わからなさを共に生きる

対談=川内有緒×若松英輔

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)刊行を機に



 ノンフィクション作家の川内有緒氏が『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)を刊行した。これはアートの解説本ではない。でも白鳥さんとお仲間が交わす、正解を求めない豊かで少し変わった対話とともに、本の中に盛り込まれた数々のアートを楽しむことができる。それ以上に、得難い指針やヒントが見つかるかもしれない。

 本書の刊行を機に、批評家・随筆家の若松英輔氏との対談をお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2021年10月8日号掲載≫


目が見えるからこそ見えないものがある

 若松 言葉の力、場の力、それから人と人との関係。コロナウイルスが広まって、収まったと思ったらもう一度さらに広まって、先が見えない状況の中で私たちが奪われたかに思ったものが、この本の中に詰まっていた。それがまず、この本を読んだ感想です。

 読みながら思い出していたのが、石牟礼道子さんのことです。石牟礼さんと何度かお会いしましたが、話を重ねるうちに思うようになったのは、私たちは多くのことを言葉にできるようになったからこそ、言葉にならないことがわからなくなったのだということでした。本当は言葉にできないことの方がこの世界には多いのに、それを見失った。それと同じことがこの本にも書かれていると思うんです。晴眼者は目が見えるからこそ、見えないものがあることを忘れてしまったと。

 あるいは、私たちはコロナ禍に密を避けることを求められ、人と場を分かち、一人になることが多くなり、そのことに慣れてきている。あるいはそう思い込もうとしている、一人でもやっていけるのだと。でもこの本を読んではっきりわかるのは、人は一人では生きていけない。あるいは一人だとおかしなぐらい世界が見えない、ということです。

 本の中で、目の見えない白鳥さんに、いろいろな人がいろいろなことを語ります。語っているうちにハッとして、あれ?湖の絵だと思っていたけど、原っぱだったのか?とか、スーツを着たサラリーマンかと思ったけど、アイスクリームを食べている子供じゃない?白人じゃなくて黒人じゃないの? といった話がたくさん出てきます。

 白鳥さんに語ることによって、はじめて自分が何を見ていたのかを認識し、何を見ていなかったのかをも知る。知るためには、語りかける他者が必要です。私たちが慣れて大丈夫だと思い始めていることは実は錯覚で、それはどうにかして取り戻さなくてはいけないものなのではないか。この本を読んで、強く感じたのでした。

 川内 私は白鳥さんと出会ってアートを一緒に見てみたら楽しくて、でもそれが何なのか、どこに向かうのか、ずっとわからないままでした。とにかく会話を続けて、どこに辿り着いたのかわからないまま、時が来たので書き終えました。でも自分が何を書いたのかまだよくわかっていないんです。

 若松  なんと言うか、これは読み終わらない本だと思うんですよね。

 川内 そうですか。  若松 読みにくくて最後まで進まない、という意味ではありません。川内さんや白鳥さん、その他の人たちが登場する物語を読んでいき、最後のページまで辿り着いたときに、それで私はどうするんだと自らの現実へ問い始め、読者は本の初めに戻ると思うんです。いい本は読者を最初に戻す力をもっています。書き手が書き切ると、読み切ってしまう。でも書き手が、自分が何を生んだのかよくわからない。そういうときに読者は、自分の中でその本を作り上げる段階に入っていくのではないでしょうか。

 川内 確かにクライマックスもドラマもない、オープンエンドの本です。本は終わっても、私と白鳥さんとの関係が終わるわけでもないですし。

 結論があってそこに向かって書いていくという本もありますが今回は、今まさに変化し続けているものを描いたらどうなるかと。書くというのは基本的に後から振り返る行為だけど、全部わかった立ち位置から書かない。体験したその時点で感じたことを書くように試みよう、ということだけは最初の頃から決めていました。無知でものを知らない自分が、白鳥さんや皆と何を見て何を感じてきたのか、それを曝け出さない限りこの本を書く意味はない。そこは大事にしたかったところなんです。

 若松 その体験をした瞬間は知らなかったとしても、書くときにはすべてを知る人として振る舞うこともできるわけです。世の多くのものは、そうして書かれているから、つまらないのかもしれません。

 河合隼雄さんは「物語とつくり話は違う」と言いました。つくり話は終わる、でも物語は終わらないんです。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます


★かわうち・ありお=ノンフィクション作家。著書に『バウルを探して』(新田次郎文学賞)『空をゆく巨人』(開高健ノンフィクション賞)『パリでメシを食う。』『晴れたら空に骨まいて』など。一九七二年生。
★わかまつ・えいすけ=批評家・随筆家・東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。著書に『叡知の詩学』(西脇順三郎学術賞)『小林秀雄 美しい花』(角川財団学芸賞、蓮如賞)『沈黙のちから』など。一九六八年生。