ヒロインを語る「言葉」を求めて

三宅香帆インタビュー

『女の子の謎を解く』(笠間書院)刊行を機に



 作家・書評家の三宅香帆さんが、ヒロイン像から今の世の中を考察した『女の子の謎を解く』(笠間書院)を上梓した。小説、漫画、ドラマに映画、アイドル……さまざまなヒロインたちを、三部構成(第一部「ヒロイン論」/第二部「作品論」/第三部「テーマ論」)で読み解いていく。刊行を機に、三宅さんにお話を伺った。(編集部)



ヒロインたちを語りたい/批評の魅力について

 ――最初に、執筆のきっかけをお伺いします。

 三宅 二〇二〇年に笠間書院さんから刊行した、『(読んだふりしたけど)ぶっちゃけよく分からん、あの名作小説を面白く読む方法』は、文学の読み方に特化した内容でした。次は文学だけではなく、漫画やドラマ、映画、アイドルといった幅広いコンテンツの読み方を書くのはどうだろう。そんな提案を編集者さんからいただいて、それなら何か一つテーマがあった方が語りやすいと思ったんです。今、私がいちばん関心を寄せているテーマは何か。すぐに思い浮かんだのは、いろんな作品に登場する女性やヒロイン、現実で活躍する女の子たちの存在でした。

 私は普段、会社員として働きながら作家・書評家としても活動しています。自分で書くことはもちろん、人が書いた批評を読むことも好きです。ただ、過去から現在までのさまざまな批評を読む中で、ずっと気になっていたことがありました。それは、私が元気をもらった物語に登場する〈女の子〉を語る言葉が、圧倒的に少ないということです。女性主人公の小説や少女漫画、映画が批評されていないというわけではありません。本書でも、先人たちの言葉を引用しています。それでも、ヒーローを分析した批評より、ヒロインについて述べた批評の方が、やっぱり少ない。ヒロインのことを、もっと語りたい。批評の言葉を通して、私が惹かれた彼女たちの謎を読み解きたい。そんな想いから本書、『女の子の謎を解く』を執筆しました。

 ――三宅さんは、批評のどういう部分に、魅力や面白さを感じますか。

 三宅 批評って、なんだか偉そう。友人と本の話をしていると、よく言われますし、批評に対してそういう印象を持っている人は、若い人ほど多い気がします。確かに、批評が偉そうに見えた時代もあったと思います。でも時代が変わって、今はもっとフラットな目線で読める面白い批評があるはず。そういう批評を読むと、作品だけでなく、世界そのものを今までとは違った視点で捉えられるようになる。批評を読むことで、世界の見方が変わるその瞬間が、私はとても好きなんです。

 個人的に、作品と批評の関係は、音楽と演奏みたいなものだと思っています。たとえば、同じモーツァルトの曲でも、ピアノを習い始めた子どもが弾いたものと、プロの演奏家が弾いたものでは、後者の方が素敵な音楽に聞こえますよね。同じように、読解のプロによる批評を読むと、この作品ってこんなに面白い読み方もできるのか!と、今までにない新しい気付きを得ることができる。この体験は、素敵な演奏を聴くことで、その曲のよさを再発見することと、とても似ています。

 ――普段は、どのように作品を見つけたり、作品に触れる時間を確保しているのでしょうか。

 三宅 書店に行って、偶然気になる本と出会うこともあれば、SNSで話題になった本を手に取ることもあります。自分の中のブームというか、その時に興味や関心があるテーマに沿って、本を選ぶことも多いです。

 時間の確保は、本当に悩みの種ですよね。私は作品に触れる時間がないと、精神的に辛くなるタイプの人間です。だから忙しい時ほど何かを読みたくなるし、観たくなる。気がつくと、片付けなければならないことを放置して、本を読んでいることもあります(笑)。観たいもの、読みたいものがあって、仕事がある。さて、どうやって時間を生み出そうと、いつも悩んでいます。<つづく>


実感としてのケアの問題/女性が働くということ

 ――第一部二章「ケアするヒロイン」では、今話題の〈ケア〉が、いろいろな作品を通して語られます。

 三宅 二年くらい前に、ヒロインの変遷に関する連載を執筆していました。初回は戦う女の子について書いたのですが、そのうち戦わない女の子の存在が気になり始めたんですね。戦う少女が登場する物語には、彼女たちをケアするヒロインがいる。そこでCLAMPさん『カードキャプターさくら』や、あだち充さん『タッチ』、村上春樹さん『ノルウェイの森』にみられるケアや母性に関する批評を書きました。

 当時はそこまででしたが、最近は文芸界隈ではケアの倫理に関するテーマがとても盛り上がっています。もともと興味があった話題だったので、本書の執筆にあたって、いろいろな書籍を読み、ケアについて再考しました。以前書いた「ケアするヒロイン」論をアップデートしつつ、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』や、宇佐見りんさん『推し、燃ゆ』といった、昨今人気の作品も対象に論じたのが、二章になります。

 ――他者へのケアの話から、『推し、燃ゆ』を通して、自分へのケアの問題に繫がっていく流れは、非常に鮮やかでした。

 三宅 『推し、燃ゆ』は普通に読むと、若者が感じる生きづらさを描いた小説です。芥川賞受賞作として、綿矢りささんの『蹴りたい背中』などと、同じ系列で論じられることも多い。ですが、決定的な違いがあって、『推し、燃ゆ』の場合、主人公に他者の気配が一切ないんですね。だいたいの小説には、主人公と出会う人間がいます。邂逅せざるを得ない他者は、自身をケアしてくれる人にも繫がっていく。でも『推し、燃ゆ』の主人公・あかりちゃんは、最後まで誰とも出会いません。それどころか、他者の影すら感じさせずに、物語は閉じます。

 この小説を読んだとき、一番共感したのが「頭の中だけで生きたい」というあかりちゃんの想いでした。彼女は「推しを推すこと」以外の生活を望まないので、ケアや手入れを必要とする自分の肉体でさえ、邪魔に感じている。あかりちゃんの考え方は極端ですが、一人暮らしの社会人であれば、いかに生活の部分を省略するか、一度は悩むのではないでしょうか。仕事の締め切りが迫っているのに、洗濯しなければいけない。掃除をしなければいけない。食事をしなければならない。仕事と生活のバランスは、働いている身としては切実な問題です。

 けれど、この作品の評論は〈推し〉という存在は何かを論じたものが多く、あかりちゃん自身を深く読み解いたものは、少なかった。最近はケアが注目されていることもあって、その文脈に沿って読み解いた書評も増えました。私としては、戦う/戦わないヒロインの話から、実感としてのケアの大事さと大変さを書いたつもりです。

 ――第一部四章では、シンデレラストーリーの系譜を辿りながら、「働くヒロイン」論が展開されます。「労働で自己実現を望むことは、本当にいいことなのか」というヒロインたちの悩みは、社会人女性がみんな考えることです。

 三宅 働きながら子育てをしたり、結婚せずに自立した生き方を女性が選ぶことは普通。東京において、前者はすでに一般的な考え方ですし、後者は少しずつではありますが、広まってきています。でも、地方はまだまだ、そんなことはない。特に、結婚せず自立の道を選ぶのは、ハードルが高いと思います。私自身が地方出身だということもあって、自分だけが都会に出て働くことを選んでもいいのか考えることもあるし、罪悪感を覚えることもある。そういう罪の意識や葛藤みたいなものを、丁寧に掬い上げてくれる作品として、四章では映画『ブルックリン』を取り上げています。考えさせられるけれど素敵な映画なので、オススメです。

 今の時代の労働ヒロイン論は、自己実現か格差の問題かで二分されがちです。けれど、当事者からしたら両方とも深刻な課題で、どちらかなんて選べない。それを論じたくて「働くヒロイン」に着目したのですが、女性が働くことに関する意見やテーマ、視点不足を痛感しました。議論が足りていないために、当事者たちは余計に罪悪感を感じてしまうんです。現在は社会が変わっていく過渡期なので、今後もっと議論されていく話題ではあるでしょう。現代の働き方を取り巻く、複雑で多様化していく環境は、考え続けなければならないテーマです。


『大奥』論と「女性」性/女性の内なるミソジニー

 ――第二部の主軸となるのは、よしながふみさんの漫画『大奥』を読み解いた二章です。

 三宅 二〇二一年に刊行された『大奥』の最終刊は、本当に素晴らしい結末でした。圧倒されて、「この傑作について何か書かなければ……!」と思い、この論の大元となる批評をnoteに投稿したんです。執筆する際、どこから攻めようか悩んだのですが、まずは『大奥』の位置づけを確認しようと決めました。いわゆる「ジェンダーSF作品」(フェミニズムを下敷きに、男女逆転などを描いたSF物語)の流れに『大奥』は位置するので、漫画史として萩尾望都さん『トーマの心臓』や山岸涼子さん『日出処の天子』、文学史としてマーガレット・アトウッド『侍女の物語』を抑えてから、『大奥』論に入りました。

 すると、読者の方から驚くほど反響をいただいたんです。八千字前後の長めの批評で、文体もそこまで柔らかくはなかったのですが、多くの方に読んでいただいた。読者はこういうものを読みたいのかという、新たな発見もあって、その点では、本書における執筆のきっかけの一つにもなりました。

 この章で取り上げた作品が考えてきたのは、「女性はなぜ、産む性として生まれてきたのか」という問いです。そして『大奥』で描かれるのは、男性が、女性に代わって「産むための性」になった世界です。単純な男女逆転の物語でも、権力構造がただ入れ替わった話でもない。私は最終刊まで読んでようやく、作品に通底するテーマに気がつきました。しかも、つい最近になって世の中が考え始めた、女性と出産の問題や社会との関係や感染症との付き合い方を、よしなが先生は連載開始時から考えていた。複合的な視点で『大奥』を読み解きたかったので、本書では前半後半に分けて、『大奥』論を書いています。

 ――中でも、女性が女性に対して感じる嫌悪感に関する批評は鋭くて、考えさせられました。

 三宅 子どもを産むことについて、文学では「女性の身体」に注目している作品が多いと思います。小川洋子さん『妊娠カレンダー』だったり、村田沙耶香さん『消滅世界』では、出産で身体が変化することへの抵抗感が書かれている。一方少女漫画では、そもそも社会的に産むことを要請されること自体への嫌悪感や戸惑いを、多くの作品が描いてきました。

 『日出処の天子』や『侍女の物語』では、「出産」を求められる性への嫌悪や違和感、そこから発生する女性同士の分断が語られる。分断の元にあるのは、女性性そのものへの嫌悪です。子どもを産む〈弱い〉性という扱いを受け入れ、望まれた振る舞いをする。「男に媚びる」ことしかしない女性に厳しいのは、他ならぬ女性たち自身です。

 第三部でアイドル論を書いているように、私はアイドルが好きなんですね。ファンをしていて痛感するのは、女性アイドルに対する世間の目が冷徹で、厳しいことです。たとえばAKB48がミニスカートで握手会に臨み、笑顔でファンサービスをする。すると、「あんなに短いスカートで媚びを売って」という批判が、他ならぬ女性たちから聞こえてきます。仮にジャニーズが同じようなことをしても、男性が彼らを叩いたりはしないでしょう。女性による、女性批判の元には何があるんだろう。考えていくうちに、女性の内なるミソジニーに辿り着きました。でも、そのミソジニーを作るのは、男性中心の社会が原因なんですよね。『大奥』論では、そこを書きたかったんです。


大人数アイドルとネオリベ/自分なりの言葉で語る

 ――第三部一章のアイドル論では、「アイドル流行的2010年代回顧論」として、大人数アイドルの流行と新自由主義(ネオリベ)の関係について論じられています。

 三宅 ちょうど私が中高生の頃にAKB48が誕生し、大流行しました。大人数アイドルにハマったのは大学生になってからですが、応援していてふと、気づいたことがありました。それは、「自分の世代に求められている姿の究極形は、彼女たちだ」ということです。

 当時はアラサー世代に、東村アキコさん『東京タラレバ娘』が流行っていて、少し下の世代では、YouTuberが人気を博していた。では、私の世代は、世間にとって何のゾーンなのだろう?そう考えたとき、AKB48がドンピシャでした。朝井リョウさん『何者』に描かれているように、就活でも自己実現の物語がしきりに説かれるようになった時代でした。AKB48の総選挙が象徴する「選ばれたい」という欲望は、私と同世代を語るうえで外せない要素です。

 AKB48は、自分で自分を売り出すアイドルです。個々が頑張って、自由に競争しては、市場(=順位)に傷つけられる。そんな彼女たちに、社会で削られていく未来の自分の姿を、私と同世代の人は少なからず、予感していたのでしょう。そんな冷たい市場から逃げ出すように、安心できる居場所を求める「物語」として乃木坂46が、やがて「集団」と「個」のバランスを保てない主人公を描く欅坂46が流行る。そして今、殺伐とした時代でせめてアイドルだけは優しく明るくいてほしいと、日向坂46が人気です。

 本の中では、もっと詳しくネオリベとの関係性を述べましたが、批評は文芸作品に限ったものではなくていい。私がこの章でアイドルから見た二〇一〇年代以降を論じたように、時代の文脈をいろんなものから取り出すのが、仕事だと思います。

 ――第三部四章は、「シスターフッドの変遷」についてです。

 三宅 シスターフッドものは、少し前からホットコンテンツですよね。『赤毛のアン』や『カードキャプターさくら』しかり、女の子同士の友情を描いた作品は、絶対に面白い。気がかりなのは、「女性同士の連帯」が強調され過ぎると、男性が弾かれるばかりになっていかないかという点です。シスターフッドが対抗する敵は、男性ではなく「家父長制という制度」のはず……。女性だけの話はもちろん好きだし面白いけれど、本質的な部分でいえば、男女ペアでもいい。恋愛にならない男女バディが好きだという話題も、定期的に盛り上がっている。今後はそういう作品も増えるのではないかと、思っています。

 ――最後に、刊行を終えた今の想いをお願いします。

 三宅 批評を書いていると、「私の読み解きとは違う意見を持つ人もいるだろうな」と、いつも考えてしまいます。でも、この点で悩み始めると、何も言えなくなってしまう。だから今は、「私はこんなふうに考えているよ!」と言ってみることを、大事にしたいです。

 今回、私はヒロインについて語りたかったので、この本を書きました。けれど、読者に私の考えに同調してほしいとは思っていません。言葉への印象も、受け止め方も人それぞれです。本を読んで考えたことや思ったことを、自分なりの言葉にしてほしい。そして、まだまだ語られていないヒロインや、そのヒロインの魅力を、ぜひ批評してほしいと思います。『女の子の謎を解く』を読んで、好きなヒロインのことを話したくなる人が一人でも増えたら、著者としてはとても嬉しいです。(おわり)
≪週刊読書人2022年1月14日号掲載≫

★みやけ・かほ=会社員・作家・書評家。著書に『人生を狂わす名著50』『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』『妄想とツッコミでよむ万葉集』など。一九九四年生。