私たちが話すことはできない

ジャン=リュック・ゴダールインタビュー

「メディアパルト」2021年12月3日配信より
聞き手=ルドヴィック・ラマン&ジャド・リンドガード
翻訳=久保宏樹

 昨年一二月三日、九一歳を迎えた映画作家ジャン=リュック・ゴダールのインタビューが、フランスのウェブサイト「メディアパルト」に掲載された。そのインタビューを翻訳・転載する。翻訳は映画史家の久保宏樹氏にお願いした。 (編集部)

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 本インタビューは、二〇二一年一二月三日、ジャン=リュック・ゴダールの九一歳の誕生日に、フランスの有料ニュースウェブサイト「メディアパルト」に発表された記事の転載である。
https://www.mediapart.fr/journal/culture-idees/031221/rencontre-avec-jean-luc-godard-ne-peut-pas-parler
 転載にあたって、メディアパルト編集部にはお世話になった。この場を借りてお礼を申し上げたい。またインタビューの背景には、フランスの現在の社会状況や大統領選が絡んでおり、日本の読者には馴染みの薄い問題の知識が必要とされる。その点に関しては、訳者による註(*2面に掲載)を参照していただきたい。(久保宏樹・パリ在住)
≪週刊読書人2022年2月18日号掲載≫




 社会的、環境的、政治的大変動が、一つの時代の終わりを告げているかのような時に、「メディアパルト」はジャン=リュック・ゴダール――その作品は美しさと世界の不和の比類するものなき入れ子構造である――のもとを訪れたくなった。

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 インタビューが、私たちの予期していたように繰り広げられないことを理解するためには、多くの時間を必要とはしなかった。一一月の雨模様のある日に、レマン湖のほとりのロール(スイス)で遊覧船を下船した私たちには、ひとつの確信があるだけだった。一二月三日、この金曜日に九一歳になる映画作家が、作品の封切りの予定などとはまったく関係のないままに、インタビューをするという取り決めを受け入れてくれたことである。

 パリの「シネマ・デ・シネアスト」で行われた観客たちとの遭遇及びメディアパルトの行った初めてのインタビューから一一年後に、計り知れない――最新作の『イメージの本』(ARTEのウェブサイトで現在も公開中)には、私たちは目を奪われていた――芸術家と再び会う機会を得たのである。私たちが映画作家に会えたのは、午前中の半ばに、一時間半ほど――もしかするともう少し長かったかもしれない――だった。彼の家は、湖から数百メートル離れたところにあった。写真も動画も許可をされなかった。ふたりの「相手役」が、質問をする私たちと彼のコミュニケーションをとりもった。

 ジャン=リュック・ゴダールとの会合は、彼の友人でもあるパレスチナ人歴史家・詩人のエリアス・ザンバール――その姿は、『ゴダール・ソシアリスム』に見ることができる――の手助けによって実現された。インタビューの数日前に、フランスのテレビの仕組み――とりわけ報道専門局――に対する冷酷な観察者としてのゴダールについて、ザンバールから説明があった。

 ブリュノ・デュモンは、今年『フランス』――レア・セドゥー演じるヒロインは架空のBFMTVの花形キャスターである――を発表している。異なる世代の主要なふたりの映画作家が、フランスのテレビの苦難に強い関心を寄せていることは、取るに足らない出来事ではないことは疑いようがない。私たちは、その有り様についてゴダールの「まなざし〔=見解〕」を知りたくなったのである。

 彼の自宅を訪れると、会談のためにすべてが準備された応接間へと私たちは招き入れられた。ふたつの肘掛け椅子がゴダールの席の前に並べられ、私たちの荷物を置くための小さなテーブルが準備されていた。到着するや否やゴダールは私たちと握手を交わした。私たちは、マスクをはずしてもいいか許可を求めた。ゴダールは許可を出し、窓に背を向けた肘掛け椅子に身を沈み込めた。私たちの背後にあるプラズマディスプレイの画面は消された。

 ゴダールの右側の壁には、ひとりの女性のポートレート写真の堂々たる複製が飾られていた。その写真の人物は、ゴダールを失望させる危険を犯して、会話の流れの中で後々特定することができた。若かりし頃のハンナ・アーレントの姿だった。応接間と隣接している部屋の、仕事部屋と編集室へとつながる階段の一段目には、アシスタントのジャン=ポール・バッタジアが腰掛けており、遠くからインタビューを聞いていた。朝一〇時に、会話は少しずつ生まれていった。

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 MP(メディアパルト) お会いできて光栄です。

 JLG(ジャン=リュック・ゴダール) ええ、なぜ私の元に訪れてくるのか、私は考えを巡らせていました。

 MP 政治的な問題が心配事となっているこの瞬間に、インタビューの依頼を承諾していただきました。

 JLG はい。その問題についてはよく知っています。

 MP 大統領選を前に、エリック・ゼムールの支持者の増加、大衆の言論の極右化への不安……現在の政治的瞬間に興味をお持ちでしょうか。

 JLG どうして私に聞くのですか。私がそうしたことから距離を取ったのは、大昔のことです。

 MP テレビの番組や政治討論を、少しは目にしているのではないでしょうか。

 JLG はい、それは事実です。しかし……そんな風にして作られる古典的映画からは、遠く距離を置くことになりました。基本的なところで、テレビであっても、映画館のスクリーンであっても、Netflix〔ネットフリックス〕であっても、もうたいした興味はありません。あまりにも平坦で〔=特徴がなく〕、興味を失ってしまいました。私にとって地球は平坦ではありません。とても長いあいだ私は、テクストの濫用に反対して、シナリオやその種のものの濫用に少しだけ反対して来ました。そして、私が抱いてきた印象派までの古典絵画への愛着は、ある一面では私の心を満たしてくれたのです。そうした絵画は、新聞などのメディアの外の世界にあります。

 セザンヌは、ゾラの友人でした。しかし、異なるふたつの世界を生きていたのです。そして、私はどちらかというとセザンヌの側に分類されます。セザンヌは、きっとドレフュスのことをどうでもいいとは思っていなかったはずですが、ゾラのようにしてドレフュスのために社会に訴えかけることはしませんでした。したがって、私があなたたちと一緒に活動することはありません。そのうえ、ある時代には、私はメディアパルトを読むのを拒絶していました。私が考える映画とは矛盾する性格を持つように思えていたからです。

 MP 何が矛盾するように思えていたのでしょうか。

 JLG あなたたちは報道するにあたって、僅かながらでも映画や他のことのようにすべきであったのに、紙やテレビの上に文字を刻んでいたからです……。けれども、文字を重視するようになったのは世界自体です。そして、私は自らを面白い人間だとは思っていません。長いあいだ、私自身、興味深い人間だと思っていました。なぜなら、人々が私について話をしているからです。人々が、私のしたことについて話をしているのです。また、たとえ彼らが私について話すことがなくなったとしても、私にはもう彼らに話しかけることができません。私の同郷人の言語で話すことが強制されるからです。<つづく>

本編のつづき&[註]の内容は以下で読めます


★ジャン=リュック・ゴダール=フランスの映画監督。一九三〇年生まれ。一九五九年『勝手にしやがれ』で監督デビュー。ヌーベル・ヴァーグの先頭にたつ。作品に『気狂いピエロ』『パッション』『さらば、愛の言葉よ』『イメージの本』など。