真の“リベラル”経済学のススメ

対談=岩田規久男×柿埜真吾

世界の格差、日本の格差


世界の格差、日本の格差

 岩田 では、本書で取りあげた格差問題について、長くなりますが少し丁寧に紹介していきたいと思います。まず本書で論じたのは前述の通り世界の、主にアメリカの格差に関しての議論が中心なのですが、先に結論から申し上げると、これはピケティの主張とも合致しますが、アメリカの税制度の問題、いきすぎた労働所得税のフラット化が原因のひとつです。

 労働所得税のフラット化とは、税率の累進度を非常に小さくしてしまうことです。つまり、高所得者と低所得者の税率がほとんど変わらない。

 アメリカの税率の歴史を振り返ってみると、70年代頃の労働所得税の最高税率は70%程度でした。ところが、レーガン政権時代にそれまでの税制に手を付けて、80年代の終盤には最高税率が20%後半で推移するようになっていました。もう一方の最低税率が15%程度の2段階しかない税制です。さらに、資本所得のうち譲渡所得税も10%にまで下げたので、高所得者と低所得者の税率がほとんど変わらない状態になっていたのですね。

 わかりやすく言うと、最高税率を切り下げたことにより、従来、経営者をはじめとする高所得者は稼ぎの70%を税金に取られていたのが、80年代はその逆に稼ぎの70%くらいが手元に残るようになった、ということです。

 では、アメリカはなぜ労働所得税をフラット化し、さらに資本所得税を下げる高所得者優遇の政策をとったのか。当時のアメリカは国全体で貯蓄が少ないことに悩んでいました。もともとアメリカという国は消費者も含めて貯蓄よりも借金が多い体質だったんです。

 貯蓄とはみなさんが所得のうち消費に使わなかった部分です。貯蓄が増えればその分だけ企業の設備投資のための融資資金に回る、という仕組みですが、80年代初めの頃は、貯蓄よりも投資のほうが上回っていたため、投資のための資金が不足する状況でした。

 これは、フェルドシュタインのようなサプライサイド経済学者らが当時さかんに主張していた議論ですが、アメリカの設備投資や研究開発部門が落ちこんでしまっているのは貯蓄が少ないからであり、貯蓄を増やすために高所得者の税率を下げるべきだ、と。加えて、労働所得税が低下すれば、今以上に労働者は勤勉になる、と彼らは言っていました。

 このようなサプライサイド経済学者の意見を取り入れた結果どうなったかというと、むしろ貯蓄率はさらに下がってしまったんですね。また、労働生産性の向上も見られなかった。労働生産性に関して付言すると、たとえ70~80%の税率だったとしても、高所得者、それこそジェフ・ベゾスみたいな人は関係なく働いて稼いでしまう。

 そんなアメリカの貯蓄率が上昇したのはリーマン・ショック後です。リーマン・ショックによって、アメリカ人もそれまでの消費しすぎを反省し、ようやく、消費を切り詰め、それまでの借金を返済するようになった、ということです。

 以上のことから、アメリカの格差を縮小するために80年代に行った税制を改めて、労働所得税の場合、高所得者向けの税率の累進性を上げる必要がありますし、資本所得に関しても、低所得者と高所得者でほぼ同じ水準なのはどう考えてもおかしいわけですから、こちらも累進性を取りいれて補正していかなければならないと思います。

 もうひとつ、格差の拡大に拍車をかけているスーパー経営者の存在も考えなければなりません。主に金融産業や、大手IT企業のトップなどがその代表ですが、この人たちが自分の経営者報酬を青天井に引きあげている問題があります。

 それがあまりにも目に余るようなら、本来は株主総会を使ってそれに歯止めをかけることができます。この機能をコーポレート・ガバナンスといいます。なぜなら経営者が利益を牛耳ってしまうと、株主には配当がいかなくなりますからね。

 ところが、スーパー経営者に対する株主によるコーポレート・ガバナンスがあまり効かなくなっている。どうしてかというと、株主の中心的存在が機関投資家だからで、ようするに経営者仲間同士が手を握って、お互いに黙認してしまっている状態だからです。

 それに高所得者はタックスヘイブンを利用して租税回避行為に力を入れています。これを取り締まるには世界的な所得把握システムを構築しなければならないのですが、国際的な合意事項であり、当然タックスヘイブン国は反対するでしょうから、議論はなかなか先に進んでいません。

 あるいは、GAFAが各国で法人税をほとんど払っていない問題もあって、これは利益を挙げた地域での売上高の10~20%のデジタル課税をかけよう、という議論をG7国中心で話しあっています。

 ここまでが世界的に見られる格差の問題です。では日本の事情はというと、スーパー経営者による高額報酬や節税行動から生じたものではなく、一言でいえばデフレが原因です。

 90年代以降、長期間デフレが続いていたために、その間、日本経済は成長しませんでした。景気が悪いから企業は利益を上げることができず、設備投資や雇用に消極的になり、ますます収益が減るという状況で、企業は人件費を削減しながら、なんとか生き残りを図ってきました。

 デフレ以前に仕事に就いていた連合に所属するような大企業の社員とかなら、労働組合があるから年功序列の給料制は守られてきたのですが、そういった企業でも、デフレのため売上が伸びないから、今までのように新入社員は雇えなくなっていたんですね。この時期に正社員の雇用が大きく減少した根源的原因はデフレです。

 正社員雇用を減らしたとはいえ、企業側も生産活動は続けなければならないから、今度は正規雇用ではなく非正規雇用、パートやアルバイトのような人を雇って人手をまかなうようになりました。非正規雇用の人たちというのは賃金のベースも低いし、労働組合に所属していないから簡単に解雇もできます。この非正規の人たちがデフレ期は景気の調整弁の役割を果たしてきたのです。

 また、日本の雇用市場には転職市場がほとんどない、という特徴があります。だから、好景気のときの新卒社員は雇用環境に恵まれているので、比較的いい企業に就職してそのまま定年までいけることもあるから、そこまで大きな問題はないのですが、反対に不景気で就職氷河期のようなときに当たると非正規雇用にしかありつけず、少し景気が回復したところで簡単に転職もできないから、運が悪いと一生非正規社員のまま、ということになりかねない。

 正規雇用と非正規雇用の生涯賃金の差はざっと1~2億円になります。億単位の開きが生まれるわけです。だから、日本の格差、あるいは格差縮小政策を考えるためには、まず原因がデフレにあることを理解し、適切な経済政策を取り、デフレからの脱却を図らなければなりません。

 2012年以降のアベノミクスで行った量的緩和政策により、今は低成長ながらデフレからは抜け出し、雇用も正社員を含めて増えてきました。徐々に人手不足の状態になってきて、企業が賃金を上げないと人を雇うことができない水準に徐々に近づいてきています。

 日本経済の話になったので、先に本書の10章で論じた財政の議論にも触れておきます。日本の場合は90年代以降、長期にわたって緊縮財政が続いてきました。これが日銀による金融政策の失敗と重なって、デフレに陥っていたわけで、日本経済がデフレから完全脱却のためには、量的緩和政策に加えて積極財政を行っていかなければいけない、という議論をこの章で行いました。

 どうして積極財政も重要になるかと言うと、現在の量的緩和政策によるマイナス金利をこれ以上深堀りすると、銀行の利ざやがますます減り、今度は地域金融機関の破綻リスクをまねいてしまうことになるのです。だから、金融政策のスタンスは維持しながらも、やはり積極財政、たとえば公共投資を増やす、であるとか減税といった政策をやらなければいけない、ということです。

 よく、積極財政を実施すると日本の借金がますます増えて日本財政が破綻する、といった話が出ます。この話をすると長くなりすぎるので、本書第10章を見ていただくとして、今回の対談では説明を割愛します。結論から言えば、今のところ財政破綻の心配はまったくありませんのでご安心ください。

 ところが、皆さんもご承知の通り、安倍政権下で2度の消費増税を行ってしまったわけですね。基礎的財政収支を黒字化するという方針のもとで。これは明確な緊縮政策です。

 アベノミクスの本来の目的が量的緩和と積極財政、そして規制緩和の3本の矢でデフレから完全脱却を目指し、経済を成長軌道に乗せるということでしたが、第2の矢がそれとは真逆の緊縮財政、つまり需要を減らす政策をやっていたわけです。金融政策で需要を増やして物価を押し上げようとしているのにも関わらず。

 今頃になって、安倍さんが積極財政をと言っていますが、もっと前に実施してほしかった。話が前後になりましたが、ここまでが日本の格差問題を含めた経済状況です。

 柿埜 岩田先生の格差問題の分析は、反資本主義の方々が主張しているような資本主義批判や、何でも規制緩和や利益至上主義、あるいは“新自由主義”のせいにする論調とはまったく違う議論だということが、今の解説からもわかると思います。

 問題は資本主義そのものではなく、アメリカなら既存の税制、あるいはスーパー経営者の出現といった、資本主義の本来の機能がきちんと働いていないことで起きているのです。こうした問題は利益至上主義とか株主資本主義に原因があるわけではなく、むしろその反対だと言った方が遥かに正しいでしょう。

 経営者自身がお手盛りで増やしてしまう超高額報酬問題は、岩田先生がおっしゃるように、本来、株主の権利が尊重され、コーポレート・ガバナンスが機能していれば防ぐことができる問題です。無意味な超高額報酬は株主に損害を与え、会社の利益を損なうのですから、そんな経営者は敵対的買収などで追い出されるはずです。それこそが資本主義が持つ内在的なメカニズムなのです。そのメカニズムの機能を阻害している人たちがいることで、経営者の暴走に歯止めをかけることができなくなっていることこそが問題なのです。

 税制の問題も、市場メカニズムの構造的な要因ではなく、政府の再分配政策の失敗ですから、それをきちんと分析して修正することで、より良いものにする、そのための議論をしなければいけない、ということが本書の主旨だといえます。

 また、日本の格差問題はアメリカや世界の問題とは異なる、岩田先生の本のタイトルにある「日本型格差」です。日本には富裕層はさほどいませんが、貧しい人はたくさんいる。これは長期のデフレによって生じた非正規雇用の増大や失業が原因です。労働市場の不合理な規制や年金に偏った不十分なセーフティーネットといった問題は元々あったのですが、問題が悪化したのは、日銀の政策ミスによって生じたデフレ不況のためです。日本型格差解消のためにまず必要なのはデフレから脱却し経済成長を取り戻すことです。

 ですから、世界と日本の格差問題、このふたつを混同せずにきちんと切り分けて見ないと問題の解決には近づけない、ということです。