千年に一度の奇祭
――文学キャラ全員集合の摩訶不思議エンタメ

インタビュー=真藤順丈

『ものがたりの賊』(文藝春秋)刊行を機に

 作家の真藤順丈さんが、直木賞受賞作『宝島』以来、三年ぶりとなる長編『ものがたりの賊(やから)』(文藝春秋)を上梓した。

 「日本文学の名キャラクターが一堂に会する祝祭のような物語を読みたくて、待っていてもそうしたものは刊行されないので、自分で書いてみた次第です」と執筆のきっかけを語った真藤さんは、物語の舞台を関東大震災直後とした理由を、次のように述べた。


 「大正時代は戦争直前と比べると、帝国主義や全体主義はそこまで台頭していない。ただし、シビリアン・コントロールがないなかで軍が力をつけ、朝鮮人虐殺に代表されるような偏狭なナショナリズムが一気に吹き上がった時代です。震災が起こり、スペイン風邪も流行して、現代と響きあうクライシスが重なっていた頃でした。古来からの伝承や神話がなじむ最後の社会がそこにあったことも、この時代を舞台にする理由になりました」。

 地震に加え、迫る疫病によって瓦解寸前の帝都を救うべく集ったのは、竹取の翁を筆頭とする一党である。翁の能力によって、「不死ではないが不老」となった七人のうち、中心となるのは坊っちゃん(『坊っちゃん』)だ。

 「翁を頭目としたのは、『竹取物語』こそが「物語の祖」であると、『源氏物語』で語られているところに由来します。その『源氏物語』の光源氏は、貴族としてノブレス・オブリージュを体現する人物とするか、女たらしに振り切って書くかを悩みました。伝奇や妖異譚的な要素を入れるため、虎になる李徴(『山月記』)と、原典に名もない妖婦として出てくる聖(『高野聖』)。盲目の剣豪の机龍之介(『大菩薩峠』)はジョーカーというか、ワイルドカード的な役割でご登場願いました。

 かたや新参である坊っちゃんは、一般人です。婦人運動が盛んになっていた時代を生きる生身の女としての薫(『伊豆の踊子』)とともに、無鉄砲なだけの坊っちゃんに特殊能力はない。だけど彼は、世の不正や理不尽に対して啖呵を切り、痛快に蹴り飛ばしてくれます。『坊っちゃん』はヒーローではないからこそ、こうしたヒーローチーム物の中心にふさわしかった。そんなチームと相対して、悪役には纐纈城(こうけつじよう)の城主(『神州纐纈城』)や正木博士(『ドグラ・マグラ』)、怪人二〇面相(『怪人二〇面相』)といった面々を揃えました」。

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 「この作品は、すべての登場人物が複数の作品のキャラクターで構成されるグラフィックノベル『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』に、触発されています。主役も悪役も一瞬しか出てこない脇役も、可能なかぎり日本文学の登場人物から引いています。とりわけ震災のような題材を扱うときは、名もなき群衆の顔をどれだけ書きこめるかだと思っているので、それぞれが関東大震災をどのように迎え、どのような悲喜劇に巻き込まれるかを、リファレンスを徹底して細密に書きこみました。

 腐心したのは、文学キャラ総登場というアイディアとストーリーが分離しないこと。竹取の翁や坊っちゃんでなくてはならない話にすることです。そのうえで、時代の反復性や民族差別、国というものの欺瞞や罪といった問題意識に、エンタメの文脈でたどりつけるかというところです」。

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 「それから「物語」が持つ力を突きつめることでしょうか。遠い昔の誰かが、電気もなにもないなかで輝く月を見上げて『竹取物語』を着想した。それが千年以上も語り残されていると思うと神秘的な気持ちになるじゃないですか。千年越えはすごいなと。

 出版不況や、日本の文化発信力の低下が叫ばれている今、優れた文芸のエポックに立ち帰り、自分たちの現在位置を知り、新たな道を拓いていく方途を探る。美しい国ではなく、美しい物語が歴史を継いできたという思いが僕にはあります。とはいえ、作者がここまで楽しんで書いた作品を、読者も面白がってくれるかは心許ないですね。小説好きにかぎらず、原典に縁がなかった人たちにも、とにかく大勢の読者に手に取ってもらいたい作品です。千年に一度の奇祭のようなものとして、ご笑覧いただければ何よりです」。(おわり)

★しんどう・じゅんじょう=作家。著書に『庵堂三兄弟の聖職』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』『黄昏旅団』『宝島』など。一九七七年生。
≪週刊読書人2021年12月10日号掲載≫