芥川賞について話をしよう第20弾

小谷野敦×倉本さおり

第一六五回 芥川龍之介賞をめぐって



 第一六五回芥川賞は、石沢麻依「貝に続く場所にて」、李琴峰「彼岸花が咲く島」が同時受賞。ほかの候補作は、くどうれいん「氷柱の声」、高瀬隼子「水たまりで息をする」、千葉雅也「オーバーヒート」だった。今回も小谷野敦氏と倉本さおり氏に、お話いただいた。(編集部)
≪週刊読書人2021年9月10日号掲載≫


嫌な自分を描く、私小説の醍醐味 ◎「オーバーヒート」

 小谷野 千葉くんの小説は大変よかったんです。川上弘美の選評の通り、「正直」という感じがした。私小説の醍醐味である嫌な自分を描いている。以前の小説は、ポストモダンという、私が認めていない学問が前面に出て来て、教授と禅問答を繰り広げていたけれど、今回はマスコミにも登場する大学人のリア充小説。他の研究者との人間関係に配慮したり駆け引きがあったり、そのいやらしいエリート意識がよかった。

 倉本 確かに、教員個人ポストに大量に送られてきた献本をゴミ箱にドサッと捨てるシーンなど、それが事実かどうかはさておき、ふるまいや態度に生っぽいリアリティがありました。

 小谷野 あるいは、ツイッター上で「正義」を表明しようとする風潮への嫌悪感もそう。

 倉本 リベラルだと見られるためにLGBTを支持「しさえすればよい」という「空気」に逆らわずにはいられない、という心理が書かれていましたね。

 小谷野 小野寺真一という大学人がツイッターで主人公に絡んでくるのですが、一瞬、私のことかなと(笑)。同僚の女性がとても魅力的で、モデルは小川さやかではないかと思っています。主人公はゲイだけれど実は女性に支えられ、男性の恋人との関係は前面には出てこず背景になっている。大衆の言動をバカにしつつ、偽エリートがエリートっぽく振る舞うという、複雑な構造をもつ小説です。そのいやらしさを正直に書いたところに好感をもちました。

 ところが、二〇一七年に國分功一郎との対談で、小説を読む人間は霊的な段階が低い、といった発言をしているのを発見してしまい、支持を取り下げたんですよ。

 倉本 私も前作よりさらに好感をもって読みました。ただその一方で、どこを切っても千葉さん、という印象をどう評したらいいのか分からなかった。それは千葉さんの露出度の高さに影響されている部分も大いにあるんだろうなと。受賞を逃したことにも少なからず関係があると思うんです。

 小谷野 「僕は知名度のある論客になった」という一文に対して、本紙「文芸時評」で、「この作品を読むまで、作者が著名な哲学者だとは知らなかった」と、揶揄まじりに書かれていましたね。

 倉本 川口好美さんは本当に知らなかったのかもしれないですが、千葉さんの存在感は反発を生みやすいかもしれません。選考前に外枠から盛り上げるような形になったのも、バイアスをかける結果になったのではないか。

 小谷野 「マジックミラー」で川端賞を取ったから、芥川賞はやらなくていいだろうという判断もあったかも知れない。

 倉本 これまでの作品に比べ、主人公の哲学的な思考が失われてしまった、という評価を事前予想の段階で目にしましたが、私自身は、今作には別の言葉の運動が起こっているのが面白かった。たとえば冒頭で、友達以上恋人未満の男性を起点に、その視線の先と、自分をもう一つの点として、直角三角形で二人の関係を示します。「貝に続く場所にて」が距離への感情をストレートに書いたなら、一方の千葉さんは計算式を引っ張り出してあまのじゃくに距離を捉えていた。そこに哲学問答よりも惹かれました。

 小谷野 主人公は大阪の梅田あたりに住んで京都の大学に通っている。それが昔の私自身と重なるのも好感を抱いた理由の一つです。関東人が京都に住むのはきつい。茨城出身の私や、栃木の千葉くんにとっては特にそうです。主人公が喫茶店へモーニングを食べに行くのも、昔の私に重ねてしまった。

 倉本 今回の小説、本当に好きなんですね(笑)。

 小谷野 それだけに、「霊性低い」発言に衝撃を受けました。実は私には、千葉くんをモデルに書いた『僕のエメリタス』という小説もあるくらいなんですよ。
<つづく>

本編のつづきは以下で読めます



★こやの・あつし=作家、比較文学者。著書に『聖母のいない国』(サントリー学芸賞受賞)『とちおとめのババロア』『この名作がわからない』(小池昌代との共著)『大相撲40年史』など。一九六二年生。

★くらもと・さおり=書評家、ライター。一九七九年生。