MMT(現代貨幣理論)
正しい[理解・検証・議論]のために

対談=森永康平×田中秀臣

日本における受容・経済政策議論の理解


MMT 日本における受容

 森永 現実の経済ではインフレ・デフレの問題は生じているので、MMTにおいても実体経済に則した物価コントロールの議論に重きをおいているんですね。MMTの場合は財政政策を活用することによってインフレ抑制の方法を検討しています。実はここの部分もよくMMT批判の俎上に上げられるのですが、「インフレの兆しが見えてきた段階で、増税や支出を絞ることによって抑制を図る、とMMTは解説している」、と理解している人たちが結構な数いて、MMTのやり方では認知ラグ、あるいは政策実施上必要なプロセスを経るためのタイムラグの問題があるため、インフレに対して迅速な対応ができない、と指摘してMMTを否定します。

 この点についてはしっかりと補足しておきたいのですが、MMT自体はその認知ラグや政策履行のために生じるタイムラグといった問題を最初から考慮していて、インフレをコントロールするために裁量的財政を用いることには否定的なんです。むしろビルトイン・スタビライザー、「財政制度はあらかじめ自動的に景気変動を調整する機能が備わっている」ことを説明する用語ですが、その機能を重視している。その機能の果たす役割の一つがJGPであり、もう一つが累進課税の所得税であると論じています。

 田中 実は僕が1年前に書いたMMT批判の論説に、財政では物価コントロール難しいと論じていて、先日Twitterでもこの話題に触れました。でもこれは今、森永さんが指摘した通りでMMT側からするとあくまで外生的な批判であり、いかようにも防御できる気になっている。だから、今日僕は内生的な貨幣観に対する批判を中心に述べてきたわけです。ただしビルトイン・スタビライザーでは、たとえばインフレと失業の問題を解決できない、というのが、正統派経済学が米国など先進国の経験をみた末に出した結論ですので、外在的な批判でも正しい方向性だと思います。あとモズラーの名刺の議論は、インフレやデフレのコントロール失敗にもつながっています。今日は話題にはしませんが、ヴィクセル以来延々とこの論点も深められ、現代の正統派経済学に取り入れられています。MMTではこの経済学の蓄積はほぼ「正統派」だから、という解釈学的理由でまともに顧みられていません。このヴィクセル的な論点は、野口旭さんのニューズウィーク論説「MMT(現代貨幣理論)の批判的検討1-6」が参照されるべきです。

 森永 そもそもMMTが批判していることを持ってきて、それに輪をかけて批判している状態なので、批判側も理解が浅いまま叩いているな、という印象です。

 先日の田中先生のツイートが正にその例だなぁと思うことがありました。田中先生のMMT批判ツイートに対して、MMTを支持している方が反論をしたけれども、実際には田中先生のほうがMMTに対する理解が正しくて、カウンターパンチをくらって撃沈していましたね(笑)。賛否を表明するにしても理論に対する理解が足りていないケースが多いじゃないですか。だから日本国内において、MMTという考え方がトンデモのように見られてしまっているのではないかなとも思う。僕自身、MMTをそこまで支持していたわけではないのですが、Twitterでいろいろな人のやりとりを見ていると、叩くのもいいし、賛成するのもいいんだけれども、もうちょっと中身を理解してからにしようよって……。もはやMMTが主張していないことを付加するなどアレンジして日本版のMMTとする意見も見ますが、それはもうMMTという言葉は使わない方が議論がより正確になる気がしています。

 田中 まさに森永さんのおっしゃる通りで、日本におけるMMTの受容は歪みが生じています。だからこそ、MMT側から見た外生的な批判が頻出するようになった。
 日本へのMMT導入に積極的な論者の中には財政政策による物価コントロールという議論の中にインフレ目標も導入すると言っていている人もいて、それではわざわざMMTを使わなくてもよくなる。あとリフレ派の中にもMMTとリフレは同じだ、と一時期言っていた人もいたけれども、今日僕が話してきたように貨幣観が全く異なるから、根本的に別物なんですね。

 日本型のMMTの解釈というのは、MMTが注目される以前の、「財政政策中心主義」対「リフレ派」の話に繋がってくるんです。特に財政政策中心主義の人たちがMMTを採用する傾向が多かったから、彼らが主張する財政政策の実効性とMMTの一部の論点が結びついて日本的な受容になったんです。そういった点を考慮すると少し不幸な状況ともいえます。

 去年、ステファニー・ケルトンが来日講演を行ったじゃないですか。そのときに政治的な対立を表明してしまった。だから僕にとって現在のMMTは「運動」の一種だと認識していて、そういった「運動」を支える動きと、日本型MMTの受容が明らかにミスマッチを起こした。このあたりの論点で一度検証してみても面白いでしょうね。このような問題の根っこにあるのはやはり日本の長期停滞の影響であって、その中で生じた政治的分断と政策的対立。その間にMMTがここ数年の中で受容され、日本型MMTという歪つな理解が形成されてしまった。この受容の流れっていうのは、MMT自体の議論から離れますが、同時に様々な問題点を孕んでいるな、とも思います。


経済政策議論を正しく理解するために

 森永 「財政政策中心主義」対「リフレ派」の構造はある意味分かりやすいのでよく目にしますが、実際問題、経済政策の議論において金融政策と財政政策は必ずしも分断するものではないですよね。別にリフレ派の人たちは「金融政策だけしか効果がない」とは言っていないですが、よくそういう文脈で否定されているのを目にします。父親のことを考えれば、僕も血筋的にはリフレ派の遺伝子がはいっていますから、リフレ派の主張というのは理解しているつもりです(笑)

 田中 森永さんのお話にあるように財政か金融かと分断して議論されるべきものではないですよね。僕は昔から両方やるべきだと発言していましたし。以前、リチャード・クーと論争したことがあって、彼の批判は、「リフレ派は財政のことを考えていない」という指摘でしたが、当時から僕は財政政策の必要性を論説に書いていましたから。リフレ派っていうのはどうしても財政を軽視しているように捉えられてしまっているんだな、と考えさせられる出来事でした。
 
 森永 メディア的にわかりやすい切り取られ方をされていますよね。リフレ派は金融政策以外は意味がないと言っている、と決めつけて報道している。

 一方でMMT派の伝えられ方は、金融政策を否定して財政政策一本を主張していると。ただ、この認識も間違っていて、MMT解説の原典には金融政策という直接的なワードを使っていないかわりに、金融調節に類したフレーズが出てくるので、金融政策に対する存在感はきちんと認めています。繰り返しになりますが、そもそも金融政策VS.財政政策という区分けの仕方自体が正確性を欠いていると思うんです。

 直近10年くらいの日本経済の動向を見たときに、日本では金融政策を重視して、低金利でかつマネーを緩和する方向をとっていましたが、かたや財政政策の方は2度の消費増税[※]を含む緊縮路線に舵をきっていたので、結果的に目標としていた2%のインフレ率は達成できず、経済成長もしていない。だから今度は財政政策を重視して、そのためにMMTを適用すべきだ、という流れは、田中先生がよくおっしゃっているワイドショー的な立ち回りをさせるための構造をあえて作っているようにしか見えないです。その図式を作りたいがために、MMTのわかりやすい部分を切り取って、結果的に奇妙な対立構造が出来上がってしまったのではないでしょうか。正直言って一般国民からすれば「MMT=たくさん金刷れ」程度の認識しかなく、それがSNSに乗って拡散されている現状なので。やっぱりちゃんとMMTのを理解していないことが、日本におけるMMTを取り巻く不幸な環境なんだと思います。
[※]2014年4月1日施行(5から8%)と、2019年10月1日施行(8から10%)の2度の増税。

 田中 だからこそ森永さんの本を読んで、MMTが何なのかっていうことをきちんと押さえて、その上で肯定論者と僕のような否定論者の意見を聞くことが大事になってきます。でも正確にいうとMMTだけを理解して主張するだけでも駄目で。やはりこの本の第1、2、6章に書いてあるような、ここ数十年、なぜ日本は停滞し続けてきたのか、またその中で今回の新型コロナのような事象が起きた場合にどう対処すべきなのか、ということを考えなければならないけれども、その際、特定の理論だけを押さえているだけでは正しい検証が出来ないんです。これまでにも様々な経済学的な考え方が議論されていますし、これからも検討されていくので、学び続ける必要があります。

 昨年、エミ・ナカムラという米国の経済学者が、ジョン・ベイツ・クラーク賞を受賞したんです。この賞は40歳以下の有望な経済学者に与えられるもので、ノーベル経済学賞よりも取るのが難しいといわれている。男性中心でかつ白人中心の経済学界において日系の女性が受賞したということは、従来の経済学界を取り巻く流れを変える意味でも、彼女の存在は今後ますます重要になってくるでしょうね。そのエミ・ナカムラの主要な論点は我々リフレ派と同じ「期待のコントロール」なんです。長期的なインフレ目標の達成こそが重要である、という結論なんですよ。僕が普段言っていることとも当然重なります。

 世界の主流な経済学が「期待のコントロール」を論じている中、MMTは残念ながらこちら側には来ないでしょうね。なぜなら、いまだに財政と金融のどちらかの比重を問題にしているから。僕も普段Twitterとかで財政と金融の両方をやればいいと書くけれども、その発言のベースには「期待のコントロール」、「期待の転換」があります。なぜ日本が金融緩和を続けているのに未だにインフレ目標を達成できないかというと、2014年に消費増税を行ったことによって、「期待の転換」に失敗してしまったから。それでも完全に失敗していないので、一応は金融政策の継続が効いていて、新型コロナ危機の前までは雇用はかなりいい線で進んでいました。ただ、消費増税という明確な緊縮政策によって「期待のコントロール」が毀損したままになっているので、これは大きな問題ですよね。MMT側が日頃から主張している「緊縮財政が悪い」というのは一面正しいのだけれども、それは、別にMMTだけのオリジナルのロジックでなく、経済学者も非経済学者も正統も異端も全員が共通して論じていることです。

 ちなみに緊縮財政を肯定する勢力っていうのは日本に大勢いるんですよ。例えば財務省であるとか、その影響を受けた日本の経済学者なんかがそうですね。こういった日本の経済学者ははっきりいってペテン師です。なぜなら書く論文は主流派っぽい内容なんだけれども、政策を議論する場での発言は、不況であるにもかかわらず、一様に緊縮政策を主張します。なぜ緊縮政策を主張するのかと問うと、「財政再建が重要だから」、と答えるんですね。その解は主流派経済学の理論で見ても明らかに間違えている。アカデミズムな場での論文と政策提言の主張が矛盾しているにも関わらず、平然とおかしい態度をとっているのが日本の経済学者なんです。だから日本の経済学者というのは、正しくは経済学者ではなくペテン師の言い換えでしかない。彼らがノーベル経済学賞をとることは未来永劫ないでしょうね。ペテン師に賞をあげるほど世界は寛容ではないですから。

 森永 おっしゃるとおりだと思います。

 田中 もう一点、先程なぜエミ・ナカムラの名前を挙げたかというと、彼女の研究手法は森永さんが『MMTが日本を救う』内で用いたデータの取り扱い手法と共通しているからなんです。森永さんは実践的なエコノミストとして物価や様々な雇用、景気などのマクロのデータの収集のみならず、ミクロな個票データを集めることにも長けていて、集めた様々なデータを複合的に活用して日本経済の現状を論じられた。エミ・ナカムラも同じで、ミクロのデータを駆使してマクロを分析しているんです。我々が普段目にしているミクロな経済事象を解析して広くマクロ経済に結びつけるには、単純な想像力だけでは成立しないので確かな分析力が必要なんですよ。そういった難しい課題を取り組んでいる人たちが森永さんやエミ・ナカムラといった新しい世代に移っているんです。お二人のような新しい世代の力で、僕が論壇に登場した頃から続くこの長期不況論壇を吹き飛ばしてほしいですね。(おわり)


★もりなが・こうへい=金融教育ベンチャーの株式会社マネネCEO、経済アナリスト。現在は複数のベンチャー企業のCOOやCFOも兼任している。日本証券アナリスト協会検定会員。著書に父・森永卓郎との共著『親子ゼニ問題』がある。1985年生。

★たなか・ひでとみ=上武大学ビジネス情報部教授、経済学者。専門は日本経済思想史・日本経済論。著書に『経済論戦の読み方』『デフレ不況』『増税亡者を名指しで糺す!』など。1961年生。


『MMTが日本を救う』
著 者:森永康平
出版社:宝島社
ISBN13:978-4-299-00588-5