地獄の沙汰も金次第
――気候変動と資本主義――

論潮〈2月〉 中村葉子

 気候危機を描いたキム・スタンリー・ロビンソンのSF小説『未来省』(二〇二〇年)が海外で話題になっている。物語のはじまりは二〇二五年のインドである。インドを襲った熱波によって、外はサウナのように蒸し風呂状態となっている。すでに地域一帯はエアコンがフル稼働したため停電が発生してしまい、人々はもはや体を冷やす手段がないのである。多くのものが水場を探して歩くがたどり着いた湖や海もまた太陽光の下で温度が上昇しており、主人公を除いては、だれも生き延びることができなかった。この熱波によってわずか一週間で約二千万人が命を落とし、これは第一次世界大戦の死者数を上回る規模となったのである。

 この物語は絵空ごとではない。地球温暖化による熱波は赤道を挟んだ北緯二〇度と南緯二〇度の広大な地域(そのほとんどが世界の最も貧しい地域)で大規模に発生する可能性があり、二〇五〇年にはこの地帯に住む世界人口の約五割が住み続けられなくなるという(『ガーディアン』二〇二一年三月八日)。とくに途上国の人々が土地を追われる可能性がある。

 世界有数の資産家であるビル・ゲイツは気候危機に対処するために、米国最大の農地面積を取得し、世界中の高品質な農作物の種子を買い集めてノルウェーに「世界最大の種子貯蔵庫」を建設したそうである。こうした土地と食料の争奪戦がすでにはじまっている。おそらく気候危機はあらゆる人々に「平等」に降りかかる災厄とはならずに、グローバル・ノースに住む富裕層は十分な貯蓄と技術革新によって最後まで生き残るのだろう。「地獄の沙汰も金次第」ということわざがあるように、資金とテクノロジーさえあればどんな危機も乗り越えられるということなのであろうか。テクノロジー開発は、干ばつに強い遺伝子組み換え食品や、気候工学において太陽光を反射させて気温上昇を下げる技術(エアロゾルの大気放出)など海洋、宇宙、生態系の分野に及んでおり、新たな投機ブームともなっている。そのようなテクノロジーへの信奉は、しかしながら、新たな気候システムの変動(急激な冷夏や生態系への悪影響)をもたらす可能性があると指摘されている(斎藤幸平、水野和夫「人類は富を創出してもこれ以上豊かにならない」『東洋経済オンライン』二〇一九年一一月二二日)。それゆえ問われるべきは、気候危機を招いている資本主義そのものの構造なのではないだろうか。

 環境問題を考える上で資本主義の本源的蓄積における収奪の問題、つまり資本主義のその「暴力性」がいま問われている。ジェイソン・W・ムーアはその著書『生命の網のなかの資本主義』(二〇二一年)においてこの収奪に焦点をあてる。ムーアによれば資本主義はいつも自然を「外部」化し、あたかも無尽蔵にあるものとして収奪してきた。しかし気候危機を前にして、自然もまた有限なものであることが明らかになってきたのである。特に本書で重要なことは、労働者階級のエネルギーを補給するために、食料となる小麦を大量に生産し、「安価な自然」として収奪したという点だ。この点はさらに自然と同様に対価の支払われてこなかった女性の再生産労働や身体の問題とも接合される。

 ムーアの収奪論は現在の食料供給システムに内在する途上国の土地の収奪の問題とも合わせて考えることができる。世界システム論を援用しつつ食料供給システムを捉えた平賀緑は、食におけるグローバル資本主義の弊害を次のように見る。貿易自由化の流れの中で食農関連のグローバル多国籍企業は多国間に生産過程を分散させること、つまりより安価な原料と労働力を途上国から確保することで、コストの最小化と利潤最大化を成し遂げてきた。途上国に対しては構造調整計画(SAP)以降、途上国の「人々の胃袋を満たす食べものより輸出して外貨を稼ぐ付加価値の高い商品作物の生産を押し進め」たのである。その結果、途上国では食料が不足し飢餓を招いているという(「「食」から問うグローバル資本主義」『経済』一月号)。この構造はいうまでもなくイギリスの資本主義発展を支えた、インドの土地の囲い込み=収奪の現代版である。さらに土地の収奪は、森林破壊、水質・大気汚染、輸送における炭素排出を伴って行われるのである。このようにとりも直さず先進国による途上国の収奪にもとづく資本主義システムが環境破壊の根底にあるのであって、このシステム自体をまず転換しなければならないのだ。

 昨年開催されたCОP26では、気温上昇を産業革命以前の気温と比べて1・5℃までに抑えるという目標設定がなされ、各国政府もそれに合意したことが評価されている(高村ゆかり「世界は1・5℃目標めざす」『世界』一月号)。また『世界』二月号で組まれた「クルマの社会的費用」の特集では、脱炭素に向けてトヨタなど大手自動車会社がEV車への切り替えを進めることも取り上げられている。けれどもEV化を進めるにしても現在の年間販売台数が一億二千万台にも上ることから、批判の的となっている。たとえEV車であっても車体部分の鉄鋼の製造量が変わらなければ、その生産に伴う炭素排出が進むからである(ダニエル・リード「Fun to Drive?」)。さらに今後、車の炭素排出量を削減するためには、都市部の交通量を減らすこと、車に変わる公共交通機関などのインフラの整備が必要であることも言及されている(除本理史「緑の社会変革に向けて」)。

 このインフラの再整備、建設の問題については、資本主義システムがもたらす気候危機の要因として取り沙汰されている。インフラといえば水光熱や交通をはじめ、わたしたちの日々の生活を支えるうえで最低限必要なものだ。しかし原口剛が言及するように、高層ビル建設や原発、オリンピックの競技場、リニア中央新幹線、米軍基地など必要性が検証されるインフラもまた存在する。これらが時に大規模な森林破壊や、住民の立ち退き、海洋汚染をともなうがゆえに、である(原口剛「サボタージュ、遮断、コモン化」『福音と世界』一月号)。行き過ぎたインフラ建設はなぜ止まないのか。デヴィッド・グレーバーによると、その要因は金融と建設の結託関係があるからだとする。国家の金融緩和政策による巨額の融資が建設産業になだれ込み不必要なインフラが乱開発されている。とりわけ都市部における不動産投機は、異常な建設ブームを引き起こしている。ロンドンもその最たるもので、世界中から投資家がなだれ込み、そのため住宅価格が高騰し、いままで住んでいた貧困層が家賃を支払えずに追い出されているという。人々が立ち退きにあった後、誰も住まないタワーマンションやオフィスだけがただ無用の長物として乱立しているというのだ(「バットシット・コンストラクション とち狂った建設について」『福音と世界』一月号)。このようなまさに金融資本による「とち狂った」インフラ建設が進んでいる。これは人々の実生活に何の役にも立たないものが建てられるだけではなく、これを維持するために炭素を排出し続けるという点で甚大な環境破壊をもたらしているのである。とどのつまり、気候危機は資本主義のこうしたやむことのない富の蓄積から生み出されるものであり、このシステム自体を問題視しない限り事態はいつまでたっても好転しないのだ。(なかむら・ようこ=大阪府立大学客員研究員・社会学)