追悼=作家・石原慎太郎

対談=栗原裕一郎×豊﨑由美

 作家・政治家の石原慎太郎氏が二月一日に亡くなった。享年八九。『太陽の季節』で文芸界に鮮烈に躍り出て以来、膨大な作品を書き続けたが、作家としては省みられることがほとんどない。二〇一二年から一年間連続イベントとして石原文学を読み、語り、それを元に『石原慎太郎を読んでみた』(「単行本」原書房、「入門版」中公文庫、「ノーカット版」中公文庫電子版)を刊行した、評論家の栗原裕一郎氏と書評家の豊﨑由美氏に、文学者・石原慎太郎についての追悼対談をお願いした。(編集部)
≪週刊読書人2022年3月11日号掲載≫




知られていない文学者としての顔

 栗原 慎太郎のシンパはたくさんいるけど、シンパは作家・慎太郎のファンじゃないんですよね。

 豊﨑 それを見誤って我々は、『石原慎太郎を読んでみた』なんて本を出してしまった。この本を認めたのは本人だけ(笑)。

 栗原 新聞、雑誌に、ウェブ版まで含めると、結構な数の追悼記事が出ました。

 豊﨑 どこも似たり寄ったりでしたけどね。

 栗原 新聞各紙の追悼記事は当初、見出しも「石原節」「慎太郎節」と横並びでした。

 豊﨑 亡くなってから明らかになったことは少なそうですよね。「死ぬまでは言いたいことを言って、やりたいことをやる。人から憎まれて死にたい」と言っていたぐらいですし。

 栗原 裏表がないんですよね。毎日新聞と『サンデー毎日』が、都知事時代の交際費が異様に多過ぎる、使途が豪奢過ぎるという話を蒸し返していましたが、慎太郎は別に隠していなかった。というより、そもそも公示されていた情報で、スクープとすら言い難い記事で。

 豊﨑 多くの記事が、蒸し返しに過ぎないですよね。

 栗原 都知事時代にスピーチライターを務めた澤章さんによる追悼は面白かったです。澤さんは小池百合子に都庁をクビになったそうで、現在は都政に関するユーチューバーをやっていて、そのチャンネルに、石原慎太郎都政を総括する追悼動画を上げていたんです。側近に近い立場だったので基本的には好意的な内容ですが、慎太郎の野心と手法に対する分析には説得力がありました。いわく、「国会議員としてなかなか芽が出なかった人が、東京都知事という立場を利用して、捲土重来、国を動かしたいという権力欲を満たそうとする政治的手法を作っちゃった人。これは良くも悪くもなんですよ。その後の、猪瀬、舛添、小池も全部それを倣っているにしか過ぎない」。

 石原都政は功罪半ばするけれど、天秤にかけるとわずかにメリットが上回る、という総括でした。確かに震災の瓦礫の受け入れとか、ディーゼル車の排ガス規制とか、ああいうリーダーシップの取り方は、並の首長ではできなかったことかもしれません。一方で、新銀行東京設立など失敗もあったし、訃報に際しては、差別的言辞をあらためて批判する声が大きかったですね。

『週刊文春』に澤さんが語ったところによると、「君の文章は、石原慎太郎より石原慎太郎らしかった」と本人から言われたそうです(笑)。

 豊﨑 「飴」を与えることが上手だった人でしたね。食事会に呼んだわたしたちや中森明夫さんに、テレビでしか見ていなかった石原慎太郎とは違う一面を見せたりして。聞き上手で、「きみたちは若いのにものを知っていて偉いね」なんて言っちゃって。どうせ口先だけとはわかっていながらも、石原慎太郎から褒められたとなれば、やっぱりこそばゆくなります。人たらしってことなんでしょうね。

 栗原 相手によって態度が違ったみたいですけどね。都知事就任後、慎太郎は、東京都も出資するMXテレビで、自分も出演する行政広報バラエティ番組を始めたんですが、レギュラー出演者の一人に水道橋博士もいました。この番組を通して博士は慎太郎と懇意になったものの、東国原英夫が都知事選に出るとなったときに「水道橋博士は東国原の参謀!?」という飛ばし記事が出て、スパイ扱いされ「しっしっ」と縁を切られてしまったそうです。あるいは、お笑いタレントの大川総裁。彼もMXテレビの番組のレギュラー出演者だったんですが、『週刊プレイボーイ』の連載対談で、ゲストに呼んだ当時防衛政務次官だった西村眞悟から暴言・失言を引き出しちゃって大問題になって、西村は政務次官を辞任するに至ってしまいました。事件後の収録日、慎太郎は大川総裁にいきなり歩み寄ると「おい、いいかぁ! 西村眞悟は国士だぞ! テメエらお笑いごときが馬鹿にしていると承知しねぇぞぉ!」と凄んでみせたんですって。で、その日から大川総裁の姿は番組から消えてしまったとか。『藝人春秋3』で水道橋博士が披露しているエピソードです。

 追悼記事に「役人だって恫喝すれば動く」と亀井静香に語ったって話がありましたが、官僚への当たりはキツかったみたいです。飴と鞭の使い分けには意識的だったんでしょう。

 豊﨑 生臭い世界ですからね、政治家としての顔は確かに違ったのかもしれません。作家としては、たとえば斎藤環さんとの『文學界』(二〇一六年一〇月号)での対談ではかなり気持ちを許して、イメージが壊れるぐらい、死についての思い煩いを語っていたでしょう。文学者・慎太郎が見せる顔は、政治家・慎太郎とは違うと思わされました。多くの人が政治家・石原慎太郎の顔はよく知っている、批判サイドも支持サイドも。でも文学者・石原慎太郎の顔は、あまりにも知られていない。それが、慎太郎の不幸だったと思います。

 栗原 今回、文芸評論家では富岡幸一郎と福田和也が追悼を書いていました。考えてみると保守の文芸評論家って今やほとんどいないんですよね。さもなければ小川榮太郎になってしまうという。

 豊﨑 文学を読むことにおいては、右だろうが左だろうが本来は関係ないんですけどね。作品単体を読んで批評するべきなのに、そこにも政治的な立場とか、主義みたいなものがくっついてきてしまう。そこが、石原慎太郎が文学者として浮かばれないところだと思います。普通にいい純文学作品もあるし、エンターテイメント寄りの作品にも、見るべきものはあるのに。純文作家としてデビューしながら大衆小説を書いたり、ハードボイルドものを書いたのも、慎太郎が先駆けなんですけどね。

 栗原 作家・石原慎太郎を本心から敬っていたのは、福田和也と西村賢太、樋口毅宏くらいですか。

 豊﨑 賢太は追悼書いてすぐに逝っちゃいましたね……。大江健三郎とは、一時期交流があったみたいですけど。

 栗原 「若い日本の会」までですかね。互いに好敵手とされてもいました。「若い日本の会」は江藤淳の旗振りで組織された警察官職務執行法に反対するための会で、六〇年安保闘争へスライドしていくんですが、若手文化人が多数参加していました。当時はまだ政治的に未分化で、石原慎太郎に大江健三郎、開高健、谷川俊太郎、羽仁進、浅利慶太、永六輔、黛敏郎といった人たちがごちゃごちゃっと野合していた。政治的スタンスが分かれていくのはこの会の後のことですね。<つづく>

本編のつづきは以下で読めます

★くりはら・ゆういちろう=評論家。文芸、音楽、経済学などのジャンルで執筆活動を展開。著書に『〈盗作〉の文学史』(第62回日本推理作家協会賞)、共著に『ニッポンの音楽批評150年100冊』『村上春樹の100曲』『本当の経済の話をしよう』など。一九六五年生。
★とよざき・ゆみ=ライター・書評家。大森望との共著『文学賞メッタ斬り!』シリーズにおいてしばしば、芥川賞における石原慎太郎の選評を取り上げたことが話題を呼んだ。他著書に『ニッポンの書評』『ガタスタ屋の矜持』など。一九六一年生。