非ユークリッド派画家 横尾忠則

「GENKYO 横尾忠則」展からの喚起

寄稿=椎根和



なぜ「受胎告知」を〝マス目〟で閉じこめたのか?/数字に意味をこめる。

 二〇二一年七月から三カ月間、開催された横尾忠則「原郷から幻境へ、そして現況は?」展には、その六百数十点の特別の迫力に声もでなかった。

 三層の会場を少年探偵団のように自由気ままに動きまわり記憶に残った画を何度もくり返して見て、シュールな文学的画題をメモしたりした。

 同展を見た友人たちも異口同音に「迫力が……」と言ったきり次の言葉を誰も発しなかった。

 その迫力は、生まれてはじめて海水につかった幼児が感じる、得体が知れない自然に対しての恐怖心と恍惚感、疲労感と同種のものだった。

 それから数日して真鍋淑郞氏がノーベル物理学賞を受賞したというニュースが流れた。彼の業績は、太陽光のエネルギーの力によって気流や風向がどう変化するのか。地球をとりまく空間の大気を〝マス目〟で縦横に区切り、それをスーパーコンピューターを使って空気やエネルギーの出入りを複雑・難解な方程式で計算し予測したものだと、新聞は解説していた。

 真鍋氏の偉業が〝マス目〟を区切るところからスタートしたという話を聞いて、筆者はすぐ、横尾忠則がルネサンス期のフラ・アンジェリコの「受胎告知」を〝マス目〟格子で閉じこめた画を想いだした。なぜ「受胎告知」を〝マス目〟で閉じこめたのか、長い間、不思議に感じていた。

 その後も横尾は「誰か故郷を想わざる」の画で、人間、動物、伝説上のモンスターたちの死後の姿を、宇宙で和む様子を〝マス目〟で覆った。横尾の想像力のスケールの大きさに呆れるばかりである。死後の世界をこれだけ余裕綽綽と描ける画家はいない。

 真鍋氏は「デジタルトランスフォーメーション(DX)の立役者」という評価があるが、横尾は生まれた時から持っていた頭脳だけで人類にとっての未知の世界を〝現出〟させる。

 コンピューターの最初の原理はユークリッド幾何学から自然発生したが、横尾には紀元前三千年紀の土木工事(ピラミッド、ジッグラト建設など)に必要な原始的工法の集積とも言うべき「ユークリッド幾何学的感覚」が生来そなわっていたとしか考えられない。

 筆者は編集者として横尾とは五十五年にわたって交遊というより畏怖の感情で接してきたが、最初に驚かされた才能は、数字に対する記憶力の凄さであった。

「今日ユークリッドは、〝空間〟という概念に起こった最初の大革命を象徴する人物となっている。その革命で生まれたのが、〝抽象化〟と〝証明〟である。(略)彼らは、数字を使えば自然界を理解できること、そして幾何学を使えば、目の前にあるものを描き出すだけでなく、新しい事実を明らかにできることに気づいたのである。彼らは、測量の手段だった幾何学を発展させ、点、線、平面という概念を取り出した。(略)人類がそれまで見たこともない美しい構造があらわになったのだ」(『ユークリッドの窓』レナード・ムロディナウ著、青木薫訳)。

 点、線、平面に〝色〟をプラスすれば、それは画家たちが二千年間も格闘し苦悩してきた大問題である。

 横尾がルネサンス以降のダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、フラ・アンジェリコ、ゴヤ、ベラスケス、ルーベンス、ドラクロア、ルソー、ゴーギャン、ゴッホ、ピカソ、キリコ、デルヴォー、マグリット、ダリ、デュシャン、バルテュス、北斎、蕭白たちのあらゆる傑作、名画、代表作の美学を自分の作品に〝引用〟していると批評家から言われてきたが、正確には〝引用〟ではなくユークリッド的に〝抽象化〟して、なにかを〝証明〟していると、表現すべきである。

 大胆不敵な画家であり、絵画理論家でもあった、ポール・ゴーギャンは画を描くという作業を、「自然をあまり模倣してはいけない。芸術とはひとつの抽象なのだ。自然の前に立って夢見ながら、そこから抽象を引き出してくるのだ」と。<つづく>

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★しいね・やまと=編集者・作家。『週刊平凡』『popeye』編集長、『日刊ゲンダイ』『Hanako』『Olive』『COMICアレ!』『relax』などの創刊編集長。著書に、『popeye物語』『完全版平凡パンチの三島由紀夫』『フクシマの王子さま』『希林のコトダマ』など。一九四二年生。