〈人間〉ボルヘスの声を聴く

対談=垂野創一郎 ・西崎 憲

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/オスバルド・フェラーリ著『記憶の図書館』(国書刊行会)刊行を機に



 国書刊行会より、ホルヘ・ルイス・ボルヘス/オスバルド・フェラーリ著『記憶の図書館 ボルヘス対話集成』(垂野創一郎訳)が上梓された。二〇世紀を代表する作家ボルヘスが、世界文学から哲学、映画、宗教など多彩なテーマを語った一一八の対話が収録されている。刊行を機に、訳者の垂野さんと翻訳家・作家の西崎憲さんに対談をお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2021年11月5日号掲載≫


カフカとボルヘス、そして澁澤龍彥

 西崎 ボルヘスは要素が多すぎて、話したいことを絞り切れません。なので、まずは全体的な印象を言いますが、この本から聞こえてくるのは、ボルヘスの声そのものでした。淀みなく、クリアに意味が伝わってきて、しかも読みやすい。ボルヘスの言葉がここまですんなり入ってくる訳はあまりないと思います。七〇〇頁にも及ぶ大著ですが、翻訳にはどれくらいかかったのでしょうか。

 垂野 ありがとうございます。西崎さんにそう言っていただけると、大変嬉しいです。全部で二年くらいかけて、訳しました。本の形でみると相当な厚さになりましたが、参考にできる英訳や仏訳もあって、楽しく訳すことができました。この本に収められているのは、ボルヘスと、彼とは五〇歳近く年の離れた詩人、エッセイストのオスバルド・フェラーリの対話です。ブエノスアイレスで放送された、一五分間のラジオ番組での対話を集成したもので、英仏独をはじめ、中国でもすでに翻訳が刊行されています。中国に先を越されたことは悔しいですが、世界各国におけるボルヘスの人気を再確認しました。私が翻訳してよかったのかは別にして、訳さなければならない本だったことは確かです。各回は基本的に七、八頁と短いので、順調に訳せました。

 西崎 本当にいろいろなことを考えましたが、一言で感想を述べるなら「とても刺激的な本」かな。何よりも先に言っておきたいのは、ボルヘスの冗談の切れ味の鋭さですね。言うまでもなく、ボルヘスは想像もできないほど、莫大な知識を備えている。同時に、人間として非常に面白い人だったということを、再確認しました。たとえばこんな冗談を言っていますね。「八五歳になるというのは危険なことです。いつなんどき八六歳になってもおかしくありません」。一生かかっても、ぼくには思いつかない冗談です(笑)。一〇回人生をやり直しても、ボルヘスにはたどり着けない気がします。

 垂野 思わず笑ってしまうシーンが、数頁に一回は出てきますよね。対話が放送されるのを知りながら、「ここだけの話ですが」と秘密めかした話をするとか。笑わずにはいられませんでした。ボルヘスオタクといえそうなフェラーリと、知の巨人ボルヘスの対話は真面目でもあるし、コントのようでもある。だから、楽しく翻訳できたのかもしれません。話し言葉だったことも、訳しやすかった理由の一つです。

 西崎 この本と同じように、ボルヘスは巨大ですね。二〇世紀、いや、全文学史の中で屈指だとぼくは思ってます。そのボルヘスは、シェイクスピアやチェスタトンが偉大であると言っています。そして彼らと同じように、ボルヘスが別格視していたのがカフカで、本書「第13日 カフカは人類の記憶の一部」を読めば、彼がカフカをどう捉えていたかよく分かりますね。

 この節を読んで、カフカとボルヘス、どちらが大きいのかを考えました。ぼく個人としては、後者だと答えたい気持ちがあります。カフカは一人の創作者ですが、ボルヘスはシェイクスピアに近い気がします。シェイクスピアは、書く人というより〈媒介者〉という印象があって、いろんな話や要素を集め、エディットして、多彩な作品を生みだしたように見える。ボルヘスもそれと近く、作家を配置しなおしたり、異なる思想を繫げ、プレゼンテーションする。シェイクスピアを読んでいると、これは一種の博物館文学だという気がして、ボルヘスにもまた同じような印象を持ちます。博物館にあるのは死物なので、そこは違うのですが。

 なぜ、突然カフカとボルヘスを比べたかと言うと、澁澤龍彦が書いていたことがまだ頭に残っていて、それは「自分はボルヘスのようなものは書けるかもしれないが、カフカのようなものは書けない」というふうな言葉だったのですが、この文章を読んだとき、澁澤さんが言っていることは逆なんじゃないかと思ったのですよ。ボルヘスみたいなもののほうが、カフカよりも書きにくい気がします。カフカは文法にのっとって書いている気がします。一部不可視の文法で。

 垂野 昔流行った言葉でいう、「スキゾ・パラノ」的な違いが、カフカとボルヘスにはある気がします。いろいろなことに興味を持って、一つのことに拘らないのがスキゾ人間です。反対にパラノ人間は、特定のいくつかのことに関心が集中して、他のことはあまり考えない。どちらかと言うと、特定のテーマにこだわるタイプだった澁澤さんは、パラノ人間に分類できます。ボルヘスもこのタイプで、たとえば短篇「ザーヒル」はまさにそのことがテーマになっています。ですから、澁澤は「ボルヘスみたいなものなら書ける」と思ったのではないでしょうか。

 反対にカフカは、どちらかといえばスキゾ人間です。ボルヘスに比べると、あまりこだわりがない。というよりも、「どうして俺はこんなところにいるんだ」と虚空の中で一人佇んでいる。取っかかりようがない世界で生きているんです。

 西崎 理由はあるけれど、それは不可知なものである。「掟の門」(『審判』)ですね。カフカと同様、ボルヘスも不思議な主題を書いていますが、カフカよりは文法的ではないかな。事典や辞書に近い感じがします。関連するもの、関連しないもの、いろんなものを次々に並べて、書いていく。掌篇・短篇のなかに文法や因果はあっても、並べたときには、それらは薄くなっている。ガウチョ物などには因果のような要素があるけれど、それでもカフカと違ってボルヘスの因果は、どこかオープンな感じがする。すべてを因果律には飲みこませないというか。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます


★たるの・そういちろう=翻訳家。訳書にレオ・ペルッツ『スウェーデンの騎士』、バルドゥイン・グロラー『探偵ダゴベルトの功績と冒険』など。一九四八年生。

★にしざき・けん=作家・翻訳家・音楽レーベル主宰。著書に『ベディングはおもに頭で』『全ロック史』、訳書にコッパード『郵便局と蛇』『ヘミングウェイ短篇集』など。一九五五年生。