経済危機、人びとの思惑と行動

『金融危機の行動経済学』(日本経済新聞出版社)刊行を機に

対談=田中秀臣×森永康平

Part2



「期待」の考え方

 田中 本書中、シュライファーとジェンナイオーリは「外挿的期待」を一部は好意的に、一部は批判的に扱っています。これは過去に起きた事象が将来も起こるだろうと考え、機械的に予測を立てる、「適応的期待」とも呼ばれているものを指します。経済学では将来起こりうる事象に対していくつかの期待のモデルを組み立てる試みを行いましたが、その結果大きく二段階の発展をみました。ひとつはこの適応的期待。もうひとつは効率的市場仮説の説明で紹介した全員がゲームのルールを理解している状態で、前述のようにゲームのルールがわかっていれば将来予測も可能になり、適応的期待のように過去の出来事だけに拘束されることはない。ゲーム中に起きたことは「そういったこともあるよね」とあくまでもルールに基づいて推測をたてることができる「合理的期待」。主にこのふたつの期待のどちらかが現在用いられています。

 しかし、本書の著者たちの行動ファイナンス的な期待の発想は適応的期待、合理的期待のいずれとも違っていて、そもそもゲームの既存のルールだけでは捉えられないような事象を考慮しなければならない、という新しい形を検証します。

 この3つに分岐した期待の考え方を説明するために、今度はサッカーにたとえて解説します。サッカーのゲーム中、猫がグラウンドに乱入してきた、その事象をもとに考えてみようと思います。まず適応的期待の場合、猫の乱入はまったく予期しないブラックスワン的な現象です。その場で対処できないほどの予想外のショックが起き、その瞬間ゲーム終了となってしまいます。これが適応的期待のモデルで、僕も以前藪下史郎さんと一緒に適応的期待をベースにしたデフレ・ショックのモデルを作ったことがありました。ではゲーム崩壊後はどうなるか、まずはショックが収まるのをひたすら待ちます。そして猫が乱入しないために壁を大きくするとか、万が一乱入したとき用に捕獲するアルバイトを雇う、といった今後の対策を検討し危機に備えます。これらの対策を金融市場的に考えると、流動性を高める金融政策の枠組みを構築しておく、あるいは金融規制のルールを作るといったことが考えられますね。

 つぎに合理的期待のほうですが、あらかじめ決められたゲームのルール内ですべて対処できますので、仮に猫が乱入してきても一旦試合を中断して審判か選手が猫を捕まえてグラウンド外に逃してゲームを再開します。このような予想外の事象に直面してもゲームのルールのなかで常に対応ができると考えるのです。

 ではシュライファーたちは自身らの期待をどう考えているか。前のふたつ同様サッカーのゲーム中、猫が乱入してきます。すると選手たちはボールではなく猫を追いかけだします。捕まえて逃がすのかと思いきやなぜか猫を相手ゴールまで抱えて持っていくと、それが得点になってしまう。今までサッカーだと思ってプレーしていたけれど、実は猫取りゲームだった、と猫の乱入をきっかけに即ゲームチェンジが起きてしまうのです。よくよくグラウンドを見てみるとゴールは巨大な猫のケージに、ゴールキーパーのグローブは猫を捕獲するのにちょうどいいアイテムに見えてきて。ほかの選手はボールではなく猫を追いこむ役目に切り替わった、というわけです。そんな猫取りゲームが今繰り広げられていますが、今度はなんとバスケットボールを持ったペンギンが乱入してくるじゃないですか。すると今度は猫取りゲームから、ペンギンと一緒にバスケットボールをやるゲームに変わってしまいました、と。それまで続いていたゲームがブラックスワン的事象が起きるたびに性格をガラリと変えてしまう。つまり現在理解しているゲームのルールが正しいかどうかが極めて曖昧で、大きなショックのたびに認識の間違いだと気づかされ、都度訂正されていく、という発想です。果たしてこの冗談のようなたとえ話ががどこまで的を射た表現かは定かではありませんが(笑)。

 ちなみに現状のルールでショックに対応可能な合理的期待でも必要に応じてルールを変更することができます。でもルールを変えるときはみんながわかる形で行われなければならず、これをレジーム転換と言います。例えば第一次大戦終結後、東欧諸国やドイツでハイパーインフレが起きましたが、政策当局が従来のゲームのルール、つまり経済政策をみんながわかる形で変更しました。そのレジーム転換によってハイパーインフレがおさまり、マイルドなインフレになった。この経験を応用したのがリフレ派の主張です。デフレが続くような従来の経済政策に対してインフレ目標を設定して、すべての人に明確に理解できるようなゲームのルールに変える、デフレからインフレへ人びとの期待を転換することを目指すという発想です。だからリフレ派は基本的に合理的期待を前提に政策を検討しているのです。

 一方、リフレ派のなかでも僕や浅田統一郎さんのように適応的期待の考え方が好きな人たちもいます。人びとは過去の経験則に拘束される傾向が強く、デフレ期待も根強く刷り込まれているからそう簡単にレジーム転換はできない、という考えで、現在の日銀もインフレ目標未達の原因も一部を適応的期待の発想で説明しようとしています。いままでデフレ期待がずっと続いたので、なかなかみんなインフレ期待に転換できないという形でです。つまりレジーム転換によって人びとの期待がガラッと変わるわけではない、これはある意味シュライファーたちの発想に通じますが、彼らのような行動ファイナンス的なモデルではなく、あくまでも従来の適応的期待におけるブラックスワン的ショックを念頭におきつつ、そこにレジーム転換的なアイディアも考慮している、というのが僕や浅田さんの立場です。非合理的な過去にとらわれている人たちでもきちんと理解できるようにゲームのルールを変える必要があるので、さらに強烈なメッセージが必要になってくる。だから財政・金融の両方をどんどんやらなければ駄目だ、といつも発言しているのですね。その点で、いまの日本銀行の姿勢は不十分です。

 戦前の世界恐慌やリーマンショックは過去に起きた経験と全く異なる予想外のショックだったので、経済全体が期待を裏切る形で落ち込んでいきました。だからこのような事象を説明するためには適応的期待のほうが説明力があるように思えます。合理的期待ではこれらの大きなショックも予想の範囲内だから、衝撃の大きさを説明するには不十分ですね。でも適応的期待なら、今まで積み上げてきたデータからまったく切り離された予想外の衝撃よってガクンと経済は落ち込んだ、という話に繋げやすい。だからシュライファーたちが「外挿的期待」つまり適応的期待のことを好意的に受け取っているのもこういった側面からでしょう。

 一方、それだけではまだ説明に不十分なところがあるということも同時に指摘しています。なぜなら人びとは深刻な事態が目の前で起きているにも関わらず、なぜか「まだ大丈夫じゃない?」と楽観視を継続してしまうと彼らは言っています。足元が燃え盛っているのになぜ気づかないのか、というところをリーマンショックの事例をもとにモデル化しようと試みたのが彼らの本書での狙いのひとつでしょう。

 さらに本書の面白い指摘は、あるショックによって経済が大きく落ち込むけれども、その後似たような話がふたたび内生的に生まれてくる、ということを彼らが作ったモデルのなかで説明しているところです。これを信用サイクルと言って、人びとは非合理的な楽観を形成して手ひどい目にあい悲観するまでその姿勢を続け、懲りずに再び楽観的な期待形成をして、別の衝撃によって裏切られてまた悲観的になる。こうした人びとの思惑が延々とサイクルしていることを説明できたのが、本書の大きな意義だといえます。


リーマンショックの教訓

 田中 では本書の議論をふまえて、リーマンショックの経験が現在の経済状況にどう活かされているか見ていきたいのですが、新型コロナによって経済的にも大きなショックを受けたのでまずは流動性を高めて影響を緩和させている、ということが言えると思います。ほかにも昨年FRBがハイイールド債、いわゆるジャンク債を大量に買いましたが、これもまたリーマンショックのときの教訓で、ヤバそうなところが見つかれば手を抜かずに支えるという姿勢の表れだったのではないかと思っています。

 森永 あのFRBの動きこそヒューリスティックでしたよね。実は1986年に原油価格の急落を受けて経営破綻した米国の中小石油企業のファイナンスを担っていた貯蓄貸付組合に大量の焦げ付きが発生して、それを契機にテキサス州を始めとした米国内で金融危機が生じたことがありました。

 田中 なるほど。

 森永 基本的にはモラルハザードの観点から、銀行を含む民間企業の業績悪化に政府や中央銀行がいちいち介入することはないのですが、地銀の場合は地方経済の要を担っているので、銀行が破綻すると銀行だけがダメになるだけでは済まず、地域経済がボロボロになったという経験則があったようです。だから昨年のFRBの動きは中央銀行のバランスシートの健全性を考えたら本来ありえないのですが、ハイイールド債を買い支えることで、最後の買い手として中央銀行が控えている、というメッセージを市場に打ちだして市場参加者に安心感を与え、結果的に原油価格が戻り事なきを得た、というわけです。これこそまさにヒューリスティックな対応が完璧にハマったパターンだったと言えるでしょう。

 田中 それぐらい必死になって中央銀行が債券市場を支えた結果、リスクは低下したので結果オーライでしたが、逆にみんな安心しきってかなりのリスクを取る投資家がいっぱい出てきましたよね。

 目立つところでいえば今、仮想通貨市場がすごく盛り上がっていますが、どうも金銭的に余裕のある人たちがダブついた資金の運用先として使っているようです。ちなみに僕は仮想通貨の価格がどんなに乱高下しようが、大暴落を起こしたというニュースを聞こうがほとんど心配していません。なぜかというと、仮想通貨市場は既存の金融システムと完全に切り離されているし、参加者は全員投機目的ですから、たまたま大暴落が起きて大損をこく人がいればその逆もありえる。言うなればリスク愛好者が集まってゲームに興じているだけなので、仮想通貨市場が実体経済に大きな影響を及ぼすことはほとんど考えられない、そんな世界の話だと思っています。

 ほかにも金融市場をめぐるニュースがいくつか話題になって、シャドーバンクのようなものもこれまで以上に拡大しているようですし、あとゲームストップなんて名前も一時は大きな注目を浴びましたよね。

 森永 ゲームストップに関しては、一言でいえば空売り専門のヘッジファンドと個人投資家の駆け引きでした。空売り専門のヘッジファンドは株価が下がると予想して空売りすることを生業にしているのですね。しかし、彼らの予想に反して株価が上昇するとポジションを決済しなければならず、それまで売っていた株を買い戻さなければならなくなります。個人投資家がその仕組みに目をつけて、掲示板を通して共謀してヘッジファンドに対して買い向かっていった。そのような駆け引きのなかで株価が一気に跳ね上がりました。個人投資家からすればヘッジファンドが音を上げて株価が上昇したタイミングで売れば楽して儲けられる、このようなアービトラージ的な動きだったわけです。

 田中 このニュースで驚いたのは、ゲームストップ株の1日あたりの取引額のピークが東証一部の1日の取引高と同じくらい加熱していて、その担い手がヘッジファンドではなく一般人だった、というところです。個人投資家が掲示板に大挙した結果、今回のような大騒ぎになったので、これも過去の経験とは異なるある意味ブラックスワン的現象だったかな、と。まあゲームストップに関しては早々に規制当局が対応したのでであっさり収まりましたけれども、似たことが将来起こらないとも限らないですよね。

 森永 いま僕らが見ているリスク要因というのはあくまでヒューリスティックなところから派生したものですが、ひょっとすると今回のゲームストップのように見えない角度から何かが飛んでくるかもしれなくて、そちらのリスクも常に想定しておく必要があるでしょうね。そうでないと我々の意識の外からブラックスワン的な事象が起きたときに適切な対応が出来ずに負の信用サイクルに嵌るかもしれないですから。

 田中 話が脱線しますけど、『GANTZ OSAKA編』(奥浩哉著/ヤングジャンプコミックスDIGITAL)に「ぬらりひょん」というボスキャラが出てくるのですが、普通に攻撃してもダメージを与えられなくてすぐ再生してくるんですよ。ではどうやって倒したかというと敵の認知外からの攻撃が有効だったので、みんなで認知外から攻撃を繰り広げたという展開だったのですが、これから我々はGANTZチームの認知外からの攻撃に対応しなければならないわけです。だから本書で金融危機のメカニズムを学ぶのもいいけれど将来の危機に備えるには『GANTZ OSAKA編』がオススメです(笑)。