俳優・三浦春馬からの<継承>

三浦春馬著『日本製』(ワニブックス)を巡って

対談=田中秀臣×森永康平

PART2

「三浦春馬は三國連太郎である」

 田中 少し三浦春馬さん自身に引き寄せた話をしていきたいんですけれども、僕が俳優・三浦春馬に興味を持つようになった作品が2014年に放映された「僕のいた時間」(フジテレビ)でした。実はこれには裏話があって、この作品で三浦さんは女優の多部未華子さんと共演しているんですけれども、元々僕は多部さんのファンだったんですよ。彼女のファンミーティングにも出たことがあるくらいの(笑)。

 森永 入り口はそっちだったんですか(笑)。

 田中 特に多部さんが主演している映画「君に届け」なんて、映画館に観に行きましたし、DVD-BOXも買ったくらいですから(笑)。この作品でも三浦さんは多部さんと共演していて、最初はむしろ多部さんの共演者という認識が強かったんですね。

「僕のいた時間」で主演の三浦さんはALSの患者役を演じています。ドラマ放映当時、僕はALSのサポートセンターなどの運営をし、ALSについての本を執筆して大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した川口有美子さんから、三浦さんが役を演じるためにALSの患者の会を取材をした、という話を聞いて、俄然彼に興味を持ってこの作品を見てみたらまさに迫真の演技でした。そこから一気に三浦さんの魅力に引き込まれました。その後、三浦さんが主演した映画「進撃の巨人」をテーマに三浦さんの意義を語るトークイベントを5年前に開催したんですよ。ちなみにその会に参加した三浦さんのファンはお1人でしたけど(笑)。

 森永 (笑)。

 田中 その時のファンの方々の無関心はいまだに僕の中に澱のようになってますが、そのイベントで僕は「三浦春馬は三國連太郎である」と評したんです。三國連太郎という役者は言語過剰な人でして、あらゆる話題についてとにかくしゃべりまくる。僕が読んだ三浦さんのインタビューから三國連太郎と似た言語過剰な印象を受けたんです。同時に一歩間違えたら破綻しそうな紙一重の危うさも感じました。ただ、三國連太郎的な危うさというのは例えば女性問題や家族の問題、あるいは演技上の壁にぶち当たってどこか放浪してしまうといった部分でして、そんな危うさを三浦さんに照らし合わせて見ていたんですけれども、現実はもっと厳しかった。こんな悲劇的な結末なんて想像すらしておらず、考察の不足を痛感しました。だから、いつか三浦春馬さんについてちゃんとした考察をやろうと思っているんですけれども、三浦さんはテレビや映画といったスクリーン上での演技のほかにも舞台性、歌手性など幅広い側面があり、そういった多方面の芸術分野に対して複合的に精通する必要があって。さらに彼のファミリーヒストリーや、ファミリーロマンス的な人間形成の上でのバックボーンもきちんと把握しておかなければならないですから、おいそれとは出来ないな、とも思っているんです。ただこの『日本製』は経済学者としてアプローチしやすい内容だったし、「僕のいた時間」以降の彼の過ごした時間が凝縮しているんですよね。それに書籍ベースでの彼の事実上の遺作だということも重なり、どうしてもこの本は扱いたかったんです。

 森永 本書を取り上げようと思われたのはそういう背景があったからなんですね。


現場に足を運ぶこと、当事者の声を聞くこと

 森永 この本の中で三浦さんは俳優業の合間を縫ってわざわざ現地に足を運び、当事者の話を直に聞いているじゃないですか。その姿勢を僕はすごくリスペクトしたんです。そもそも現場に行って当事者の話を聞くというのは、僕の仕事上のポリシーでもあり、常日頃から大事な作業だと考えていました。なぜかというと、例えば政治経済や金融の世界では30代なんて若手のさらに下という状態で、僕や田中先生が出演している朝のラジオ番組「おはよう寺ちゃん活動中」(文化放送)のコメンテーターの中でも30代は僕だけじゃないですか(笑)。こういう立場から意見や情報を発信しようとすると、「若いくせに」と言われがちなんですが、僕の場合、徹底したデータ収集と実際の現場を取材したという事実をもって自分の発言に説得力を持たせようとしています。特に現場で聞いた生の声というのがかなり強くて、偉い肩書の人と相対したときも彼らは直近の現場を見ていないことが多いから納得させるための格好の材料になるんです。ネットで拾った情報だけを集めただけではどうしてもチープな意見表明や情報発信にしかならないから、やはり現場に行ってそこにいる人たちの発言や、想いというものを自分自身の目や耳で見聞きして、実際の状況を知った上で情報を発信するというのが一番大きな武器になるんですよね。だからこの本の中で語られている三浦さんの言葉も当事者ではないにも関わらず、一度、直に生の声を聞いているからこその当事者的なリアルさが十分伝わってきました。改めて現場に行って話を聞くことの重要さを教えられた思いです。

 それに当事者ならではの言葉というか言い回しというものもこの本を通して知ることができました。その1つに広島県の回に登場した、「ヒロシマを語り継ぐ教師の会」事務局長の梶矢文昭さんのインタビューがあるんですけれども、実は僕この広島の回は特に読み込んでしまった部分でして。当時子どもだった梶矢さんは原爆投下直後、ひたすらに逃げのびて、夕方になってようやく家族のことが気になり始めた、と三浦さんに語っているんですが、この部分がすごく刺さったんですよ。僕だったら、そんな危機的な状況に陥ったら真っ先に家族の安否を気にすると思うんですね。しかも梶矢さんの場合、当時はまだ子どもですからすぐ家族のことが気になるのではないかと想像したのですがそうではない。状況がわからないままとにかく逃げて、夕方になって追撃がないことがわかり、とりあえず死なないで済むかもと安心して、初めてお父さんお母さんお姉さんは大丈夫なんだろうか、って思い出したそうなんですよ。

 田中 生きるか死ぬかのギリギリの状況を生々しく語っていらっしゃいますよね。

 森永 ほんの短い一節なんですけれども、これはおそらく当事者でないと語れない事実であって。仮に僕が小説で原爆投下後の場面を書けと言われたら、空想でそれっぽいシーンは書けるかもしれないけれども、絶対に梶矢さんの語ったような表現は書けない。だから今の自分がどれだけ「戦争反対」や「原爆反対」を訴えたところで駄目なんですよ。当事者と僕とでは言葉の重みがあまりにも違いますから。僕らの役割はこういった戦争を経験した当事者たちの言葉をいかに次世代に繋げていくか、ではないのかなって。そういった問題意識はこの本を読んだ上での僕の課題意識でもあるんですけれども。

 田中 確かに、広島の回のインタビューは本書の中でも異質の凄みがあるな、と思いました。一方で三浦さんも梶矢さんのお話を聞きながら自分に身に置き換えているんですよね。自身が出演した映画「永遠の0」の役作りにあたって従軍経験者だった祖父の話を聞いた、というある意味俳優論にも触れるような話をしていて、読んでいて面白かった。

 森永 ご自分の経験と照らし合わせながら話を聞いている印象を受けますね。

 この本を読んだあと、気になったので他のインタビュー記事も調べてみたんですよ。梶矢さんは今年開催予定だった東京オリンピックで聖火リレーのランナーを務める予定だったそうなんです。そのことについて受けた取材の中で「原爆の時は火から追われながら一生懸命逃げた。今度は平和、喜びの中で火を持って走れる。同じ火で走るのでも大違いだ」(「時事ドットコム」2020年8月5日付)とコメントしていました。これも絶対当事者じゃないと言えない。僕は書けないし、そんな表現は出来ないのです。