新天理図書館善本叢書「連歌俳諧」全六巻刊行!!
カラー版で味わう 連歌・西鶴の名品

文学・歴史・美術横断、連歌の名品『集百句之連歌』他、西鶴の自註絵巻・自画賛等

絵画史からみた連歌懐紙の装飾と下絵(玉蟲敏子)



絵画史からみた連歌懐紙の装飾と下絵 玉蟲敏子
 連歌懐紙の金銀泥下絵の自由闊達な筆遣いに魅せられ、東京から新幹線や近鉄線を乗り継いで、奈良の天理大学附属天理図書館にせっせと通っていたのは今から三十年ほど前のこと。世は煌びやかなバブル最盛期だというのに、私の関心はもっぱら日本美術史における琳派の祖、俵屋宗達が画業の初期に手掛けた本阿弥光悦書和歌巻の金銀泥下絵に向けられ、その源流を求めて中世からの系譜を明らかにしたいという熱情にかられていた。琳派研究の泰斗、山根有三氏の示唆をまともに受けたからでもあった。

 目録に『賦山何連歌百韻』などと書名が載るだけで下絵に関する記述のない巻物類を、一点ずつ請求して閲覧させていただくのだが、紐をほどいて開くまでどんな下絵が出てくるのか全くわからない高揚したドキドキ感があった。鹿島美術財団の助成金を得ていたことから、調査の結果はその紀要の『鹿島美術財団年報』に報告し、併せて研究報告会で口頭発表する機会を与えられた。東洋・西洋の美術史家が集う会で、日本の中世の金銀泥下絵のような地味な分野が認められるのか不安だったが、新資料を数多く紹介し、下絵と連歌のテキストの相関性や模様の種類の豊富さなど新知見を盛り込んだ内容だったからか、望外なことに西洋美術の大家の先生方が関心をもたれ、あまつさえお褒め言葉さえ頂戴した。

 このたび上梓された『連歌巻子本集一』には文明三年から天正三年までの連歌の巻物十二点が、贅沢にも鮮麗なオールカラーの図版によって複製されている。当時、紹介した懐紙類も五点含まれ、懐かしさが込み上げてくる。巻頭は別格的存在の能阿弥筆『集百句之連歌』。下絵の観点からみると、この巻物は四季絵の枠組みにやまと絵系の八重桜や四季の草花、中国由来とおぼしいキッと鋭い眼つきの雄鶏(図2)、鶉、鷹などの大型の鳥や芙蓉などの大振りな花卉を盛り込み、和漢の融合を成し遂げた作例として位置づけられる。室町中期に活躍した同朋の能阿弥が使用した基準印の一つである「秀峰」の朱文鼎印が奥付やその前の紙継ぎに捺されており、少し前に新出した能阿弥筆「花鳥図屏風」(現、出光美術館蔵)をめぐる山下裕二氏の論考とともに、私の研究も学術雑誌『國華』一一四六号(一九九一年)に掲載され、同号はさながら能阿弥特集の観を呈していた。

《書と料紙装飾》という分野は、中国・唐美術の影響を全面的に浴びた奈良・平安以来の永い伝統をもつ。とりわけ女手や絵画的な蘆手が現れた平安中期以降、金銀泥絵を含む多種多様な装飾技法が発達し、日本美術の装飾的側面を肥沃なものにしていった。連歌懐紙の下絵もその流れに掉さし、宮廷絵師とは一味違う奔放自在な美を付け加えたのである。

 さて私の研究の当初の目的は、『賦浄土要文連歌百韻』の出現によって見事に叶えられた。上部に藍と紫の打曇を施した料紙に金泥の霞を引き、平塗りした金泥の葉に白蓮華らしき銀泥の花の咲く極楽浄土の蓮池が延々と続く(図3)。宗達にも、関東大震災で大部分が消失した金銀泥絵の「蓮下絵百人一首和歌巻」(東京国立博物館蔵ほか)があり、制作動機に和歌をしるす光悦の姉妹や母への追善供養を掲げる議論もある。春から晩秋にかけての蓮の一生を描くが、最後に線描の大きな花を四輪咲かせて了とする。その再開花への展開の意味を読み解こうとするとき、「蓮池図」を表す『賦浄土要文連歌百韻』は図像解釈上、先行する貴重な参照作品となる。

 二〇一二年春にワシントンのナショナルギャラリーで開催されたシンポジウムの報告書 The Artist in Edo:Stud-ies in History of Art -80-に寄せた拙稿、“The Lotus Scroll: Koetsu and Sotatsu’s Collaborative Space”(=「蓮下絵和歌巻」―光悦と宗達の協動の空間)において、両作の共通性を《仏教的荘厳》として論じているので、御一読いただければ幸いである。(たまむし・さとこ=武蔵野美術大学教授・日本美術史)