が顕著に表れていると思ったんです。

 
 山根 僕は加藤泰の作品に惚れ込んで映画についての文章を書き始めて、次は鈴木清順で、僕が友人たちと共に熱烈な関心を持った当時、単なるプログラムピクチャーの監督だったんです。片方は東映のチャンバラ映画、もう片方は日活アクションで、そういう人たちについて書くのが僕の映画評論の出発点でした。それは骨の髄まで染み透っていて、その延長でずっと来ているわけです。でも自分はそれでいいとしても、この事典では編集側から執筆者の方に大変迷惑をかけたなと思うことがあります。これは仕方ないことですが、シリーズものの一本一本をものすごく短い字数で書くと、一本一本は違うものでも筋書きがほとんど一緒なんです。東映の任侠映画で言えば、善良な主人公が悪いヤクザから虐められて我慢の末に立ち上がる。もう本当に同じで、これは書き分けるのが大変だったと思います。量産されるプログラムピクチャーについて書くということの困難さが、この事典を作ることでよくわかりました。

 高崎 この事典のブックデザインをされている鈴木一誌さんがまた面白いですね。澤井信一郎、小沼勝、中島貞夫を書かれている。鈴木さんの青春時代、および同時代で観続けてきた監督への執着といったものが垣間見えます。

 山根 鈴木さんは僕よりも前にこの事典の企画の立ち上がりで相談を受けているんです。彼は映画史についても詳しくて、娯楽映画もちゃんと観ている人ですから、話はものすごく早いんです。


記憶違いのある映画が名作である



 高崎 僕なんかは単に映画が好きだから観ているわけであって、別に映画を教えようとか研究しようとかハナからそんな気はなかった。でもある時期から映画そのものがアカデミックな研究の対象になってしまいましたね。

 山根 デジタル時代になって、映画の在り方とそれをめぐる環境が変わった。当然、映画の観方が変わり、映画についての言説の在り方が変わってしまったんですね。かつては映画ジャーナリズムといえるものがあったが、今はないでしょう? 高崎さんは映画について文章を書き、フリーの編集者として活躍されている。僕は大学の先生を五、六年だけやったことはあるけれど、後はフリーでメシ食ってきた。それが出来たのは、まだしも映画ジャーナリズムというものがあったからだという気がするんです。

 高崎 ほんとうは一九六〇年代からフリーランスで映画評論家が成立するのは困難だったと思います。いまだに熱狂的なファンがいる斎藤龍鳳なども晩年はかなりきつかったのではないか。特に斎藤龍鳳が書くものは生き方そのものに関わっている文章だし、彼のような存在は絶対アカデミズムからは出てこない。そういう破天荒な書き手がいなくなったのはさみしいと言えばさみしいですよね。今の映画研究者はDVDの画面を止めてショット分析に終始しますが、僕ばそういう文章っていうのは生理的に苦手です。映画っていうのは始まったら終わりまで観るものだと思っているわけなので。

 山根 僕が映画評論を書く場合にはありえない。前提として、もう必死になって画面を見つめるだけ。

 高崎 しかも結構記憶違いもある(笑)。

 山根 そうそう、恥ずかしながらポロポロある(笑)。それをまた指摘する奴がいる。

 高崎 でも蓮實さんの学習院高等科時代の先輩で、彼にアメリカのB級映画を丁寧に見ることを伝授したオペラ演出家の三谷礼二さんは「記憶違いのある映画が名作だ」と言っているんです。つまり記憶違いを起こさせる、感動のあまり自分で勝手なイメージを誘発してしまうような映画こそがいい映画なんだと。これを僕は名言だと思っているのですが、それをDVDでチェックして逐一間違っていると指摘するのはつまらないし、野暮なことではないかなあ。

 山根 映画を観ることは本来そのように記憶違いを伴う営みで、映画は生き物なんです。しかし自分で映画評論を書くときはそんな言い訳もできますけれど、事典はそういうわけにはいかないんです。生き物としての映画を文字としてどう定着させるかが事典の編集で、これがもう大変でした。事典の記述に収まらないというか、はみ出してくる。

 高崎 マキノの項目を読んでいても、客観的事実には収まらない躍動感、筆の走りみたいなものが随所に出てきて、とても同時代性を感じさせ、スリリングです。

 山根 今僕が映画を観て同時代的に書くのは当たり前ですが、事典の場合は過去を扱わないといけない。でも昔の文章を参考にしようと思ったら、そこにはその当時の同時代性があるわけです。だからといってそれを取っ払ってしまうと今の解釈になってしまうし、過去の同時代性と今の同時代性の按排というか処理というか、事典はそこが難しいんです。これはやってみてはじめてわかることで、やる前にわかってたらやりませんよ(笑)。


これからの映画ファンのために



 高崎 山根さんは『名画座かんぺ』をご存知ですか? のむみちさんという、池袋の古書店に務める女性が作っているフリーペーパーですが、最近名画座周辺で古い日本映画の再発見という動きが盛んで、例えば東映の佐伯孚治(たかはる)の『どろ犬』(一九六四年)というフィルムノワールの傑作がシネマヴェーラ渋谷の原知佐子追悼特集でかかって話題になりました。そういうレアもの好きの名画座ファンにとってもこの事典は非常に有難いんじゃないかと思うんです。


 山根 『どろ犬』は国立映画アーカイブでも上映していましたね。いい映画です。この事典を作って何が嬉しいかと言えば、そういう方々に活用していただくことなんです。昔、山田宏一さんと一緒に森一生の本(『森一生映画旅』草思社)を作ったときに二人で話したのですが、森一生の作品は多種多様で、ひと口には言えないけれど、でも観ていくとプログラムピクチャーを作る中でちょっとずつ違うことをやっているのが見えてくる。この事典には、未だ知られざる監督、作品がたくさん入っているので、それをどういう角度でもいいから見つけてほしいし、掘り出してほしい。

 高崎 実はそういう映画が撮影所黄金期のプログラムピクチャーの中には鉱脈のように眠っているんですね。特に名画座ファンは作家主義ではなくて、僕も名前を聞いたことのないような役者や脇役を目当てにして観ている人がけっこういるんです。

 山根 そういう方に役立つかなと思っているのは、この事典では巻末にシリーズ作品の索引が付いていることです。昔は封切りの一番館があって二番館があって三番館まであって、三番館まで行けば玉石混交ではあるけれど映画をたくさん観ることができて、それが僕の映画体験のベースになっていたんです。

 高崎 今はそういう楽しみ方もできる。アカデミックなかたちで映画を取り込むんじゃなくて、普通に楽しめる映画ファンが増えているので、そういう人たちにこの事典を活用してもらえるといいと思うんです。

 山根 映画を研究する人たちはたくさんいて、その対極に今おっしゃっていたような純粋な映画ファンがいる。そもそも、なぜこの事典を一巻本にしたかったかと言えば、より多くの人に読んでもらいたいと思ったからなんです。これをもし全二、三巻で出すのであれば今回かなり落としたものも入れられたと思いますが、一般の映画ファンには手の届かない本になってしまうと思ったんです。

 高崎 事典であってもそれぞれの項目は力量のある執筆者なので読み物としても愉しめます。この一冊で大系的に小宇宙のようなかたちで日本映画そのものについて知ることができる。まさに類例のない事典だと思います。版元の英断というか暴挙に改めて敬意を表したいですね(笑)。

 山根 紙での類書は出てこないでしょう。二二年もかかる中、ちょうど真ん中あたりで思ったんです。これは文化庁か何かで助成金を出すに値することを自分たちはやっているのではないかと。でも日本では昔から映画という文化が軽んじられてきて、フィルムそのものがなくなっていこうがお構いなしだったから、せめて紙に文字で映画の輝きを定着しておこうと思い定めました。

 高崎 映画そのものがある種の二〇世紀的な産物で、デジタル化して配信されるようになって、映画という文化そのものが変質してしまったのは否めない。先ほど山根さんがおっしゃったように、紙とフィルムという物質、映画というのはきわめて親和性が高いのではないでしょうか。それをこの事典一冊に封じ込めたということ自体が、実は映画的な欲望の発現じゃないかと思うんです。映画の本というのは実は増えているんです。本というかたちで映画を追体験している。それは映画に対する尋常ならざる執着の表れだと思うし、その極めつけのような本が二二年越しに完成したということを喜びたいと思います。(おわり)

≪週刊読書人2021年7月9日号掲載≫


★やまね・さだお=映画評論家。著書に『日本映画時評集成』(全三巻)、『マキノ雅弘 映画という祭り』など多数。一九三九年生。

★たかさき・としお=編集者・映画批評家。著書に『祝祭の日々 私の映画アトランダム』、編著に『秋山邦晴の日本映画音楽史を形作る人々/アニメーション映画の系譜』など。一九五四年生。